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デモ

デモって悲しい話ですよね
外交と内政で板挟みの政府と国を思う国民の衝突
政府だって国民を苦しめるような政治したくないに決まっている。でも、外交が不安定で経済まで不安定になれば結果的に国民を苦しめることになる。だからやむを得ず内政を犠牲にする。すると民衆の蜂起が始まる。民衆の中にも過激派というのはやっぱりいて無差別に暴力で壊したり傷つけたりする。これも表現の1つと捉えることもできるだろう。でも政府としてもそんなのたまったもんじゃない。だから警官隊を導入する。そして始まる警官隊と過激派デモ隊との衝突、
政府だってタダでデモを受け入れるわけにはいかない
でもだんだん白熱していって警官隊も穏健派にさえ、手を出すようになる。警官だって人間なのだから暴力の渦中にいるのは相当の恐怖ですし、自分だってやらなければやられるかもしれないし、上の人の指示だとしたら今度は自分や周りの人がどうなるかもわからない。これらを考慮すると一部の例(暴力を快楽とする人間等)を除くと一概にどちらが悪いとも言い難ふないですか?

**元を辿ってみましょう **

そもそもなぜ外交に圧迫されることがあるのか?
それは相手にする国も同じく国だからだと思います
国ならば当然自国が一番大切ですよね。都市部の発展はもちろん出来る限り貧困も抑えたいはず、だから立場的に弱い他国に圧力をかけることがある
なら性善説に基づいてもデモは起こり得ますよね。
じゃあ何が問題なのかというと上述の通り蜂起した民衆の表現の仕方だと思います。
暴力に頼られると対話だけで終わることはないですよね。傷つく人が増えてしまうから
だから暴徒を武力で抑える。仕方がないとしか言えないですよね。

では

国会や内閣とそれに属さない一般市民とが継続的な対話をする場所が設けられるとこのようなデモもなくなるのではないでしょうか?というのが僕の今回の結論です!一般の民衆からしたら政治をする人達はみんな同じ集合隊に属してるイメージがまだ強いのではないでしょうか?

前回の投稿も見た方は僕が右翼寄りの思想を持っているように思われるかもしれませんが、僕は性善説信者なのでそれに従って政治のあり方とかについて考えての考察を書いてるだけなので僕には右も左もありません( ̄▽ ̄)
でも安倍首相のようにたくさんの批判を浴びるような為政者でも、彼なりに国民を思っての政治をしているのではないかと僕は思ってます。無駄遣いに見えるのもきっと外交の一部なのでは?と思ってます
#デモ #香港 #お金 #政府 #外交 #政治 #民主主義

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