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イラン生活記10🇮🇷


気づけばイラン編だけで10記事も書いてしまっている。それほどまでに有意義で濃密な時間であったことを理解してほしい。

翌日は案外すっきりと目が覚めた。昨日の疲れも多少はあったが、それ以上に今日の楽しみが大きかった。ラマダンのシーズン。しかし朝食を振る舞ってくれる家族。たくさんの親戚もきてくれた。たった一人のために10人以上が集まるこの習慣はゲストとしてはこの上ない幸せだ。中には忠実に信仰を守る方もいた。私は少し気まずさを感じながら食事をとった。彼らにとってはこれが普通の生活なのだ。信仰に対してはあくまで個人の自由が尊重されている。公の場では違うのかもしれないが、プライベート空間ではその信仰度の違いを顕著に見ることができた。

私が美味しい美味しいと言っていると皆が喜んでくれた。皆が「今夜のディナーうちにおいでよ」と誘ってくれる。ただの旅行者がここまでの待遇を受けていいものなのだろうか。そんな気持ちとは裏腹に「よろしくお願いします」と言っていたのが私の本来の気持ちだったのであろう。

食事を終えると、彼は近くの庭園に連れて行ってくれた。鳥の動物園みたいな場所だ。入場料はここのオーナーが彼の知り合いらしく、無料で入れてくれた。オーナーもまた日本人と聞くと喜び例のごとくあの言葉を私に向けた。

正直その庭園に大した魅力はなかった。正確には鳥にあまり興味がない。ただ孔雀がいたので、じっと羽を開くのを待ったが、私を弄ぶかのように開きかけると羽を閉じるという動作を何度も繰り返していた。
私は腹が立ったが、しょうがないので落ちている羽を拾い上げその鮮やかなブルーを見て満足するしかなかった。綺麗な羽だった。しかしその後ろに広がる空はもっと青く、大きかった。

彼らは次から次へと私をもてなしてくれる。彼の兄は私のために仕事を早く切り上げ駆けつけてくれた。そしてまた彼らのオススメの店に連れて行ってくれた。もちろん美味しかった。そのあとに彼の従兄弟の家に行きディナーを食べた。明らかに私のお腹は大きくなっていた。でもこれが目に見える幸せの指標だと考えるとそこまでの嫌悪感はなかった。ディナーの後はイスファハンの夜景を見た。またピクニックだ。人生で最も美味いと感じたチャイをまさか2日連続で飲めるとは思っておらず、勢い余って一気に飲んでしまった。その姿を見て皆は笑ってくれた。
ダンスも踊った。いや踊らされた。「イスファハン」の夜景を目の前に踊る即席のダンスはダンスと呼べるものではなかったかもしれないが案外恥ずかしくはなかった。それ以上に私の知っているダンスが「盆踊り」のようなものしかないことに少々驚いたくらいだ。
みっともないダンスでもその場の空気が一体になる気がして私は踊り続けた。そして皆で草むらに横になった。空に映る星は夜景と同じくらい輝いていた。

帰る頃にはまた2時を回っていた。ラマダンの影響かこの時間でも飲食店が営業している。だからこそ時間の感覚が少しづつズレてくる。私は明日テヘランに戻らなくてはならない。

帰りに羊の頭を買った。これはお祝いなどで食べるものらしい。私の門出を祝い食べさせてくれるという。彼の兄は「ランチは家で食べろ」という。仕事を休んでくれるみたいだ。私はその全てが嬉しかった。刻一刻と時間が過ぎていく。私はこの過ぎ去っていく時間をどうにか止めたかったが、時間は私を置いていく。止まってはくれなかった。私は仕方なくその時間にぶら下がることしかできなかったのだ。

時刻は3時を過ぎていた。もう眠ることなんて簡単だった。残された時間を考えると眠るのももったいない気がした。しかし次にこの世界を見たときは既に強い日差しが差し込んでいた。

キッチンからは羊の匂い。少し生臭いがそれがまたどこか食欲をそそる。
目の前に出て来た一見「グロテスク」な朝食を彼の母は手で解体し始めた。舌を切り、顔の皮を剥ぐ。頭をぶち破り脳みそを引っ張り出す。そこに一つも無駄はなく、骨以外の全てを胃袋に閉じ込めた。栄養価が高く、一食でカロリーオーバーだと彼らは笑っていたが、その足で彼の兄の家に向かった。そこでもランチが準備されていた。久しぶりのライス。ペルシャ料理の定番だ。胃袋にどんどんと放り込む。膨れていくお腹。減っていく時間。私は無我夢中で食べた。話した。

時間が迫ってくる。時間とはやはり有限だ。どう足掻いても戻ることも進むこともできない。私たちは「今」という時間しか生きることができない。悲しいが私はテヘランに向かわなくてはいけない時間がきてしまった。

イランに来た時よりも荷物が増えた。

彼らが別れ際にたくさんのプレゼントをくれた。私に対してはもちろん、出会ったことのない私の家族の分まで。そして何よりもたくさんの気持ちを頂いた。私がバスに乗り出発の直前まで彼らは車内にたくさんのプレゼントを届けてくれた。

彼らは最後まで「イランにまた来てくれ。家族を連れておいで」そう言ってくれた。バスで出会っただけの若者にここまで助けられた。これがイランのスタイル。いや、私たちも学ばなくてはいけないスタイルなのかもしれない。人種や国籍、言語そんなことを除いて同じ人間を「助ける」という彼らに根付いている感覚。皮肉にも世界から危険と謳われているこの国が最も私を助けてくれた。これが現実なのだ。自分の目で見て感じてやっと理解できることがある。私はそれを知れただけで外の世界に飛び出した甲斐があったと思う。世界に出ても何も変わらない。どこかの世界を救うなんてこともできない。しかし、彼らの生き方を見ていると隣にいる人物を助けることがまず私たちに与えられた使命なのではないかとも思う。そこで出会った者。家族。友達。きっとその先にもっと大きな成果があるのだろう。

私はパンパンに膨れ上がったバックと彼らとの出会いを経て大きく暖かかくなった心を抱え私はこの地を後にすることになった。