島話23 胸のつかえが取れた話

先日、自分の心のなかでひとつ区切りをつけることができた。
島話15 島では人の「生き死に」が近い距離にある で書いたおばあちゃんとの関係性に進展があった。

下を読む前に、ぜひ先に島話15を読んでください。
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その家の前を通る時、ふと、あの時の会話が頭によぎる。
また今年も冬が来ると思うと、得も言われぬ気持ちになっていた。
ただ、そうは思いながらも、何もできないまま自分の生活をしていた。

ある日、港の近くで、あのおばあちゃんの息子さんらしき人と、一列になって、僕の子どもと同級生のお母さんが一緒に歩いていたのを見た。
そういえば、そのお母さんはあのおばあちゃんと同じ名字だ。
だけど確証がない。
島の中に同じ名字はよくあるから、親密さがわからない。

その日からモヤモヤがひとつ増えた。
なんとか確かめたいけれど、ずかずかと聞きに行く話でもないので、なかなかタイミングがなかった。
ようやく2~3か月後、子どもを幼稚園に迎えに行く道すがら、ちょうどそのお母さんと一緒になった。
いくつか世間話をしたあと、少し勇気をだして聞いてみた。
「〇〇さんって、あそこの家の親戚ですか?」
「旦那の実家ですよー。」
「そうですか!!実は、少し会話させてもらって干がれを食べさせてもらおうと思ったんですけど、亡くなられて。」
「おばあちゃんも中西さんのことで干がれがどうとか言ってました。」
「手だけ合わせにいかせてもらっていいですかね?」
「もちろんです。喜ぶと思います!」
「よかった。いや、知らない人が急に来たらびっくりするかと思って・・・。」
「いえいえ中西さん有名人ですから知ってますよ~。」
と、ちょうどここで幼稚園に着いた。
最後のところだけを聞いた別のお母さんから「こないだもテレビ出てましたね~」と言われ、自分でもわかるほど下手くそな愛想笑いをしてしまった。
”ようやく堂々と手をあわせに行ける機会を得ることができた”という思いを隠しながら、自分では特になんとも思っていない”テレビに出た”ということの一応の喜びを表現しないといけないと思ったからだ。

数日後、時間がなく夕方にあのおうちを訪れると、息子さんらしい人が訝しげに出てきたので「少し手を合わさせてもらいたいと思って」と言うと奥からおばあちゃんが「誰やろう」と出てきたので、少し大きめの声で「中西です。手を合わさせてもらいたいと思って」ともう一度。
おばあちゃんは少し驚いて「中西さん!いつも見てるよ。家島でよー活動してくれて。こんなところやけどどうぞ。すみませんねえ。実は中西さんには話したいと思ってて。干がれのことで。」と。
まだこちらは手も合わせてないので、手を合わせてから一呼吸。
「そうなんです。僕もずっとひっかかってて。」と言うと、おばあちゃんもよく覚えていて「おとうさんが今シーズンは終わりやからまたおいで~って言うたから、あのあと、ここで食べさせたったら喜ぶやろなあ。っていう話をしてたんよ。だけど急に。ほんとに急に亡くなってしまって。この間7回忌が終わったとこなんよ」
「もう7回忌ですか!そうか。もうそんなに・・・。」
「そう・・・。」
あの日から、そんなに時間が経っているとは思っていなかった。
あの時の会話を今でも覚えてくれていたことが嬉しかったし、僕のことを認識してくれていることも嬉しく思った。
少しの沈黙のあと、
「中西さん、来てくれたからええ格好して言うわけじゃないけど、いつも活動してくれてるの知ってる。新聞記事は全部おいてる!ありがとうね。」
と、そのあと色々話してくれたけど、達成感と高揚感でぼんやりしていて、あんまり会話が入ってこなかったが、自分が応援されていることはわかった。

少し前に、島にある企業の人から『中西くんはおばちゃんたちには人気あるけど草の根活動すぎる』とか『もっと力のある人を上手に使って、政治的な動きをうまいことしたらええのに』と言われ、もっと商売も上手に売り上げを伸ばさないといけないと感じている自分もいて、でもそれに対して『なんだかなあ』とモヤっとしたことを思い出していた。
それと同時に、先日facebookで特に面識のない島の人から「島の人がでけへんことをやってくれてありがとう!島の人はみんな感謝してる!!」というメッセージをもらったことも頭をよぎった。

家を出て、少し寒くなった島を歩きながら、これだけ応援してくれる人がいるなら、あまり難しいことを考えずに、別に僕はこのままでもいいかなあと思った。

いえしまコンシェルジュ
http://ieshimacon.com

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