チカミチ公園にて。


最寄駅から自宅まで、

自転車でだいたい7分。


出口からすぐにある

大通り沿いに歩くのが

わかりやすい道順だけれど、


その大通りから3本向こうの、

静かな住宅街の道を使うのが、

地元の人たちの定番コース。



更に、

その住宅街の中にある十字路の

一辺にある小さな公園。

その公園を「近道だ」と言い切って

斜めに突き進むのが、

この街に長く住む人のお決まりだった。



小さな砂場と質素な滑り台、ベンチ。

それ以外何もない殺風景な公園。


移動距離のショートカットでしか

ほとんど使わなかったその場所を、

私たちは「チカミチ公園」と呼んでいた。





そんなチカミチ公園を



近道ではなく、



寄り道として通るようになったのは、

いつからだっただろう。




あるときから、

キョウヘイと私は、

夜のチカミチ公園で、

一緒にベンチに座って話し込むのが

当たり前になっていた。



最初は偶然。

会社帰りの、

通りすがりで。



私の自転車のライトがたまたま、

公園のベンチにしゃがみ込んでいた、

キョウヘイの持っていたビール缶に

反射しなければ、


「何してん?」


と声をかけることもなかったと思う。


高校の卒業以来だっただろうか。



スーツ姿こそ新鮮だけれど、

顔や髪型、持っている鞄さえ、

学生時代と何も変わっていない。



うつむいていたキョウヘイの表情は、

私の声に気付くとパッと明るくなり、


「お前こそ何してん!」

「久しぶりやな。今なにしてるん?」

質問で責めてきた。



どう見たって

「何かあった」風の彼にすぐ、

「じゃあ、バイバイ」とも言いづらく、


「おごるからコンビニに行こう」

という提案を素直に受け入れ、

向かい側にあるコンビニへ入った。


「ビールは苦手だから」と言うと、

アイスを買ってれて、

そのまま並んでベンチに座り、

彼のヤケ酒の理由を永遠聞いたのが、


私たちがこの公園で一緒に過ごした

最初の夜だ。



その時間が、

やけに楽しくて。



その日はキリの良いところで

バイバイしたのだけれど、

内心は

「また話したいな」

と思っていた。



それは向こうも同じだったようで。



(自分の「楽しい」と同じ温度で相手も「楽しい」と思ってくれているのは、非常に心地がいいものである)


