登山を始めました。
なかなか楽しいです。
まだ始めたばかりで、山に関して特に語れることなど無いのですが、これから始めるご同輩がいるのなら、トレッキングポールはあった方が良いと強く思っております。
両の手に持ったポールで地面を突いて進む訳ですから、腕の重みと突く力の分、少なくとも10kg以上は身体が軽く感じますし、推進力も上がります。
体力も技術も伴わない初心者であっても、ポールによるサポートで登れる山に少し下駄を履かせる事が可能になります。また上半身の筋力も動員するのでダイエット効果も高いというオマケも付いてきます。
私にとっては登山に不可欠な道具です。

いつかポールを忘れて登山に赴いたことがありました。
無くても登れない訳ではないのですが、やはりしんどいものですから、当座凌ぎに木の枝を杖代わりに拾うことにしました。山ですので枝が無限に落ちておるわけです。
丁度良さそうな枝を選んで突いてみると、それが案外実用に十分足りてしまいます。
木の多少の屈曲が斜面を良い角度で捉えてくれますし、木は岩場でも滑りにくく、泥濘に刺さり過ぎず、むしろ既製品のポールより具合が良いのではないかとさえ思えます。

ただ一つ重大な問題がありまして、無限に落ちている一本の枝ですので、休憩明けに完全にその存在を忘れてしまう事があります。
疲労を覚えた時点で杖を忘れた事に気づくので、遥か後方に置き去りにした木の枝を取りに戻る事はしたくありません。また次の良い枝を探しながら歩くことになります。
次は忘れぬように、リュックに立て掛けて休憩をとるのですが、休憩明けにリュックの側に邪魔な木の枝があるのでポイと放り投げ、斜面を転げ落ちる杖を見て、しまった、と思うなどします。
何気なく踏みつけて折ってしまったり、杖と落ち枝との区別がつかなくなったり、とにかくよく紛失します。

その日拾った最後の一本はとても良いものでした。長さ、太さ、軽さ共に実に丁度良く、程よい乾燥具合からか堅さと同時にしなやかな強靱さがありました。
踏みつけても容易に折れず、反発力が登坂に推進力を与え、下りではしなやかに体重を受け止めてくれます。
大変具合がよいので、一度置き忘れた時には取りに戻った程でした。
使い続ける間に木の皮がめくれ木地が露出し、手に馴染む握り具合に変化してまいります。やがてグローブ越しに握る必要もなくなり、素手で握るようになると汗と皮脂が染み込み、良い風合いと感触になります。
良い道具に愛着で答えると、より良い機能を返してくる。新品の状態がベストである道具が多い中、こういう感覚はとても新鮮でした。

いくつかのピークを越え登山口に戻る頃には、どんな既製品よりこの木の棒の方が良い道具だという思いは確信に変わっておりました。
一人で始めた登山ですから、元々登山仲間も居らず、グループに参加するにはまだまだ技術も伴わない、孤独な山行を続けていた中、共に苦難に立ち向かう戦友を得た思いでもありました。

やがて登山口が眼下に至り、気づくわけです。
私は今から人の世に戻らねばなりません。
山では人杖一体の最高のコンビも、電車内では汚い棒を持った汚い中年です。
杖を持って果たして改札をくぐれるだろうか。電車は動くだろうか。新宿乗り換えで鉄警隊に囲まれないだろうか。この杖は大切な仲間だと泣き叫ぶ動画を投稿されネットの人たちに妙なあだ名で呼ばれないだろうか。

これから始めるご同輩が居られるなら、やはり既製品のポールを常用すべきだと考えます。苦楽を共にした者との別れは辛いものです。
登山口の看板に杖を立て掛けて、その場を後にしました。
いつかこの低山に選ばれし足腰弱き者が、朝露に輝きし棒をスラリと抜き700m峰に立ち向かう、そんな日が来ることを願いながら、夕日の届かない谷間のバス停に歩を進めました。