最近の記事

青を知っているが、表現できない。

私たちは多くの知識を持ち合わせています。 ですが、それらを他の何かに転用したり、応用するときにはより一層深い理解が求められます。 青という色が何色で、どういう雰囲気で、なんで好きなのか、赤は嫌いなのかとか色々考えるわけです。 だけど、表現者になると話が変わってくる。 青は美しいことは誰よりもわかっているし、その工程の理解もあるかもしれない。 だけど、表現できない。難しいのだ。 知識と技術の発展の末に表現が伴う。 知識だけでは、ビジネスを任せられない。 経験がなけれ

    • 『誰も君のことを見ていない。』から学ぶ

      上記の記事を最初に読んでもらっても、最後に読んでもらっても大丈夫なんですが、学校の友達とかよくSNSとかで周りの目を気にしているような気がします。 そんなんでもない、ってことは彼らもわかっていると思います。 自分の非力さは若いほど体感する機会が多いと思うので。 でも、やっぱ気にしてしまう。 僕もSNSを日本人がはびこっている学校の仮面をかぶっているときは気にしています。 陰キャだけど、わりとやってるみたいなイメージです。 なんだろうね、って感覚が多いんじゃないかと思っ

      • 俺が率いる新しい文化。

        今年自分のスキルと哲学が煮詰まったら、新しく文化を作っていこうと思っている。 自分の大きなビジョンで日本文化を世界に対してもう一度発信していくことがある。 実は、いくつかは始まっている。 仮説では日本の文化を大きく二つに分けて活動していたりする、一つはゲーム、アニメ、漫画などのポップカルチャーともう一つは日本各地の地場産業や祭りなどをはじめとした伝統文化。これらの二つだと。 だが、先駆者も追随者も存在する。 文化はある意味で人格を作り、世界をつくる。これに魅力されて拡散

        • 若者のSNS教育は無視していくんですか?

          先日上記のツイートを確認していただければ、ご理解いただけると思いますが、インスタのあるアカウントが某前澤さんの有名な企画。 RTやフォロワーなどを含めた拡散行為をプラットフォーム上で行わせ、それを参加をみなし、お金などでエサを釣るもの。 これ友達いっぱいやってました笑笑 普通に考えれば、まったく知らない人からお金をもらえるなんて、そんな虫のいい話が転がってくるわけないし、仮にあったとしてもお金の出どころが気になったりするはず。 どこの学校でも義務でやっている薬物禁止講座

        青を知っているが、表現できない。

          終わりの美学の不安定さと現実

          ここ最近の仮説で終わりの美学が自分の中に存在してるかもしれないと思っていて。 これはKing Gnuの常田さんとか、キンコンの西野さんとかも言ってて。 終わりがあるものには、区切りが強制的に発生されて、コンテンツや哲学ってものは、それらに影響を受けてさらに磨きがかかる。 これらを踏まえると、感情ってのはもの凄く不確かな情報源でしかなくて、何かを信用するには厳しいものである可能性もある。 ただ、上記の場合は他人発生であり、自己発生の場合は除くかな。 それは、直感に対しての

          終わりの美学の不安定さと現実

          失敗前提の失敗には、価値が無い。

          人々はよく言います。 「失敗しても大丈夫だよ!」確かに、何かに挑戦するときにこのような言葉をかけてもらえると嬉しいものです。 他の言葉では 「失敗は成功の基」であったりと、失敗を美化するような言葉がよく見られます。 ただ、失敗がいいのかっていうといいわけではない。 何かの戦いに負けているのだから、負けず嫌いの人間にはなかなかにくるものがある。 ここでなぜ失敗が成功の基になるのかを考えていきたい。 PDCAサイクルに代表されるように、失敗を重ねることでいつか現れる成

          失敗前提の失敗には、価値が無い。