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「心を分かち合いながら、共に未来を創りたい 平田未緒」

 このままでいいと思う人
 より良くしたいと思う人
 思いの比べっこ
 強い方が勝つ!
 福島正伸
 「実は家族や本当に親しい友人、
 人事コンサルのクライアントさんにしか明かしていない
 あるコトを、初めて公でしゃべっちゃった。
 おそるべし、隊長!」

コレ、voicyラジオで対談した平田さん(平田未緒さん)の弁。
2005年、社労士の友人、ナオト(下田直人さん)の紹介で取材されたご縁から、17年ぶりの対談となった。

今年1月、友人、まっつん(松岡良彦さん)の紹介で大川彰一さんと俺の3人でオンライントークライブをやろうとFacebookで共通の友達に「イベントのお知らせ」をした中に平田さんの名前を発見!懐かしくなってメッセンジャーでvoicyラジオ出演依頼をしたのだ。今度は俺がインタビューする番だ!ワクワクした。

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対談して思い出したことがある。
1996年旅行会社創業当時から業界の中で唯一無二の存在として取材されるケースが多かった。ありとあらゆるメディアで紹介されるうちに自分軸ができていったのだと思う。でも、ニュアンスが違うケースも多く、「そんなこと言ってないし・・・」って思うこともしばしば。そんな中、「そうそう、一番伝えたかったのはそう言うこと!」と、嬉しくなって、しばらくホームページに載せていたのが平田さんの取材文だった。ロングインタビューでは会社ではなく、俺の思いにフォーカスして、さらに平田さんの感じたことが綴られていた。今から思えば、文章の書き方は平田さんに学ばせてもらった。それから読者が喜ぶこと、元気になること、感情が揺れ動くなどリアクションを意識してBlog(アメブロ)、TwitterFacebookにアウトプットしていった。そんな平田さんとのvoicyラジオ対談1回10分、7回の放送をフォローして聴いてほしい。

2013年に設立した株式会社働きかた研究所 代表取締役所長の平田さん。独立して9年になる。クライアントの顧問に入り、相手の思いを聞き出し課題を見つけ、寄り添うように一緒に考える仕事だ。研修・キャリアカウンセリング・コーチングなど平田さんの仕事は多岐にわたる。人を定着させるため、女性が活躍するため、あるいは社内を元気づけるために伴走する会社は30人の小さな会社から2万人規模の会社まで複数社の顧問をしている。今、自らの役割を果たすことで自己実現している。

平田さんが仕事をするにあたって最も大切にしているキーワードがある。経営陣や社員だけでなく、契約社員、パート、アルバイト含めてお互いが思い合う、「相思相愛」・・・平田さんが2冊目の本を書いている33歳の時、「上手くいっている会社の共通点って何だろう?」と、考えると「相思相愛」という言葉が浮かんだという。それを聞いて「旅を通じて生きる喜びを、参加者である隊員とスタッフとみんなで共有できていた頃の取材だったなぁ」なんて納得。さらに、うちが競合他社の経営陣からも応援・紹介されていた存在だった17年前の事を思い出した。

平田さんの幼少時代に遡る。電車の中で歌って踊る子だったと父親から聞かされた。小学生時代には友達と歌と踊りをつくって遊んだ。工作、お絵かき、リコーダーが好きで、その頃から表現することが好きだった平田さん。ところが通知票には「大人しすぎる」と書かれていたらしい。実は、ココ、俺も一緒。笑 俺は毎回そう書かれるのが嫌で小5から激変していくが、平田さんは高校時代まで続いたらしい。都立高校の華やかでかわいい子たちに気後れして人とつながれない。大学に入って、「これではダメだ!社会とつながれない」と「はじめの一歩」を心がけて自ら少しずつ心開いていく。すると、受け入れられて安心感が得られた。一人旅や貧乏旅行が流行っていた時代、「旅の会」のサークルに入ってテントを持って旅するようになる。

大学卒業後、旅行ガイドブックの編集プロダクションに入社。学生時代、アルバイトをやっていた会社に、そのまま就職したのだ。取材記者として取材し編集・記事を書いた。小学生の頃から小説を書くほど表現することが好きだったというから驚きだ。フィルムカメラ全盛時代、一眼レフや重たい機材を持っての単独取材に明け暮れた。結婚を機に、「結婚した女性一人で取材に行かせられない」「旧姓で仕事したい」といえば「お姑さんが悲しむだろう」と枠にはめようとする上司と折り合いがつかない。5年で退社することになった。その後、ネパールに縁のある小さな会社に入社。トレッキングに連れて行ってもらった恩を感じつつも「アルバイトじゃないんだから、もっと給料がほしい」と上司と揉めて1年で退社。

