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【名作】真・女神転生IIIへの愛を語りたい

2009年の12月。
当時高校1年生だった僕は、人生を変えるゲームに出会う。

真・女神転生Ⅲ NOCTURNE

社会科の先生を志そうというきっかけになったゲームだ。
冗談でもなんでもなく、本気で人生が変わってしまった。

間違いなく人生の中でベストゲームのうちの一つだし、心の奥底にずっと住んでるゲームでもある。

久しぶりにプレイしてみて、やっぱり自分にとって大切なゲームだと確信した。そんな真3への愛を語らせてもらいたい。

※一部ボスの画像を含みます。
 核心的なネタバレではない…はず。

プレイフィール

「ダークなポケモン」

「メガテンって何?」
この質問へ僕なりに答えるなら、「ダークなポケモン」だと思う。

ゴリゴリに鍛えたデカラビア。
チャームポイントはトラフーリ。めんどくさいエンカウントとおさらば。

数多くいる悪魔の中からお気に入りの悪魔を見つけて、仲魔にして、旅を続ける。時には見た目で、時には強さで、時にはこだわりで、荒廃した世界を生き抜く。

プレイのたびに、相方になる仲魔が変わるのが面白い。
同じ作品をプレイした人で話をしても、頼った悪魔が違うなんてザラにある。
そんな唯一無二のゲーム体験が、僕の思うメガテンである。

スキルなし悪魔。
通称"すっぴんアラハバキ"も作れちゃう。

メガテン3をプレイするのは今回で3回目だ。
PS2のノクターンで1回目、マニクロエディションで2回目、そして今回。
とっくに新鮮味なんて薄れていたのだが、やっぱり面白かった。

今回のプレイはこれまではとは少し事情が異なる。
なぜなら、真1と2をプレイしたからだ。

古参からの賛否が分かれる本作だけど、当時の僕は3だけがメガテン。
少し視野を広く持ってプレイすることで、その印象も変わってくる。

従来のメガテンファンが難色を示した理由もよくわかる。
だが同時に、アトラスは真2の呪縛から逃れるために足掻いていたのだとも思う。詳細はストーリーにて。

アトラスの常識を作った

プレイして思ったのは、「現代の感性としては面白くはない」ということ。

イケブクロでのライドウ戦。
リマスター永遠に待ってる。

でもそれは、メガテン3が風化したわけではない。
本作の良さが因数分解され、アトラスゲーの随所に染み渡り、メガテン3らしさがアトラスの常識になったからだ。

いまの時代、それこそ派生作品をたくさん遊んだ人たちが、メガテン3にその源流を求めていても得られる満足感というのは薄れてしまうだろう。

「名作だと聞いていたけど、こんなものか」

そう思ってしまう人は、決して少なくないと思う。個人的にはひどく残念だ。

しかし、本作への感動が少なければ少ないほど、他作品の中で分解された魅力に触れてきた人なのだとも思う。

とはいえ、ペルソナ3以降を遊んできたユーザーに勧められるかどうかでいえば、間違いなく「YES」とは言いたい作品である。

同時に、本作はシリーズの中でもかなり遊びやすい部類に入るので、「メガテンを遊んでみたい」人にはオススメの一作である。

ここからは久しぶりにプレイして味わったメガテン3の魅力について、改めて記していく。

評価点

異様な雰囲気に溢れた作品

僕はこのゲームを「とても上品なゲーム」だと思う。

この登場演出、頭おかしくなるぐらい好き。

過度に飾り立てられたわけではなく、質素で簡素で、見窄らしくない。
引き算がしっかりとされて、調和していると思う。

それは主にグラフィック全般に対して思う。

「球体となった東京」
「魔界然とした閉鎖空間」

この想像できない二つを、「破壊」や「乱雑」で表すのではなく、「静謐」や「孤独」で示している。

綺麗な画面の裏で、ガンガンかかるハードロック。好き。三天使も。

本作のBGMは戦闘曲を除けば、大体が主張薄めの音楽ばかりだ。
当たり前だがペルソナとは違う。だからこそ、ゲームプレイを振り返ると、どうしても地味な印象が際立ってしまう。

クラシカルなゲーム体験

本作最大の貢献は、プレスターンバトルの発明だ。

この中毒性はRPG全体を見ても群を抜いていて、アトラスにおける最大の発明と言ってもいいだろう。

そのヒットに味を占めたアトラスは、それ以降プレスターンを擦り続けることになる。

お金払うだけでこんなゲームできるなんて幸せ。
今日も素敵ですわ、ベルゼブブ様。

本作はそれら関連作品の原点なのだ。
言うなればクラシック。プレスターンが「常識」になっている人たちにとって、本作から得られる感動は目減りするだろう。前述した「薄い感動」の原因はここにもあるのだ。

もちろん、他作品で慣れているから、原点の魅力が下がるわけではない。
クラシカルなプレスターンも味があり、「これはこれであり」と思いながらプレイをしていた。個人的には1moreより好きだ。

