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独り言...著作権と音楽教育、演奏

著作権のことで盛り上がっていますね…と他人事みたいに書き始めてみましたが当事者ですね、僕は。
いろんなことを思いますし、いろんなことが別次元、別要素であったりするのに絡み合ってもいるので書き始めたらきりがない問題です。

いくつか今夜中に思うことを書いていこうと思います。

・著作権は必要か?
必要だと思います。それは先進国とか、資本主義とかとは関係なく、個人の所有を認める文化や社会には存在するべきだと思います。たとえばイヌイットの狩猟の歌(芸術音楽ではない土着の、生活に根ざす音楽)にも著作権は存在します。これは小泉文夫先生のエスキモーの歌という本に詳しく書いてあります。
人気が出るとそれを模倣するのは民謡の世界でも同じです。ロマ(ジプシー)のように「全部みんなのもの」と考える人々には著作権という概念があるかははっきりしませんが、彼らは覚えたものを全て自分のスタイル、アレンジで出すので流行るスタイルを真似するだけですし、少し違うでしょうね。

・楽譜を買う時に払っているから演奏時の支払いは不要なのではないか?
いえ…耳コピという言葉があるように、ある程度の音感と基本的なソルフェージュ能力があれば再現や、楽譜を書き起こすことも可能です。ということはやっぱり、その楽譜という実物になっていない音や時間そのもの、音楽、楽曲に著作権はあるべきだと僕は思います。

・教室での講師の演奏は?。
これは2通りあると僕自身は感じます。
もちろん、生徒さんはポワァ〜っとした心地で先生の演奏を聴くべきではないでしょう。違いを捉えて、見て盗むというのが大事ですから。この場合はお手本です。あるいは見本。
一方で、塾なんかでも「やる気を出させるところから講師の仕事」と言われるようなご時世です。くさりかけてしまっている生徒さんがいれば、グッと何かくるものを与えたいと思った先生が本気で演奏してみることはあるでしょう。生徒が感激すれば成功、という目的で。この場合はたとえ一部分でも演奏だと思いますね。
ただ、これが公衆相手か?と言われたらおそらく違いますよね。あくまで個人の教育の中の話ですから。

そして、こういうことを書くからには代案や提案がないといけないと思うんです。あくまで僕個人の考えですが…

例の団体さんが世の中の共感を得られない原因は何か?
僕の印象だと、一つは著作権管理を委託されている事務業なのに、必要以上の売り上げを上げていることではないでしょうか。

まず、事務所を構えれば土地代、光熱費がかさみます。これも諸々の料金に上乗せされますよね。どのサービス業でもそうです。これだけインターネットが発達したんですから、これを生かして最低限の経費にすることでうんと著作権料の支払いは身近になる気がします。まさにAIやRPAが活躍すべき内容ではないのか?
もっと言えば、どう頑張って取り締まりをしても粗はありますから、支払いするかどうか根本にあるのは演奏する人の良心です。
そこを信じたいと思えば、管理団体を通さずに直接著作権者にオンライン決済できるプラットフォームを公が作ってもいいと思います。

そして、もう一つの大きな問題と僕が考えるのは演奏者の価値です。
例の団体の規約などを読んでいくと、たとえ公の教育現場であっても、謝礼があれば演奏者が著作権料を払うべき決まりなんですね。あんまり言うべきではないと思うのですが、多くの場合公立学校の謝礼というのはその日の交通費と食費で無くなるような微々たるものです。仮に著作権料をそこから支払うと赤字でしょう。
これは大学教授だろうと、街の先生だろうと同じ基準です。そこを現場の先生方が限られた予算の中で工夫して捻出されています。僕が公立の施設におうかがいするのは、子供のため半分、自分のため半分だからです。もし商売や経営のためだけなら、かなり苦しい選択です。(でもそうじゃない、と僕は個人の主義でそう思っています。)
もし仮に演奏の価値がもっと認められる世の中なら、みんな気持ちよく著作権料を支払えるのではないか、というのもこの問題の一面だと思います。そこを掘り下げていくと、本当にいい演奏を、自分がいいと思える演奏家をしっかり判断できる基準を教育の中で育めているかという問題になり、教育現場の話に戻ってきます。

卒業した大学で、多くの先生が最後の講義でこうおっしゃっていました。
「プロを育てようというよりも、いいものを見抜けるハイアマチュアを育てたいと思っている。良いものを残すために」
音楽教室もいろいろなものがあります。ファッション感覚で楽しむだけのお教室も存在するでしょう。でもそこからスタートしていいものを後世に選んでくれる人も存在します。

こう考えてみると(あくまで僕個人の思っていることの羅列の流れですけれども)、現状では、音楽教室で著作権料に踏み込むのは厳しいと言わざるを得ないですね。

まとめますと、著作権管理という名の下にかけすぎている経費の圧縮と、景気改善、生の演奏というものの価値が社会的にも金銭的にも認められて初めて歯車が動き出すと思います。

まとまっているかはわからない(汗)以上現場の他愛もないご意見でした。

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