11月が近づくと思い出すこと。

大好きなおばあちゃんの日記は、


「やっぱりさみしい、涙がでる」


で終わっている。



日付は10月の半ば。



その1ヶ月後、

おばあちゃんはくも膜下出血で倒れて、

一度も意識が戻らないまま、死んでもた。



「やっぱりさみしい、涙がでる」

私の人生に、

この言葉はずっと刺さったまんま。





おじいちゃんの四十九日が終わって

落ち着いたのが、

9月の、

少し日差しが落ち着いてきた頃。



そこで親戚みんな、ほっとしていた。

日常に戻りはじめることができていた。

おじいちゃんと二人暮らしだった

おばあちゃん以外は。




11月。

学校の創立記念日の数日前。



私はおばあちゃんのことをふと思い出して、

「なんかおばあちゃんが心配やから、

今度の創立記念日に行ってこよっかな」

とお母さんにそう話していたら、



高校の仲良しグループの子たちから

ちょうどメールが届いて。



創立記念日は平日やし、

みんなでユニバ行かへん?




その頃まだユニバに行ったことがなくて、

お母さんに言ったんよ。



「どないしよ!ユニバ誘われた!」って。

でもおばあちゃんも心配やし、

お金も高いしどうしようって。

(高1の私にとって、ユニバは高額すぎる娯楽だった)



「ユニバを平日に行けるなんて

もう滅多にないし、

せっかくお友達が誘ってくれたんやから、

行ってきたらいいやん。

おばあちゃん家はいつでも行けるし、

また週末にでも行けば」



「そやね。

土曜バイトやから、

日曜に行ってこよっかな」




でも違うかった。



もうない、

は、おばあちゃんの方やった。




火曜日の創立記念日に

ユニバで撮った写真は、

大人になっても

コルクボードに貼り続けるほど、

楽しい思い出になっている。




土曜日、


バイト行く直前にかかってきた電話は、


おばあちゃんが救急車で運ばれた

っていう連絡やった。





なんで行かへんかったんやろう。




ちゃんと思い出したのに。




もし私が、

火曜日におばあちゃんと会っていたら、



「実は頭痛がするねん最近」

「病院行っておいでや、ついてってあげる」

と言えたかもしれない。



頭の線が切れる前に、対処できたかも。




もし私が、

火曜日におばあちゃんと会っていたら、



「今日は孫が会いに来てくれた」

っていう日記が、

追記されていたかもしれない。




寂しいなんて言葉で、

終わらへんかったかも。




ちゃんと、思い出したのに。



大事なものが何かを見誤って、

永遠に失ってしまった後悔は

10年経っても尾を引いている。




大事な人に、

寂しい想いをさせてしまったことが、

辛くて悲しくてたまらない。



だから、

大事な人の日記が、

涙の跡で終わらんように。



日記を書いていないなら、

大事な人の心の最後が、

寂しいなんかで終わらんように。




私が、

人と会うことを大事にして

生きているのには、

そういう理由が、あるんです。

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