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ベトナム生活記2🇻🇳

私は今ベトナムの中部「ダナン」にてこの記事を書いている。3月になって新生活の訪れがすぐそこまで来ていることを感じるとともに、自分の人生について深く考える時間が増えた。一体私は1年後何をしているのだろうか。まだ生きているのか。もしくは何か新しいことにチャレンジしているのか。それともどこかで沈没してのらりくらりしているのか。そんなことはまだ誰もわからないのだが、考えてしまうのが人間の定めだ。「知能」がもたらした唯一の欠陥は「マイナス」なことも考えてしまうことかもしれない。

さて、私はホーチミンに居たはずなのだが、あっという間に中部まで移動した。なんてことはない。そんなに面白くなかったのだ。住みやすいとは思う街だ。さすがベトナム1の都市と言われているだけのことはある。なんでも揃うし娯楽も充分だ。酒も飯も困らない。しかし、私にはハマらなかった。
なんせ私は田舎育ちだ。多すぎる人々も、たくさんの車やバイクも、深夜まで賑わうストリートも新宿や渋谷にいる気分になる。リラックスというのはそこで味わってきたわけではないのだ。

さて、そんなこんなで中部のダナンに来たのだが、ここはどうだろうか。昨今観光客が増加傾向にあるという話も聞いていた街だ。
観光客も確かにチラホラ見るが、ホーチミンのそれとは全く違う。穏やかなまちだ。車の量も空気も穏やかだ。私は好印象を持った。何よりも海が近くにある為潮風が私の心を踊らす。潮の嫌な匂いもなぜかリラックスさせてくれる。
それだけ大都市にいたという事だろう。日本にいても毎日新宿や渋谷、いわゆる都内にいるのは得意ではない。そんな私だからこそマッチしたのかもしれない。

海でのんびりする時間も、バイクを走らせていく田舎の食堂も好きだ。そんな街なのだが近くには世界遺産やビーチがあって住みやすさも問題ない。
もしベトナムに住むような人生を送るのであればここ「ダナン」を選ぶだろう。

さて、そんな話はさておき、少しこんな話をしようと思う。私たち日本人と外国人の違いについてだ。
私はまだ2ヶ月程度しか外に出ていないが、大きく感じる違いがある。
それは

「時間の使い方」だ。

時間の使い方といっても毎日の過ごし方など、こんな短期間ではわかるはずない。
では何か。自由な時間の使い方と言った方がいいだろうか。
私は基本的にはゲストハウスと呼ばれる安宿に宿泊している。そこにはたくさんの国籍の人間が集まる。それだけ多くの文化や習慣を垣間見ることができる。これは1つメリットと呼べる。
私たち日本人は基本的に事前にスケジュールを組み、観光都市や、自分たちの行きたい、見たい、やりたいことを隈なくやっている者がほとんどだ。素晴らしい時間の使い方だと思う。
しかし、彼らは少し違う。もちろん同じような時間の使い方をしている場合もあるが、時に本能のままに過ごしているように見えるのだ。

こんなことがあった。今回ビーチに行ったのだが、とある日本人観光客はビーチに来るなり、写真と動画を撮影したのちすぐに次の観光地へ足早に向かって行った。それに対し、とある日本人ではない観光客はぼんやり水平線を眺めながら本を読んだり、何もせず海を眺めているだけで、それ以外に何もないのだ。ただ「海」が好きと言われればそれまでかもしれないがすごく対照的な光景であった。
アンコールワットがあったシェムリアップでも同じような光景を見た。ある女性は1日プールサイドにいるのだ。何をしているのかと言われると答えに困るくらいなほど何もしていない。いや彼女の中では何かしているのだろうが日本人の私には全くわからなかった。

私はよく外国人と話す時「何日いる予定ですか?」「どこにいく予定なのですか?」と聞く。一番多く聞く答えは「わからない」だ。「気が向いたらどこかへ行く」と答えられたこともある。
その反面日本人はすごく細かく決まっているパターンが最も多い。決して悪いと行っているわけではない。
ただ、なぜ、そんなに生き急ぐのか「不思議」に思うことがある。

確かに「時間」は有限だ。そして唯一「平等」だ。

だからこそ、たまには自分の本能のままに生きていくことも必要なのではないだろうか。言葉で表現するのが非常に難しく、今この記事に向き合いながら頭を抱えていることも理解してほしい。

文化の違いや習慣の違い、国民性の違い、理由は様々あるだろう。仕事量や取れる休暇の数も違うだろう。世界的に見てもおそらく日本人はよく働くし、休みも少ない国だ。日本人こそ、もう少し自由な時間を「自分の本能と向き合う時間」に当てるべきなのではないかと感じるのだ。部屋の使い方や身の回りを見てると、日本人はマナーも良く綺麗に何でも使う。「思いやりの精神」「気遣いの文化」がこんなにも素敵な文化だということを海外に出て改めて感じたのは言うまでもない。

しかし、どうだろうか。思いやりも気遣いもフォーカスが常に相手なのだ。だから他人の目が気になるし、インスタ映えなど他人に評価されることに快感を得ているのかもしれない。

もう少しフォーカスを自分に向けてみればいいのではないか。自由な時間の使い方一つとっても日本人は忙しい。たまには気が済むまで海で考え事をしてみるのも良い。忙しい日本人だからこそ、そんなことを思う。相手を思う素晴らしい文化や習慣があるからこそ、自分を大切にするべきなのだ。自分が壊れてしまってはきっと相手のことなど何も考えられないだろう。こんな時くらいいいじゃないか。好きに生きたって。


そんなことを思う私は忙しくない日本人だということをここに記しておく。