それ以来、


彼がヤケ酒を飲むときは決まって

その公園のベンチに座るようになり、


一方私は、

その公園を通るときは

必ずベンチに視線を落としてから、

通り過ぎるようになった。



ベンチに人影があれば、

私はちょっと進路を変えて近づき、


「あら、奇遇ね」という雰囲気で、


「キョウヘイさん、どないしたん?」

缶ビールを持った人影に声をかける。


すると向こうも、

「おや、奇遇やね」

という調子で顔を上げ、


「あれ、ヒトミさんやないか」

と返してくる。



私たちがここで会って、

いくらかの時間を座って過ごすのは、

定番だけど、決して約束ではない。

いつだって「おや、偶然」を装っていた。




別に話す内容は大したことじゃなくて、

その日、仕事で何をしたとか、

この間偶然見た同級生が

すごいことになっていたとか、

くだらない、なんてことない、日々の話。


最初のうちは、

当然のように、

隣へ腰を下ろすことを躊躇して、

一応、

遠慮する素振りを見せたりもした。


するとキョウヘイはいつも、

「まぁそう、すぐ帰ろうとするなよ」

と、コンビニでまたアイスを買って、

隣で腰を下ろす理由を与えてくれるのだ。


そのうちに私は、

何の遠慮もなく、

隣に腰掛けられるようになった。



毎日じゃないけど、

だいたい毎日、そんな感じ。




飽きもしないで、

同じような話ばかり繰り返していると、


あるときから、

キョウヘイの会社で、

年が一番近い先輩の「キベさん」は、

子供が2人いて、

お小遣いが月に8千円で嘆いていること。


もうひとつ上の先輩「ワタナベさん」は、

離婚して一人暮らしで、

なんとパッチワークにハマっていること。


他にもいろんな、

彼の日常をすっかり覚えてしまっていた。


「今日はキベさんのお弁当、おかずついてた?」


本当に、くだらない話。


私たちは1日の出来事を

家族に話すよりも先に、

この公園で報告しあっていた。




たまには二人で昼間に映画を見たり、

気まぐれにドライブに行ったりもしたけれど、


私たちはこのチカミチ公園での時間が、

いちばん居心地よく感じていた。



夏になると蚊に刺され放題で、

冬が近づと手や鼻はいつもかじかむ。


季節の移り変わりによって劣悪になる環境に

文句を言いながらも、


「何してんの」

「おぉ、どないしたん」

の偶然を装って、

何度も何度も、季節を越えた。



あんまりにも長い期間、

同じ偶然が繰り返されてきたので、

それがなくなるなんて、

考えたこともなかった。



ずっとこの風景が続くものだと。






だけど

終わりは、

彼の出張によって訪れる。




その話がで始めていたのは、

もう半年も前だったらしい。



私が聞いたのは、

出発の一ヶ月前だった。




そういえば随分前に

「もしかしたら出張の…」

という話をしていたようにも思う。



だけどあれは、

キョウヘイ本人もまだ自覚が

これっぽっちも芽生えていない段階で、

具体性も何もない話だった。



いつの間にか本格化して、

知らぬ間に結論を出していたキョウヘイ。



その話を私が聞いたとき、

彼はもう「決めて」いた。



私がそれを止める権利など、

どこにあるのだろうか。



彼が悩んで決めた答えを、

「寂しくなるね」と、

寂しくなさそうに

答えるのが精一杯だった。



寂しそうにしたところで、

なんだと言うのだろう。



私たちは長い時間を

隣同士で過ごしてきたけれど、

この関係は、

何年経っていようと偶然でしかない。



ここにきて都合良く

「行かないで」とか

「私もついていく」なんて、

言える関係ではなかった。



よく偶然会う、知り合い。

それだけだ。



だから彼も、

「どうしよう」とか

「一緒に来る?」とは、

一度も言わなかったのだと思う。





それからは、




遠くに引っ越す準備や、

仲間たちとのお別れ会、

仕事の引き継ぎなど、


めまぐるしい日が

やってくるキョウヘイに、

寄り道するヒマは

ほとんどなかったようだ。



私の帰る時間に、

彼がチカミチ公園にいたことは

「引っ越す」と告げられて以来、

1日もなかった。


寄り道しない日が

しばらく続くと、

私の中で、

何かのバランスが崩れて、


たまらず、

誰もいない公園で一人ベンチに座り、

ビールを買って飲んだ日がある。



慣れないビールは

なかなか飲みきれず、

とうとう、

いつもなら寝る時間に

さしかかろうとしたとき、

キョウヘイがその道を通った。



私に気付いたキョウヘイは、

自転車に乗ったまま、

こちらに近づいてくる。



「こんな時間まで何してんねん」

「ビール飲みたくて」


「危ないで」

「いつもおる公園やもん、大丈夫やわ」


「アホか」

「帰るで」


「帰らん」


「なんでやねん」


「・・・・・・」



「ビール買ったるから、ちょっと喋ろうや」


これでは、いつもと立場が逆転だ。



彼はため息交じりに、

自転車から降りてくれた。


遅い時間に呼び止めたことが申し訳なく、

ついでにたばこも買って渡し、

二人並んでベンチに座る。


もう眠いし、

ちょっと酔っ払っているし、

私は変な話しかできなかった。




本当は、


「寂しい」と思ってベンチに座った。



「行かないで」と思って引き止めた。



だけどどれも、口に出せはしなかった。



キョウヘイは恐らく、

私が寂しがっていることなんて、

とうに見抜いている。


そしてたまらず、

「一緒にくるか?」

と言いそうになるのを遮るように、



まだずいぶん残っていた

ビールを一気に飲み干して、

「帰ろか」に言い換えたことなど、

お見通しだ。



お互いに分かっていながら、


いつも通りの日常の話をして、

いつもより随分遅い時間に、

いつも通り公園を後にした。




私たちの関係は、

こんなにお互いのことを

知りつくていても、

それだけだ。



恋人とか、婚約者とか、結婚相手とか、

なんの関係性も持っていなかった。


縛り合わない関係はラクだったし、

いつまでも居心地がよかったけれど、

結局最後は、何も残らないのだと、

そのとき思い知らされた。



何か言う資格がないのだ。

相手の人生に、関わる権利がないのだ。




どこかで、

言い出せばよかったのかもしれない。



「付き合ってください」

でもよかったかもしれないし、


「結婚しよう」でも、

違和感はなかったと思う。



「ついてきて」でも

「行かんといて」でも、

どこかでその言葉を選んでも、

多分おかしくはなかった。



それでもお互いに

どれも言わずじまいだったのは、


なんだかうまく言えないけれど、

お互いがそれぞれに

自信が持てなかったのだろう。



その夜を最後に、

彼は遠くに引っ越していった。




偶然はもう、二度と起こらない。



「別にそれが、普通なのだ」

そう思いはするものの、



習慣というものは

なかなか消せるものではない。



キョウヘイがいないとは知りながらも、

相変わらず私はチカミチ公園を横切って、

ベンチに視線を落としてしまう。



そしてときどき、

たまらなく寂しい夜がやってくると、

一人ベンチに座ってアイスを食べてしまう。

(ビールはやっぱり、不味くて飲めない)


一人でベンチに座って、

気がまぎれることは

一度もなかったけれど、


私はこれ以外に、

寂しさを対処する方法を知らなかった。



別に、


「今日はこんなことがあったよ」

というメールを送っても

いいんだろうけど。



そしてきっと、

返事は返ってくると思うけど。



一度だってそれはしなかった。




「誰か偶然、ここを通らないかな」



絶対に通ることはない、

特定の誰かを待ち望みながら、

ゆっくりとアイスを舐め続けた。



しかしそんな虚しい夜さえも、

長くは続けられなかった。



夜、誰もいない公園は、

昼間も同じように

誰も利用していなかったようで、


キョウヘイが引っ越した1年後に、

立ち入り禁止の看板が立って、

あっという間に10階立ての

新築マンションに生まれ変わった。





もうチカミチさえ、できない。




私は今、

きちんと十字路の角を曲がって帰宅する。




通常の道を

通っているだけのはずなのに、



もうマンションが建って

数年が経つというのに、



わたしはこの道を通る度、

相変わらず

「また遠回りせなあかん」

と思ってしまう。



そしてあのベンチを

なくしてしまってから、

寂しい夜をどう過ごせばいいのか、

未だによく分からないままでいる。


キョウヘイが今、

どんな風に愚痴をこぼしているのかも、

知らないでいる。





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