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モルディブ生活記3🇲🇻

まさか新しい年齢の初めをここで迎えるとは思わなかった。これも何かの結果だろう。人間は数多くの選択をしている。小さなものから大きなものまで。その選択の結果が「今」ということになる。そう考えると、私のしてきた選択はあながち間違ってはいなかったのかも知れない。

モルディブでの日々はある意味新鮮であった。島が小さいからか、どこに行っても海を感じられる。そしてところどころ現れる「イスラム教」の存在。この感覚が実に不思議であった。ただ、物価の高さや、飛行機移動しかできないことを考えると、長居はしにくい国であった。
そう。私は次の国に向けて準備を進めていた。

次の国は言わずと知れた「イラン」誰もが聞いたことのある国だと思う。しかし、行ったことのある者はそこまで多いという印象はない。どうしても「危険」というイメージが付いて回っているからであろう。この謎も行ってしまえば簡単に解けることなのだが。

モルディブのねっとりとした熱気にも慣れてきたと同時に私はここを出た。今回の移動時間は2回のトランジットを含めた約36時間に及んだ。航空券代も今までに比べてバカみたいに高くなってしまった。長期旅行者としてはやっては痛い出費ではあったが、それ以上の魅力があると私は信じていた。いや、祈っていたと行ったほうが正しいかも知れない。

早朝に宿を出る。まだ涼しいとはいえ、南国の朝だ。少し歩いただけで身体は汗で染みてしまった。インドのような喧騒さはないが、この国も独特の雰囲気を放っている。朝から道を塞ぐように走る数々のバイクや車がそれを物語っていた。20分ほど歩きフェリーターミナルに到着した。ここからはもう目と鼻の先だ。滞在中最も大きいと思われる波に揺られながら、真っ青な海の中を進んでいく。まるで飛んでいるかのような錯覚さえできてしまうのだから恐ろしい。

空港に着くと心の中で別れを告げてまずはATMを探した。どこまで認知されているかは定かではないが、この記事を読んでくれた人のために少しだけ情報を載せておく。モルディブには2つの通貨があると思ったほうがいい。1つはモルディブ独自の通貨「ルフィア」そしてもう1つが米ドルだ。いわゆるリゾート島は基本的に「ドル」か「カード」払いになる。「ルフィア」を使うことはほとんどないと言っていいだろう。むしろナンセンスだとも思う。
しかし、ローカル島に行くのであれば「ルフィア」は必須だ。ローカル島もドル表記があり、どちらの通貨も使うことができるのだが、いかんせんレートが悪い。おったまげる様なレートを見ることもあった。もしモルディブに行く予定がある方はこれは頭に入れておいたほうがいいだろう。残念ながら「円」は使えないし、円からルフィアへのダイレクトの両替はできない。全く使い勝手の悪い金だ。

なぜ私がATMを探したかというと「ドル」が欲しかった。基本的にはあちらこちらにドルを隠してはいるのだが私が向かうイランはアメリカからの経済制裁を受けている関係で、国外のATMはおろか、クレジットカードさえも使えない。日本円なんかはイランではただの紙切れだ。イランに行くためには米ドルかユーロが必須で、この2つしか基本的に両替ができない。もしこの2つがなければ詰んでしまう訳だ。したがって、私は「ドル」を増やしておく必要があった。

タイミングよくモルディブは「ドル」を使う国であったので颯爽と入手して気分良く向かおうと思った。
しかし、そううまくはいかないのが旅だ。まずドルが下ろせない。どのカードも使えない。理由は不明だった。しょうがないので諦め、経由地で入手することにした。すでにチェックインが始まっている長蛇の列に並び時が過ぎるのを待つ。周りからは好奇の目で見られていただろう。なんせハネムーンの地にアジア人が1人でいるのだ。周りを見渡してみても、いわゆる外国人の単独旅行者は他に見当たらなかった。

やっときた私の順番。どのくらい滞在するか。ビザの有無。いつもと変わらない質問に繰り返し答える。そのあとに出国のチケットはあるか。私はバスでアゼルバイジャンに抜けたかったのでその趣旨を伝える。大使館もテヘランにあるのでなんら問題はないはずだった。最初は「OK」と簡単に物事が進んでいたのだがなぜか様子がおかしい。いつの間にか偉い人らしき人物までが登場している。イランでアゼルバイジャンのビザが取れることと、バスが出ていることを伝えてもなぜか反応が悪い。すると、出国のチケットがないと乗せられないという。「あ〜面倒臭い」彼らの難しい単語を使った英語を聞き取るだけでも一苦労なのに、私が問題ないことを伝えるのはさらに苦労する。押し問答を繰り返すも、うまくはいかない。時間は刻々と過ぎて行く。何度話しても航空会社としては乗せられないとその一点張り。相手の言いたいことは痛いほどわかる。日本初のフライトに乗るときも同じように出国のチケットの提示を求められる。これが自由な旅をしにくくさせていることを彼らは知らないのだろう。しかし、そんなことを言ってもしょうがない。私たちは少数派であり、彼らの言っていることのほうがよっぽど正しいのだ。渋々その場で航空券を取得する。なんだかんだで1時間は押し問答を繰り返していた。ふと時計をみると出発まで30分しかない。これからまた長蛇の列に並ぶと思うと、非常にまずい事態が起きるような気がして平気ではいられない。なんせ高級な航空券なのだ。私は列の先頭にまでなんとかお願いして入り、無事に航空券を手に入れた。しかし、残りは15分しかない。この時だけは周りの目なんて一切気にせず空港を走り回ることができた。イミグレーションは長蛇の列。そこに滑り込むように先頭までいき、欧米人に前を譲ってくれないかとお願いした。彼は快く応じてくれた。残り10分を切っていた。出国の審査官も私が急いでいることに気がついたのだろう。何も見ることなくスタンプを押してくれた。荷物検査も列の先頭まで走り横からダイレクトアタック。残り時間5分。すでにラストコールは終わっている。無事に荷物検査もくぐり抜けゲートまでを走る。しかし、そのゲートがまた分かりにくい。私は勘を頼りに走った。着いたのは小さなカフェだった。
「クソっ」そう一言だけ言ってまた走った。やっと見つかったゲートに乗客はいなかったが、私を待つかのようにクルーが3人待っていた。出発時間ジャストの出来事だった。なんとか飛行機に乗ることができたが、暑くて暑くてどうしようもない。見かねたCAが水をくれた。隣に座っていた女性はりんごジュースをくれた。いい思い出になった。そして飛行機は真っ青な海をまたぐ事になった。

ここまでで体力と精神のHPのほとんどを使っていた。

着いたのはスリランカ。機内サービスが悔しいくらいによかった。私の搭乗を拒否しようとしたくせに。まるで赤ん坊のようなことを思いつつ、いつも以上に空の旅を楽しんだ。1回目のトランジット。もう慣れたものだ。トランジットビザも事前に入手していたおかげで素早く完了。ただ時間がすぎるのを待った。少し外に出たが、テロの影響があるのだろう。大量の警察がいたのが印象に残った。荷物チェックも入念。そんなことは関係ないかのように鳥のさえずりが綺麗だったのが唯一の思い出だ。本当は訪れたかった国だったので、実に悔しさも残るトランジットになった。2回目の飛行機。これもまた実にいい飛行機。オマーン航空を使用したため、機内の映画から日本語が消えた。吹き替えはおろか、字幕さえもない。渋々英語で見る。残念ながら理解には程遠い結果になった。しかも両サイドには超大型巨人。私は身を屈めて寝た。

気がつくと砂漠地帯の上空にいた。景色が一気に変わっていた。