見出し画像

#釜石ラグビー本📚

世の中、なかなか落ち着きませんねがお。
#StayHome をされている方々にもおすすめの、釜石ラグビー関連の書籍、#釜石ラグビー本 📚のご紹介ですがお🐯
#釜石ラグビー本はなかぴーの知るところでは10冊以上、すべて集めれば20冊を超える書籍が刊行されているのではないでしょうか。

きょうはその中から、なかぴーセレクトの5冊を紹介させていただきますがお🐯 (*書いていったら6冊になってしまいました)

『釜石の夢 被災地でワールドカップを』(大友信彦/2015年/講談社)

 ワールドカップが開催されたら、もっとすごい試合が見られるだろう。釜石の人が見たことのないような、すごい戦いが演じられるだろう。それを見るために、世界中からたくさんの人がやってくるだろう。
 八年先なら、復興もきっと進んでいるだろう。今の小学生が高校生から大学生になっている。支援してもらったお礼を、子供たち自身の口から、世界に向けて発信できるだろう。
 ワールドカップができたらいいな。
 だけどやっぱり難しいのかな……。

 悶々としていた石山のもとに、新たな情報が届けられた。七月二日、東京・秩父宮ラグビー場に隣接するTEPIAホールで開催された2019年ワールドカップ日本大会に向けた「自治体連絡会議」の席で、ワールドカップを運営するラグビーワールドカップリミテッドのキット・マコーネル運営部長が、注目すべき発言を行ったのだ。

「ワールドカップの開催地はすべてが大きな都市の大きなスタジアムである必要はない。会場の設備やアクセス、ファシリティなどが開催基準を100%満たしていなくても、ワールドカップの試合会場とすることに社会的意義があれば、選ぶ可能性はある。
 たとえば、地震の被災地だ」

 会場でそれを聞いていたスクラム釜石のメンバーから、すぐにその情報が伝わった。瞬く間に、メンバーの間をメールが飛び交った。
「やってみよう」
「我々から、やりたいとは言えません」
 野田市長は、石山に対してそう返答しながら、違う言葉も付け加えた。
「我々からは動けないけれど、スクラム釜石さんや、釜石を支援してくださる方々が開催を呼びかける動きは、大いにやっていただいて結構です。やっぱり、ワールドカップを釜石でできたらいいなあ、という思いは私にもありますから」

2011年7月2日。ラグビーワールドカップリミテッドからの「ワールドカップの試合会場とすることに社会的意義があれば、選ぶ可能性はある」との発言。

画像1


それを受けて、その11日後の7月13日。東京から『ワールドカップ開催要望書』を携えて釜石へ向かったスクラム釜石のメンバーが、野田釜石市長から受けた言葉。

そして、7月18日。神戸製鋼灘浜グランドで行われたチャリティイベント『コベルコラグビーフェスティバル2011 ~Smile Again~ 神戸から笑顔を届けよう!』での、松尾雄治さんと平尾誠二さんのトークイベントでの発言。

画像2

平尾「釜石でワールドカップの試合があったら、僕も絶対に見に行きたいですよ。東北の支援について、今はいろんな人が『やらなきゃ』と言ってるけど、本当の支援はこれから十年二十年三十年続けていかないといけないこと」

2015年8月に刊行された『釜石の夢 被災地でワールドカップを』。
この本には、釜石での試合開催が決定する2015年3月2日までの物語が記されていますがお。

『釜石鵜住居復興スタジアム』(2019年/小学館)

画像3

画像4

釜石までのみちのりと、釜石のまち、山、海、川、美しいスタジアム、そして釜石のひとびと。

なにもない?
海も空も山も、ぜんぶあるじゃないか?

ぼくらのじまんのスタジアムと釜石のひとたちが美しい写真とともに紹介されてますがお。

・未来への船出/洞口留伊(釜石高校3年)
・この地でなければ生まれなかった、日本初のハイブリッド天然芝/平舘優(日本フィールドシステム株式会社東日本統括営業部長)
すべてを失った。けれど、今がいちばんしあわせ。/岩崎昭子(宝来館女将)
・山火事で焼けた木なんて、ふつうは使ってもらえないのに/高橋幸男(釜石地方森林組合参事)
・人を受け容れる懐の大きなまち/桜庭吉彦(釜石シーウェイブス ゼネラルマネージャー)
・震災のとき小学1年生だったぼくらは、この春から高校のラグビー部に入部する/涼くん・銀士くん(釜石東中学校3年)
・いいスタジアムですよねぇ。ほんと、海の目の前ですからね。大きな震災のあった場所。
そこにつくったわけですから、大変なことですよね。/伊達みきお(お笑い芸人・サンドウィッチマン)
・生きてさえいれば、かならずどこかで会えるから。/菊池のどか(いのちをつなぐ未来館職員)
・いまでも忘れられない、2011年3月11日のこと。/佐伯悠(釜石シーウェイブスFWコーチ)
・地元から。海外から。みんなに見守られていた職場。/熊谷康宏(大成建設株式会社作業所長)
・釜石のまちで、ともだちとラグビー。/琉綺亜ちゃん(釜石小学校6年)
・釜石の人たちだけでは、ここまでこられなかったと思う。/平松篤(文化タクシー株式会社代表取締役)
・河川敷で、ワールドカップ。それが東北であることの意義だと思った/長濱伸貴(神戸芸術工科大学教授/釜石復興ディレクター)

巻末には松瀬学さんの『みんなのフィールド・オブ・ドリームス』も収録されていますがお。

スタジアムブック「釜石鵜住居復興スタジアム」
ぜひご覧くださいがお!
#釜石鵜住居復興スタジアム #うのスタ #unostadium

『紅いジャージーの男たち―栗原達男写真集  鉄の町・釜石ラグビー』(1984年/講談社)

