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大切な人がいなくなった時のために

皆さんこんばんは。
週末はクリニックへの通院も兼ねて諏訪の実家へ帰省していました。今回はその時に感じたことを中心に書いていきます。

相続関連の書類に押印

実は母親に「相続に関して書類に押印してほしい」と言われ、通院の帰りに実家に泊まってじっくりと話し合いました。そう遠くない将来に必ず起こるとは言え、母親がこの世からいなくなる日が来るという現実を受け入れることができずにいます。

僕の家族は兄と姉がいて、父親は8年前に事故で亡くなっています。きょうだいで会うことが無く、繋がりがとかく希薄なわが家にとって母親は関係を取り持つ「かすがい」の役割を果たしていました。

1968年に結婚してから苦労を重ね、その中で節約して僕を大学まで行かせてくれたのは感謝しかありません。

実家は同じ町内に住んでいる兄が相続します。ただし、法的に相続されても、この穏やかな生活にピリオドが打たれることになる。ある程度想定はしていましたが、いざ母親から現実を知らされると悲しみと重い感情が頭にこびりついている感覚になります。

経済的自立と両親への感謝

僕は40歳過ぎまで、働きながら両親から仕送りを受けていました。前職にいた際にようやく自立できたのは本当に幸運でした。同時にそれまで両親に多大な経済的負担(大学進学と引越し代など)をかけたことを申し訳なく思いました。

僕も色々な会社を渡り歩き、その度に人間関係も変化してきました。ただ変わらなかったのは、両親が僕にくれた無償の愛だけでした。兄は頑固で口数も少なく、20代後半からほとんど話していません。姉とはときどき電話しますが、深い付き合いがある訳ではありません。

親戚付き合いが苦手で法事にも出ず、生まれ育った諏訪という地域との関わりも無い。都会で一人生きていくことに慣れていたつもりでしたが、それまで両親が我慢強く見守り、成長を支えてくれたから現在があります。

賢者の言葉をかみ締める

作家のデール・カーネギーは著書「道は開ける」「起こりうる最悪の事態は何かを自問すること」の重要性を説きました。自分にとって最悪の事態は「母親がこの世を去ること」です。その後に僕はどう生きていくか。何を目指し、何を大切にして生きていくか自問する必要があります。

願わくば、この日々が少しでも長く続くよう祈っています。もし「その日」が来たら、僕の家族に関わる人が穏やかに送れるようにしたいです。僕にできることは限られていますが、いのちは限られているという真実を受け止め、前向きに人生を歩んでいきます。


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