『日本国記』のウリポ的な発展に期待したい。

百田尚樹先生ご自身が、刷りの違う本のチェックについて意識していることは見て取れる。
そんなわけで、『日本国記』もそろそろ微調整をやめて、版ごとの差異を楽しむ書籍という方向に大胆に舵を切り、事実関係自体や引用元とその改竄の程度を楽しむウリポ書籍の金字塔を目指すとか、そういう胸熱展開は無いものだろうか。
不定期に重ねられる版ごとの差、そして来たるべき改訂。時に入る意図的な、または意図しない乱丁と、入念で組織的な回収など、展開はいくらでも考えられるし、期待は高まるばかりだ。
読みはしないが、現象だけ愛でたい。
これを20年も続ければ、『日本国記』だけを集めた図書館ができて、その宇宙は、真ん中に大きな換気口があり、極めて低い手摺で囲われた不定数の、恐らく無限数の六角形の回廊で成立って……。
いや、20年じゃそこまでの数にはならないか。

でも、もう流通している本の版ごとに差異ができているという事実はあるわけで、なかなか立てないスタートラインには既に立っている。
稀有なことだ。このまま曇りの無い美しい意志の力で進めば、きっとできる。できるんじゃないかなぁ。ロマンチックですよ。

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