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父に似ているから父と仲直りできない私

親譲りの‶話し合い下手“で小共の時から損ばかりしている。

意見が食い違ったときに、納得行くまで話し合って解決することができない。「そんな風に言うならいいや」と話し合いを回避してしまうのだ。

そこで諦めがつくならいいのだが、心の底で納得がいかず、ちょっとずつその人を嫌になっていくのは、自分の面倒くさいところだ。

その結果、疎遠になった友人がいるだけでなく、それは家族内でも例外ではない。

父と不仲になったきっかけは、中学2年生のときだった。

「親に対してその口に利き方はなんだ」とどこの家庭にもありそうなことで父にビンタされ、以来、全く会話しなくなった。

当時40代の父は、何かにつけてすぐに激情する人だった。マスコミの不規則な勤務の中で一家を支え、気苦労が絶えなかったのだとは思う。

10数年経った今、話さないことはないが会話が続かない。先日もこんな会話をした。

父「また転職したのか。今度の会社は続けられそうか?」
私「いや別に(好きで転職しているのに、続けられなくて辞めたみたいな言い方しなくてもよくない?)」

本当は言いたいことがあるのに、また「そんな風に言うならいいや」と思ってしまった。

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ところで、先日「修復的司法」という活動について聞く機会があった。

「修復的司法」とは、犯罪を罰して終わらせるのではなく、被害者と加害者が一緒になって、犯罪の影響や生じた害を修復について話し合って解決の糸口を探ることを言う。

分かりやすい例で言うと、小学校でいじめっ子といじめられっ子の話し合いなどが行われているが、これも「修復的司法」の一種。

実際には、家族を殺された被害者家族に対して、裁判では述べられない「罪を犯した理由」や細かい心情について、犯人から共有されることもある。

自分の家族を殺した加害者と面会するのは正直考えられない。

しかし、修復的司法により加害者を更生に導くこともできるため、欧米では制度化されて普通に行われている。

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当たり前のようだが、私と父の関係修復でも、よく話し合うことが必要なのだろう。しかしながら脳裏には、昔の〝すぐに激情する父“が映し出され、はばかられる。

ただ、血は争えないようで、自分は年々父に似てきているように思う。

新卒から5年間勤めた営業の仕事を辞め、父と同じ書く仕事に就いた。

お酒が大好きなところ、猫が好きなところ、カメラをかじっているところ、パズルゲームが中々やめられないところ、話し合いが苦手なところまで、全部一緒だ。

激情する父も、事なかれ主義の私も、話し合いが苦手ということに変わりはなく、だからこそ関係を修復できないのだろう。

先日友人から、「私、結婚できないかもー!」と父親の前で泣いたという話を聞いた。そんな風に悩みを打ち明けられる父娘って、素敵だなと思った。

父が定年を迎えても元気だと言うのに、ろくに会話もせず、我ながら「親不孝だな」と思う。父も不幸だが、友人父娘のように相談できないことは、私にとっても不幸である。

だから、もう一度言おう。
親譲りの‶話し合い下手“で、親子共々損ばかりしている。

編集:円(えん)さん

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