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2021年の始まりと共に

2021年1月前半

何事もなかったかのように二人で年を越した。
二人で年を越すことができた。

この"こと"だけ見てもたくさんの努力が実った結果が出たと言える。

自宅で年を越したいという妻の気持ち。
それに応えようと尽力してくれた病院の方々。
年末にも寄り添ってくれた訪問看護ステーションの方々。
年末ギリギリまで病院への送迎をしてくれた両親。

上げたらキリがないほどの他方面の努力の上で成り立つ一つの"こと"だった。

それぞれが立場や役回りをもとにそれぞれの役割をこなす。
それがどれだけ尊いことなのか。
節目はこういったことに自然と目が向くので大事だ。
病状さえ除けば、すべてが感謝に基づいた良いサイクルで回っていた。


病状さえ除けば。


年末年始は特に大きな外出もせずゆっくりと過ごした。
年末にデスクチェアの試座に新宿へ行ったくらいだ。

仕事もなければ通院もない。
二人の時間をゆっくり確かめるように過ごすことができた。

どの椅子を買おうかという一方的な相談や、私の母に送ってもらった蟹をどのように食べようかとか、マイナンバーカード用の写真撮らなきゃねとか、牛タン買ってこようかとか、粗大ごみのシール買わなきゃとか。
脳天気な話ばかりしていた。

蟹鍋。うずらたっぷり。

今思うと産婦人科への打診が上手くいくかという不安を打ち消すための現実逃避にも思える動きを二人でしていた。
自分たちの手に負えない部分の現実を、空っぽな時間に考えることは心によくない。
暗黙の了解的に、そうしていたのだと思う。

ホットプレートで焼きそば。かわいい目玉焼きも添えてくれた。

三が日が開けてすぐに通院の日々が始まった。

脳の病変は、年末におこなった放射線治療の効果が出てほとんど見えなくなるくらいに縮小されていることを確認してもらった。
しかしゼロにはなっていない。
けれどそこを気にしていても仕方がない。

脳はあくまで転移先。
先を急がれるのは転移元、がんの大元の特定だ。

そんな最中に産婦人科から連絡があった。
今後の治療方針について話がしたいということだった。
待ちに待った連絡だった。
まだ道は塞がれていない。
打つ手があるということは覚悟を決めた上ではとても幸せなことだ。

私は仕事で欠かせないミーティングが入っていたため、妻と両親の3人で出席してもらうことになった。

こういうケースは何度もあったが、妻はいつも「気にしないでね。帰ったらちゃんと内容伝えるね。」と優しく言ってくれた。

幾ばくかの強がりはあったと思うけど、嘘ではないことは分かっていたのでお互いを信じてマンションのエントランスから見送った。

帰宅した妻から産婦人科の担当医からの話を聞いた。

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やはり子宮に写っている影があやしいという結論に至ったらしい。
しかし、影は子宮の奥にあるため検査器具が外部からは届かないのだという。
そのため、子宮に写っている影ががんの原因だということを特定するには手術による子宮摘出しか方法はない。
その上、この手術は治療のためではなく診断のための手術であるということを念押しで伝えられたという。
仮に子宮に写った影が大元のがんだったとしても、既にステージⅣの身だ。
転移先の病変を食い止めるのは難しいかもしれない。
しかし、この手術を行えば子宮体がんであるという診断を出せる。
摘出した子宮から取れたがん細胞を検体として、新たな情報を得ることができる可能性がある。
手術を受けるか受けないかは妻の決断次第。
どちらにせよ、今まで通り呼吸器外科と手を組んで全力でサポートすることに変わりはない。
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妻はこういった内容を自分の言葉で伝えてくれた。
医師から伝えられたときの気持ち、またそれを噛み砕いて自分の言葉で私に伝えている今の気持ち。
それらを考えると押し潰されそうなくらいの圧力がかかったが絶対に不安にさせられない気持ちが勝ったためなんとかその場は持ちこたえられた。

疲弊した妻をベッドに見送りトイレに籠もった。
仕事はまだ終わっていなかったが、自分の無力さを今更ながら実感し打ちひしがれてしまった。

子宮摘出。

このワードはやはり重く苦しい。
たった4文字の漢字ではあるがそれがどういうことを意味するか。

子宮をもたない私でも分かる。

目頭が熱くなるのを感じながら用を足したわけでもないのにレバーを引き水を流し、また覚悟を決めてトイレを出た。

覚悟の決め直しの頻度が上がっていた。
必要があれば何度でも仕上げる所存だった。





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