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モルディブ生活記1🇲🇻

今になっては少し名残惜しいインド。なぜかインドの喧騒とした雰囲気と、圧倒的な格差、そこに住む人々の表情、そして何よりも人との距離感の近さ、優しさ。そこにいつの間にか魅了されていたんだと思う。もちろん面倒なこともあったし、しつこい奴もいた。適当なことを言う奴も多いし、明らかにぼったくってくる奴もいた。でもそれもインドの本来の姿であって、決してなかったことにしてはいけない。私はそう思う。

そんなインドを背に私は次の国へ向かうのであった。そう次はインドからわずか1時間ほどで行くことが可能な国「モルディブ」言わずと知れたハネムーンの定番の国だ。
いざ空港に降り立つと、小さな小さな空港。出口の先にはリゾート地に向かうためのたくさんのピックアップスタッフ。皆が客の名前の書かれたボードを持ち、笑顔で待っている。

そんな中に大きなバックパックを背負った私は1人。迎えなどはもちろんいない。事前に予約したホテルまで自ら向かわなくてはならない。ジメッとした潮風が身体中を纏う。インドも暑かったが、ここの暑さは少し苦手だ。湿度が高く、気持ちが悪い。ただそんな気持ちもフェリー乗り場まで行けば一瞬にして消え去った。目の前に広がる真っ青な海。まるでアニメのような綺麗な海だ。しかしここはまだ空港の目の前。多くの人が行き交い、決して綺麗とは言えないはずの場所なのだ。この時点で不安というのは消えていたのかも知れない。

フェリーに乗り込む。バックパッカースタイルが珍しいのか、皆が私に興味を示しているのがよくわかる。「そんなにマジマジと見るな。」そんな気持ちを込めて笑顔で「Hi」と声をかけた私はやはり日本人なのかも知れない。

私はフェリーが好きかも知れない。タイのピピ島に行ったときもフェリーに乗っている時が一番気持ちが良かった。風を感じながら海の上に立っていることで「生きてる」「ここにいる」と、そう実感できるのだ。いろんな乗り物があるが海の上はとても良い。
空港島から現地人の住む「マレ島」まではわずか10分ほど。その10分の中にモルディブの魅力がたくさん詰まっている。近づくにつれてはっきりと見えてくる「HITACHI」の看板。ビルのような建物が綺麗に並んでいる。そこにはリゾート地にはないリアルな生活が待っている。そう確信した。

フェリーを降りるとまず出迎えてくれるのがたくさんのバイク。ベトナムも多かったが、それに匹敵する量だ。唯一違うのはクラクションが少ないこと。これは東南アジア、インドとうるさい街並みに嫌気がさしていた私にとっては大きな救いであった。マレ島は小さな小さな島。1時間も歩けば余裕で1周できてしまう。そんな島にほとんどのモルディブ人及び出稼ぎに来ている外国人労働者が住んでいるのだから、その人口密度は半端ではない。とにかく人とバイクと車。この3つがひしめき合う。これがリアルだ。道を通るのにも一苦労。重すぎるバックパックを背負いながら進むこの狭き道は、今の私の心情を映し出す鏡のようであった。

2.5㎞ほど歩くとやっと到着。近くて助かった。そう思ったが、よく考えるとここは島の端に位置する場所。簡単に横断してしまった。これもまたリアル。

イスラム教の国であるため、女性はスカーフを頭に巻いている。お祈りもしている。しかし、そこまで厳格ではないのか、想像していた以上に皆自由で、ファッション性も感じられる国だ。何よりかっこいい男が以上に多い。今まで訪れた国の中でも圧倒的ロン毛率の高さ。そしてそれがまたかっこいいのだ。まさに南国とも呼べる男前な国なのかも知れない。どこに行っても髪の毛が靡いている。サングラスを掛け、バイクを走らせるその姿は、まさに映画のワンシーンのような美しさまで感じた。

そんな現地人に見とれているとあっという間に日は落ちてしまった。海はいけない。明日行く予定のローカル島のフェリーチケットだけ手配して今日のミッションは官僚と言いたいところであったが、そううまくはいかないのが旅だ。なんと金曜日が休みのこの国は金曜日のフェリーがないという。生活基盤がある島とのフェリーのみ運行だという。次にフェリーが出るのが土曜日の午後。間違いなくいけない。当然ガッカリした。一喜一憂していると疲れるが、一喜一憂できるのが海外だということも忘れてはならない事実。私は思い切り頭を抱えた。流石の受付の人も笑っていた。

まあこうなったら考えよう。これもローカル島にきたからこそ出会えたトラブルなのだ。きっとリゾートではそんなことは経験できない。なんとか自分で自分を正当化してみた。宿のスタッフにも聞き込みをし、次の日の予定を立てた。目的地は「ヴィリンギリ島」人で溢れかえったマレ島からの分散を図るために存在する小さなベッドタウンくらいに思ってくれた方がいいだろう。そこのビーチは綺麗で現地人が休みの日に足を運ぶというのだから間違いないと私はそう信じた。

気がつくと時計は12時を回っていた。5月3日。日本で騒がれているGWもあと少しで終わってしまう。私にはその悲しさも、寂しさも、ましてや日常に戻らなくてはならないなどという憂鬱感さえない。ただ唯一あるのはふとした時に感じる孤独感。景色も料理も何も共有できない少しばかりの寂しさ。写真では伝えきれない景色の流動感。いかにインターネットが普及しようも、いかに映像の解析度が進化しようも自分の目を使って見る景色とそれらは大きく違う。だからこそ、独り占めできるという優越感とともに、自分の中にしか収めることができない孤独感を感じているのだろう。

これもまた、旅の醍醐味なのかも知れないのだが。

私は少し何かを変えようと思った。