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オーダードレス、洋裁教室「ドレスさら」オーナー 粕谷尚子

 見せない努力ほど
 結果で見える
 福島正伸

平らな生地が立体なる面白さに夢中になり、小学校の卒業文集に、「将来は洋服屋さんになります。」と書いていたそう。夢を実現するには、「なりたい!」じゃなくて「なります!」がいい。夢が叶って夢の中を生きる今、82歳の粕谷尚子(ひさこ)さん

さらに夢を実現するためクラウドファンディングで資金調達し、その夢を今年4月1日からの予定にしているのに感動、さらにリスペクトした。俺も「夢」を「予定」にしていくと決めた。voicyラジオで毎回どんなに過去に遡っても、10分終了間近には必ず「今」に。「今が夢、今に生きる!」背中を見せてもらった。還暦の俺なんて、まだまだひよっこ。今は2歳の長男の子育て中だが、死ぬまで旅に生き、死ぬまで本を書き続けると自分に誓った。

そんな影響を受けた粕谷さんとのvoicyラジオ対談、全4回、フォローして聴いてほしい。

粕谷さんは前回放送したアメリカ在住の水砂子から推薦があって出演してもらった。粕谷さんは水砂子にとってずっと憧れの人。水砂子と同じくシンマさんが「21時から倶楽部」を続けていたからこそ20年もご縁が繋がっている。偶然にも同級生なカカトコリさんが講師を務めたセミナーの初日、粕谷さんとシンマさんと一緒に俺も受講している。「セミナーに来ても実際に行動する人は1%しかいない。100人いたら1人。その内、継続するのは、その100人中1人しかいない。つまり1万人に1人しか残らない。」その言葉をセミナーで聞いて、粕谷さんは、いかに生きるかを決めた。「私は、その1万人の1人になる。この仕事を90歳まで続ける!」決意をしたのだ。そのセミナーで贈られた言葉が今も自分を支えているという。それでも全てが順風満帆だったわけではない。「つらいこともあったんですよ。今日、この電車に飛び込んじゃおうかな、なんて思うこともあって」ってポロリと本音を話してくれた。

思えばうちのおふくろが81歳だから、ほぼ同世代の粕谷さん。今も現役で夢を持って仕事を続けているのに、ただただ脱帽。

粕谷さんは6人兄弟の5番目に生まれた。「親から注視されなかったから好きな事ができたんです」と粕谷さん。お父様が出版社を経営してて、たくさんの本に囲まれて育ったから本を読むのが好きだった。本を読むことより好きだったのが服を創ることだった。「子供の頃から お人形さんにブラウスやスカート、ワンピース等を作って着せるのが大好きだった!」という。小6の夏休みアトリエで洋裁を習った。中学高校時代は本を買って読んで家族の服を作った。その頃、すでにスーツまで縫っていたというから驚きだ。高校卒業してから洋裁学校へいくも有名な先生に幻滅して1年で辞めた。他の洋裁学校を選択してもレベルが合わず、「自己流でやる!」と決めた。それでも「仕事にはしないです。趣味です」と答えていたが周りの要望に応えるカタチで30歳近くになって洋裁学校を始め、教えるようになって自分の未熟さに気づく。そこで当時技術的に日本一の細野久先生から洋裁を学ぶため西宮から東京へ。スキルも精神面も一流から学ぶのが一番だ。

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   ※写真は2人の子供がすくすくと育つて幸せそうに見える27歳の頃。

ご主人から「仕事はするな、嫁が働くのはみっともない」と女性が家事と子育てするのが当たり前という男尊女卑の時代。「なぜ、幸せを感じられないのか?」「ご主人の庇護の下、肩身の狭い思いで過し自立できてない自分は幸せじゃなかった。自分で働いて精神的経済的に自立できてこそ人は幸せになれる」と気づく。一生かけてやる仕事をしたいと、50歳になって当時日本一のドレスメーカーのパタンナー募集に応募した。これが若さを保つ秘訣なのかもしれない。そして即採用決定になるところが粕谷さんならでは。「ダメ元でやってみよう!」って行動することは俺も多々ある。この会社、各界のセレブ、首相夫人、皇室の方々がお客さん。採用された理由は若い女性ではなく、即戦力になるきちんと敬語、謙譲語が話せる人。諦めないでトライし続けて7年間働いた。

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  ミセスジャパン日本代表の方のドレス制作をサポート

退職後は、京都でウェディングドレスの外注パタンナーを20年続けた。

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  オーダーで制作したシャネル風ジャケットアンサンブル

60代の頃、「1円起業で会社を設立した主婦」と経済産業省の冊子に取り上げられたことで、その記事が当時の小泉総理の眼に止まり、施政方針演説に取り上げられる。新聞、テレビ、雑誌の取材を受けたが、本当に伝えたいことが伝わっていない。そこへ月刊「致知」に取材され掲載された時は本当に伝えたいことが伝わって嬉しかったという。俺も一時期、定期購読していて「致知」に載る人物になることを目標にしていたから、その喜びはわかる。月刊「致知」には志を高く持って生きる人しか載っていないのだ。

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  ※写真は月刊「致知」出版社の編集者さんと。

7年前の70代、夜なべが続いて無理がたたって心不全で倒れた。1回目に行った病院では「特に異常なし」だったのに、2回目に別の病院に行くと即入院、2日後にペースメーカーを入れる手術をすることになる。それでも頭の中は「納品しないと・・・」と仕事のことばかり。手術の前日、苦しくなって「今日、死ぬのかな?」と思うと涙が溢れた。自立したくても自立できない時期を経験しているから、自立できたときの喜びを知っている。「学校にも行けない低開発地域の国々の少女たちに洋裁を教えたい!」という夢がある。「神様あと5年生かせてください」と祈る。自分との約束を思い出すと神様との約束が叶った。すっかり良くなって、縁のあったネパールに視察に行って、いよいよ去年3月、ネパールでの洋裁教室を無料で開催しようとした矢先、コロナで延期。

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  ※写真はネパールへの視察旅行。洋裁を学びたいと集まってくださった方々と。

「ネパールの女性自立支援プロジェクト」のクラファンで資金集めはできている。ネパールの少女たちに洋裁を教え、教えられた子がさらに1人無料で教えるって条件で裾野を広げる仕組みまで考えている。今年4月、その夢が叶おうとしている・・・。

初心者の頃より学べば学ぶほど60年間学ぶことばかり。「やればやる程奥が深く、興味が尽きない」という。幼少時代に感じた探求心は今も健在だ。ラクで易しく速い機械縫いに時代が移行していることを憂う。機械ではできないことをやるのが手縫い。何が違うか考えた。着る人の気持ちまで考えて創っているかどうかだと俺は思う。一つ一つ丁寧に創った服には魂が宿り、着る人にも作り手にも生きる気力を与えるように思う。最近は新しいことにも挑戦し、「昔から伝わる技術」を動画を撮っているらしい。

「本気でやれば道は拓ける!」力強い言葉を頂いた。信念を持ち、「生」を全うする強く優しく清らかな声から気品が感じられた。ありがとうございました。

 「言う」を「成す」と書いて「誠」。
 これは私がリーダーとして大事にしている言葉だ
  『言葉力が人を動かす』 坂根正弘(著) 東洋経済新報社


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