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『リハビリの夜』を読んで

『リハビリの夜』という本がおもしろいのです。
著者の熊谷晋一郎さんを知ったのは、当事者研究の文脈で。何かと國分功一郎さんと一緒にイベントや対談に出ているのを拝見していて、自分の頭の中で常にブックマークがついている存在でした。そして知れば知るほど魅力がにじみ出てきます。

熊谷さんは新生児仮死の後遺症で脳性まひに。以後車椅子生活を送り、現在は小児科医。『みんなの当事者研究』(金剛出版)の編集をされているのが自分の中では大きく、単著である『リハビリの夜』を手にとりました。

この本は熊谷さんが脳性まひの身体を通した世界との関わり方を、科学の分析結果のような解説や図解と、文学的な表現が入り混じるようなかたちで描かれています。

冒頭は、熊谷さんが18才まで夏休みになると毎年参加していたリハビリキャンプに向かう道中の話から。山の奥にあるリハビリ施設に到着すると、彼は車椅子からひき離されます。すると、それまで手の届く距離にあった本棚や机は天井のように自分から離れ、関わりは遠くなり、車椅子に乗る前にあった、自分と床のみの〝二次元の世界〟に舞い戻ってしまうとのこと。この本はその「床」との関係性からはじまります。

もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだ時に、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。
(「第1章 脳性まひという体験」より)

こうして本を手にとるや否や、ノンフィクションなのか文学なのか分からない転倒する体験世界に誘われるのであります。

この本では、体と動きについて言及され続けます。「第5章 動きの誕生」では、大学生になった熊谷さんが1人暮らしを決意するシーンがあります。
着替えもトイレも風呂も自力では行えない息子をご両親は心配されたそうだが、<まなざし/まなざされる関係>から脱却し、固有の〝自立生活〟を一から作り上げようと決めます。

一人暮らしをはじめた熊谷さんは、ひとつひとつオリジナルな「動き」を獲得していきます。例えばトイレの話。トイレに接続できなかった経験をもとに、工務店に頼んでトイレの空間をカスタマイズし、彼自身も体をチューニングしながらお互いフィードバックする形でトイレとの関係性を作っていきます。その後もシャワー、ベット、玄関とひとつずつつながっていくことで、物の構造ばかりか、著者自身の身体の身体の輪郭をも獲得していくのです。

この、他者との〝ほどきつつ拾い合うような関係〟がつくられたとき、世界の意味が立ち現れます。そしてそれこそが「発達」というものだと。(リハビリのように、正常な(健常者の視点の)発達のシナリオをなぞらせるものではなく)。

彼の他者の捉え方は、〝ほどきつつ拾い合う〟という表現もあるように、完全に分離したものではなく、お互いが行き来するような、境界線が曖昧な関係性でもあります。私のこれまでの生活の中でも、思い返せば、教師や講師、上司といった超越的な存在が〝まなざし/まなざされる〟関係性のもと、規範やシナリオを教育するシーンは多々あります。

しかし、その取り込み方も受け入れも人それぞれ千差万別なはず。押し付けるものではありません。熊谷さんが脳性まひの身体をとおして見た世界も、それこそユニークなのものです。そんなにバラバラな、正解がない世界だからこそ、物や人 、つまり他者との隙間を「相互交渉」しながら、自由を獲得して生きることが、大変だけど人生の醍醐味なのだと…。
そして、人によってバラバラなそれぞれの体験は、当事者研究でみんなで共有できるといい。

ちなみに、この不思議でちょっとくすっとするシュールな装丁は誰だろうと思ったら、コズフィッシュの祖父江慎さん。そして、「真面目さとあそびが混じっている」と熊谷さんが評するイラストは笹部紀成さん。あとがきによれば、祖父江さんは笹部さんに脳性まひの身体感覚を伝えるために、熊谷さんの説明のもと〝脳性まひに擬態し、床を這いずり回っ〟たとのことで、このエピソードを読んで、祖父江さんへの愛が深まりました…。

それにしても医学書院の「シリーズ  ケアをひらく」、いい本揃ってますよね…。

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熊谷晋一郎『リハビリの夜』医学書院 2009年 Amazon


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