夢101夜


高3の春の記録会で100mを12秒0台で走った。追い風2.1mだった。ほんとうに運がないなと思った。2.0mを超えると、追い風参考記録になる。しかしいずれ公認の風でもこのタイムで走れるときが遠からずくるだろうと、そのときには思っていた。そうこういううちに調子が崩れていって12秒2くらいでしか走れないことが続くようになった。
運や調子によってもたらされる結果の積み重ねが実力と呼ばれる。私は自分には実力がないと思ったので大学進学時に競技をやめてしまった。

競技をしているとたくさん目標をもつようになって、それは達成されるべく掲げられるものなのだけど、それとは別に選手である限り必ずもつ夢がふたつある。
ひとつの夢はもちろん誰よりも強い選手になること。競技会で優勝することとほぼ同義だけど同じでない。この違いがわからないで目標はたてられない。
もうひとつ、競技をしてる只中には気づくことのできない夢は、選手であることの時間が続くこと。選手であることのよろこびはその最中にはわからない。
その夢を見たまま存在してくれる人がいる。
みたことのある夢をみたまま競技場のうえに人の今年もいることがなんとうれしいことかと思いました。それはその場に立つ人がかわっても夢の性質は同じまま続く。

こういうノスタルジーは、スポーツをみるときの諸悪の根源だと思うので(良い例は高校野球の観客の熱狂)、そういう自分は戒めてまた明日からは身体を動かすこともなく働くことになります。


(2017年6月25日、日本陸上競技選手権 第101回大会の感想)

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