見出し画像

「立つ・座る」の研究(林崎新夢想流居合のミッシングリンク1)

では林崎新夢想流居合における「ミッシングリンク」を埋める「ピース」を提案していきたい。
(教伝されたものをただ紹介することはしない。それはぜひ、弘前稽古会か埼玉稽古会で学んでいただきたい)

まず私が「今すぐ解決しなければならない」と感じたのは「立ち・座り」の問題である。

林崎新夢想流居合の最初のハードルは「ひたすら立つ・しゃがむを繰り返すことになる」という点だ。
そのため、小山隆秀先生も「林崎は疲れるもの」と認識しており、同道した指導者も、数回「押立(一本目)」をやっただけで疲弊してしまっていた。

しかし、私は林崎をいくらやっても疲れないのだ。

仙台稽古会の前日には予習として2時間みっちり林崎をやったが、全然疲れない。
気分爽快、発見もたくさん。
充実感を持って仙台稽古会に臨んだ。

この違いは「立ち・座り」の要訣が観えているかどうかであると、仙台稽古会開始後すぐに私は気づいた。

この点を解決しておかないと、「林崎は疲れるだけで使えない」という認識になってしまい、普及できなくなってしまう。
(失伝の理由も、もしかするとここにあるのではないか)

そのため、この前段には礼法の課題などもあるが、まず第一に「立つ・座る」の問題を解決すべきと考えた。

私は、日本剣術の最大至上の要訣は「ただ刀に従う」ことであると捉えている。
剣術におけるあらゆる所作は「刀に従う」ことで解決する必要がある。

立つ・座るにおいても例外ではない。
「どう刀に従えば立てるか」
「どう刀に従えば座れるか」
こうした方針に基づき、所作を研究する必要がある。

そこで、動画をご覧いただきたい。

私が埼玉稽古会に初めて参加してすぐに編み出したのが「バージョン1」だ。

立つときには柄頭をグッと引き上げ、刀全体に身体を引っ張り上げてもらうように立ち上がる。
座る時には柄頭をグッと引き下げ、刀に導かれるように浮踞する。

わかりやすく「刀に導かれる」形だ。
このやり方でも、全然疲れずに林崎を稽古できるようになる。

しかし、ここまではっきり形に現れるのであれば、それは伝書などに表現されるのではないか。
小山先生曰く、伝書では「頭が引っ張られるように立て」としか書かれてないらしい。

そして、仙台稽古会終了後「こうすればもっと楽になるぞ」と気づいたのが「バージョン2」だ。

浮踞から、柄頭を一瞬浮かせ、すぐに下に押しつけるようにする。
そうすると、刀が「三本目の足」と変じて身体を支える力になると同時に、頭頂に「伸び」が生じる。
上下に分かれる力が生じるわけだ。

こちらのほうが伝書に近いのではないか。
(私は伝書を見ていないので、伝書を見ることができる方に確認していただければ幸いである)

座り方はバージョン1と同じである。

ということで、現状、私としてはバージョン2のほうをおすすめしたい。

とにかく、「立ったりしゃがんだり」だけで疲れてしまうようなやり方では、林崎新夢想流居合の真価を伝えることはできない。

逆に、この要訣の有無によって「しんどさ」が全然違うということを受講生に体感してもらえれば、逆転して「林崎すごい!」になるのではないか😊

この要訣、ぜひ広く活用されたい。

もちろん、もっとよいやり方があればぜひお教えいただきたい。

林崎新夢想流居合の優位点は、「免許」がないことによる「オープンソース化」がなされている点だ。

古伝から外れないように注意しつつ、ミッシングリンクが多くの稽古者の研鑽によってつながっていく。
そんな稽古を積み重ねていければ、きっと洗練された居合になるはずだ。

(追記)
ちなみにだが、刀に従っての「立つ・座る」がわかれば、刀を持ってなくても同じことができる。
「刀の経験」が力を貸してくれるのだ。

例えば、階段の上り下り。
見えない三尺三寸を持って、バージョン1またはバージョン2をやる。
いずれでもだいぶ楽になる。

刀を持ってできることは、刀を持ってなくてもできる。
そうした動きは非常に止めにくい。
相手は「見えない刀」が力を貸してるなんて夢にも思わないのだから😊

このあたりが、国井善弥がどんな流儀で戦っても全勝してきたことと関係している。
黒田鉄山先生や甲野善紀先生の摩訶不思議な技もそうだ。

こうしたことがもっと知られれば、日本剣術や居合に取り組む人が増えると思うのだが。
私としても、機会を捉えてこうしたことを紹介していきたい。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?