見出し画像

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

タランティーノ最後の作品?と言われている最新作。

映画好きの間では熱狂的に、熱烈にこの作品を愛している様が漏れ聞こえてくる。タランティーノの映画愛に胸を打たれているようだ。その様がまた、その横にいる者の胸を打つ。何かを熱烈に、異様に好きな人のことを、普通は人は好きなものだ。大して音楽が好きでもないが友達に誘われて、もしくはノリで夏フェスに行った時、自分が熱烈に好きなバンドもアーティストもいないのに「音楽を心から愛して楽しんでいる人」を観ているだけで幸せになる気分にも似ている。

映画的教養に乏しい私にとっては、この最新作に込められたオマージュの数々や熱烈な映画ファンが支持するその愛の深さや強さを十分に堪能することは難しい。それでも、かつてあったある時代の映画や、映画界や、スターや、ヒッピーたちの様子、時代の熱や熱狂、妄想のようなものが津波のように押し寄せてくる映画だったことは間違いがない。その洪水の中でふわふわと漂うように、うかされるように映画を楽しんだ。終盤、ある人は「いかにもタランティーノだ!」と言うであろうプールのシーンがあるけれど、あのシーンを「あんなシーン不必要だし、不愉快だ!」という人がいたけれど、あのシーンが愛せないということはそもそもタランティーノ映画は向いていないのではないかとは思う。僕は大好きだ。

けれど何より、本当のラストシーン、すべての喧騒が去って、時代が移り変わる音が画面の向こう側から轟音のように鳴り響く(もちろん実際にはそんな”音”はなってはいない)長い長い移動ショットの1カットが深く深く心に突き刺さる。好きな映画だった。

IMAXで観たのも良かった。またIMAX(出来ればもっと大きいIMAX)か、普通のスクリーンでも、いや、ブルーレイでも何でもいいから、チャンスを見つけてまた見たい。繰り返し見たい映画だった。好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?