画像5

なかぴーの蔵書です。カバーが傷んでいる写真ですみません🐯

写真家の栗原達夫さんが捉えた釜石ラグビー部の写真の数々と部員の文章。

画像6

新人のころ、ぼくは当時の監督だった中西さんに、酒を飲みながらいろいろ教わった。22歳のときだ。
中西さんはこういった。
「おまえは、高校卒で5、6年目の選手と同じ年だ。彼らがしぼられてるときは、一緒に走れ。高卒が3本走ったら、お前は4本走れ」(森重隆)

画像7

「釜石のフォワードには長山時盛という男がいて、彼は私によく似ているので、町の人が間違えて、私が飲んでいると思ったりしているみたいなので、注意してください」
「自分の故郷で、好きなラグビーを続けられていること。それがいまは、何よりもうれしいことだ」
(洞口孝治)

画像8

「釜石に来て、もう9年になる。小学生のときから始めたラグビーだから、20年以上も楕円のボールを追いかけ続けたことになる」
「ただわたしは、ラグビーをとったら何も残らない生活というのは嫌だ。ラグビーがあるから、他のことは出来なくてもいいとは思わない」(松尾雄治)

絶版になっていますが、amazonなどで手に入れることができます。

画像9

画像10

かつての釜石の街の姿もみられますがお!

『釜石ラグビー栄光の日々 松尾雄治とくろがねのラガーたち』(上岡伸雄/2011年/中央公論社)

画像11

著書の上岡さんは学習院大の米文学科の教授!
小説の翻訳家としても有名な方ですがお。
学生時代にラグビーをしていて、釜石ラグビーに特別な思いを持っている方ですがお。
タイミング的には2011年の震災のあとの刊行ですが、それより以前に釜石ラグビー部OBの方々数十人にインタビューをしてまとめた本ですがお。

かつて陸奥(みちのく)に、とてつもなく強いラグビーチームがあった。おもに北海道や東北の無名の高校出身者を鍛え上げ、最先端のラグビー理論をいち早く取り入れて、強さと展開力とを併せ持つフォワードとバックスを作った。そして、そこにひとりの天才が加わることで、そのチームは常勝軍団となった。

玉木正之さんの書評もご覧くださいがお!

『釜石ラグビー 栄光の日々 - 松尾雄治とくろがねのラガーたち』
おすすめですがお🐯

『松尾雄治にもらった勇気』(馬場信浩/2003年/光文社)

画像12

こちらも絶版ですが、amazonやブックオフなどで手に入れることができますがお🐯

馬場信浩氏は、ごぞんじ『スクール☆ウォーズ』の原作である『落ちこぼれ軍団の奇跡』の著者ですがお。

松尾さんのラグビー人生、そして松尾さんだけではなく、個性豊かな釜石ラグビー部のメンバーたちのエピソードが満載。

なかでも石山次郎さんのエピソードは必読ですがお。

👆左が石山次郎さん。右が馬場信浩さん。

「ジロウ、お前は、あれが嘘だったのでは、と悩んでいたのか。俺が嘘なんてつくものか。お前の二人の娘に日本一だった父を、その無口な口を開いて語って聞かせてやって欲しい。俺がテレビで紹介するとき、よくもらす台詞のように、『お父さんは、昔、ちょっと知られたラグビー選手だったんだよ』って」

書名の『松尾雄治にもらった勇気』。この勇気をもらったのは誰だったのか。ぜひこの本を手に取ってくださいがお🐯
釜石ラグビーにご興味を持ってくださっている方には、イチ押しでおすすめの本📚ですがお。


他にもたくさんの方々が釜石ラグビーを題材にした書籍を著してくださっていますがお。
以前にもいくつかなかぴーTwitterで #釜石ラグビー本 とハッシュタグをつけて紹介させていただいていますので、ご参考いただければ幸いですがお🐯


あ・・・。やっぱりあと一つだけ。
この本も紹介させてください🐯

スポーツ・ノンフィクション選『熱狂のアルカディア』(藤島大/2008年/文藝春秋)

画像13

「釜石」×「藤島大」という🔥熱すぎる🔥組み合わせですがお。
Numberに大さんが執筆された記事を集めた単行本ですがお。
この中の一編として、
~岩手県釜石「前衛思想としての新日鐵釜石」~
が収録されていますがお。

画像14

1987年度から7シーズン。ラグビーとは、すなわち「釜石」だった。
東北の無名高校生が港町の製鉄所に集結、全国を制し、世界に触れ、やがて、寒くとも暖かい職場へ帰る。
スクラムからのぼる湯気。頬をそぐ氷の粒。素朴な笑顔と一杯の酒。国立競技場にゆっくりと揺れた大漁旗。
釜石は、東京の役人にも、大阪の商人にも愛された。関東のチームを無差別に襲う花園ラグビー場の野次が、憎らしいほど強い北の鉄人だけは素通りした。
ストーリーはもうずいぶんと綴られてはいる。
厳しい風土。有名無名戦士たちの偉大なる個性。鉄は国家なりの盛衰。栄光と蹉跌。

本を見ながらPCでタイプしているだけで、私自身が藤島大さんになったような錯覚を覚えましたがお(笑)。
それと同時に、なぜでしょうか。ちょっぴり泣けてくるような気持ちも。

あのV7から30年、いや、まもなく40年が経とうとしています。
藤島大さんも「ストーリーはもうずいぶんと綴られてはいる」と本文中に書いている通り、「釜石の強さ」の理由はすでに語りつくされているのかもしれませんが、今一度、振り返ってみていただければ幸いですがお。

#釜石ラグビー本