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その後、大手求人広告会社に入社しても、平田さんだけ制服を着なかったり、「お疲れさま!」という挨拶に、心の中で「疲れてないよ」とにかく型にはめられることが嫌いで、心のこもらない口先だけの挨拶も嫌。「こうするべき!こうしてはならない!こうしろ!」と言われると「私はこうしたい!」がムクムクと肚の底から湧き出してくるタイプ。ココも、俺と一緒。笑 義務感でやっていても楽しくないから上手くいかない。平田さんは内発的動機で動き、「そこは譲れない!」って価値基準を持ってるクリエーターでありアーティストなんだと思う。

ただ、大手求人広告会社には17年務めることになる。旅行ガイドブックの取材と違って「働く人の取材」は全く違う質感で深い話。仕事と人生をリンクさせて実現している経営者のビジョンを聞く楽しさに水を得た魚のように活き活きと働いた。そこには書物にはない生身の世界があった。ちょうど、この頃、俺は平田さんから取材を受けた。

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上司が変わって相思相愛をつくっていきたいのに、自分ができない辛さを感じていた。仲間にも相談できない。「自分で何かをやりたい!」という思いに目覚め、夢に日付を入れた。2012年1月1日から12月31日まで1年かけて準備をして独立すると決めた。ところが大晦日になっても起業できない。

「会社を辞める!」と知人に相談すると、「自分一人でやるより、1,000人の営業マンがいる組織力を生かして会社に残ったほうがいい」

そのアドバイスは平田さんに全く響かなかった。自分の本当の気持ちを教えてくれるのは、いつも他人の存在だ。皮肉なことに社労士のアドバイスで起業する決断ができた。アタマで考えた正しい判断よりも、自分の直感を信じて素直に行動することで人生は拓いていくと思う。

起業するにも、売ったり、サービスをした経験がない。無料の広告のような取材記者だったから。ホームページを作ろうとした時、何も書くことがないと愕然とした。それでも、ご縁で講演・研修・セミナーの仕事が舞い込んだ。一つの講演を聞いた人から次の仕事の依頼を受ける循環があって、ご縁が広がっていった。

2013年7月に登記して仕事は順調だったが、平田さんのマインドは落ちていた。他者の評価を恐れる自分に気づく。「私の言ってることに意味がないのでは?」学生時代から、ずっと底辺に引きずっていた感情が沸き起こった。自信がなかったのは、話す根拠、仮説の検証結果は他人の体験談だったから。心にフタをしていた自分と向き合い、どう開いていったのか?夏に沖縄の原生林を歩く内生の旅に参加した。汗ダラダラなのに心地良いのは、なぜ?全てがあるがままに共存している世界。自分は全体を構成している一部だと感じた。俺は思う。迷ったら自然の中に身を置いてみるといいって。身体が浄化され、心が澄んでいくのを何度も体感したから。

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「凄いねー、本を出したり、独立したり、講演やったり・・・」周りから言われると、
「いえいえ、そんなことないですよ」と言ってしまう平田さん。
「謙虚、謙遜、美徳・・・自分は何を守っているのか?相手の言葉を素直に受け取らずに、いったい自分は何から逃げていたのか?」

私生活の変化も影響していた。
「あらゆる現実は自分がつくり出している!」と悟る平田さん。
相手ときちんと接することで自分が変わっていく。自分が変わることで周りが変わっていく。家庭と仕事、パラレルで起きていた。父の他界、離婚、姪っ子との関係・・・逃げずに向き合い、自ら開いていくことで新しい関係性をつくりだし劇的に変化することを体験した。表面上のトラブルも、実は根っ子は一緒なのでは?問題の根幹はどこにあるのかを考えると解決策は見えてくる。仕事も家庭も一緒。大切なのは、共に思い合う「相思相愛」。俺もよく自問自答する。「その言葉のウラに愛はあるのか?」って。

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素直に正直に語ってくれた平田さん、ありがとう。
心の奥の奥は笑っているのか?自然の中で感じた、ありのままの自分を受け入れ、自分を認めることができれば、すべて上手くいく。誰もが揺らぎながらも究極の目的は一緒。良く生きること。幸せを感じること。そんなことを感じた対談だった。

 あなたは おっしゃった。
 経験もないのに自信がなかったら
 何もできぬと。
 では自信をつけるには
 何がいいか。
 経験でござるよ。
  NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」より


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