上記の魅力らには大きな刺激はない。
加えて淡々と物語は進んでいく。地味だ。本当に地味だ。
やりながら「こんなに地味だったっけ?」と驚きながらプレイしていた。

抑えられた訴求力は、プレイヤーといい距離感を保ってくれる。
求めない分、能動的にプレイする必要がある。自らの意思でプレイしないと進まないのだ。当たり前だけど。

自ら選んで「メガテン3をやっている」という感覚は、このゲームへの感情を特別なものにしてくれた。

「よくわからないけど、触ってて気持ちいいからやってる」

押し付けがましくない、爽やかなゲーム体験。
久しぶりに触ってみて痛感した、本作の魅力である。

ストーリーへ思うこと

メガテン3への批判として槍玉に挙げられるのは、「ストーリーの難解さ」である。

初見の僕は、ストーリーなんざ毛程も理解してなかったんだと思う。
コトワリ? へー。すげー。そんな感じ。

ただ、真1,2をプレイしたいまなら、真3で何をしたかったのかがひしひしと伝わってきた。

※以下、「アマラエンド」を正史として話を進めていく。

「メガテンらしさ」とは

この話をする前に、ストーリーにおける「メガテンらしさとは何か」を考える必要がある。きっとそれはユーザー感でズレているはずだ。
僕は「壮大な対立抗争に巻き込まれ、世界の行末を決める」のがメガテンらしさだと思う。

物語の導入や登場人物の扱いなどは、かなり真1を意識しているのだと思う。
夢に出てきた女性、公園での事件、巻き込まれたクラスメイト。
変貌した世界の中で、変わっていく登場人物たち。
ヨシオとワルオがそれぞれヒーローになったように、勇や千晶もコトワリのリーダーになっていく。

要素を抽出するとメガテンらしいと言えなくもない。
おそらく、ストーリーに一番文句があったのは熱烈な真2ファンだったと思う。

真2の呪縛

真2の続編はいま考えてもげっそりする。
1ユーザーとして、1クリエイターとして、相当難易度が高い仕事だろう。

現にメガテンの生みの親である岡田耕始氏は、真2の後に燃え尽きてしまったようだ。

岡田氏が「真・女神転生II」を作り終えた後,次作への意欲が湧かず,燃え尽き症候群のようになっていた時期だったという。
ビデオゲームの語り部たち:第32部より

ロウ側が支配する世界。ミレニアムの嘘。法の神とルシファーの決戦。
真2が叩き出した世界観やスケールの広さは壮大だったのだ。それこそ、僕なんかじゃ全くその後の展開が思いつかないくらいに。

真3は、ロウに傾きすぎた真2とは対照的にしたのだと思う。
アレフがミレニアム側の人間であったように、人修羅はルシファー側の人間。そうすることで、シリーズ全体のバランスをとったのではないだろうか?

自分で自分のこと「最高の闇の力」とか言っちゃう閣下、好きだよ。

閣下、蠅様LOVEな僕が真3に熱狂する理由もここにある。

「え、魔界の軍勢に入れてくれるんすか? あざっす!」

人修羅になったプレイヤーが混沌の悪魔へと堕ちていく感覚が味わえるのは、メガテン3のみである。

破滅の道に堕ちていく背徳感。

「アマラエンド」はマニアクス(マニクロ)の追加EDである。
無印のストーリーでは、ルシファー閣下も人型でしか出てこない。ベルゼブブなんてもってのほか。がっかりしたファンも多かっただろう。

無印クリア後にマニクロの存在を知って発狂した。
当時の学生には買えない値段だったから余計に。

HDリマスターはもちろんアマラエンド収録済み。
「混沌側に振り切ったナンバリング」
として遊んでみるのもいい。
それこそ、無印しかやっていない人にとっては、大きく印象が変わることだろう。

※補足
HDリマスターが出る前、マニアクス・マニクロ版は非常に入手困難で、中古価格で1万円以上が普通だった。僕含め、メガテン3プレイヤーの大半が、この追加部分を知らないユーザーだった。そりゃ文句も出る。

マニアクスが補完したモノ

惜しむらくは、敵がいなかったこと。

エデンを作る体力がなかったんだろうなぁ。じゃないとアマラの奥地にまで出張しないでしょ、アンタ。

LAW側の最高威霊はメタトロンで終わり。
ルシファー閣下の「お遊び」に合格した果てに、法の神と戦えていたら文句がなかった。

なんだかんだ、メガテンといえばあなたなんすよ。

むしろそこからの威霊ラッシュを遊んでみたかった。イメージは真2のツァバト、エロヒム、シャダイ、サタンの流れ。きっとそこまで作りきる体力はなかったんだろう。

きっと、真2ファンが望んだ結末の一端を描いてくれたのがマニアクス部分だったのだ。

岡田氏は、インタビューでこう話している。

 「『真・女神転生III』に,“序章”という意味の“NOCTURNE”と付けたのは,『IV』までに『III』をもっと展開しようと考えていたからです。さらにコアなファン向けに,『NOCTURNE マニアクス』を出して。そうやってナンバリングをいろんな形で展開したかったんだけど…..(略)」
ビデオゲームの語り部たち:第32部より

真3が発売されたのが2003年の3月。
同年、岡田氏はアトラスを退職し、5月には新しい会社を立ち上げている。

きっと、僕が望んだ展開が実現した未来はあったんだと思う。
ド迫力なロウカオスバトルの果てに、何年も答えが出ないような重っ苦しい問いが置かれてて、プレイ後のため息が止まらないようなゲーム体験があったはずだ。

真2に心酔した人たちは、きっとそこまで求めていたのだ。
いまならその気持ちがよくわかる。痛いくらいにわかる。
ここまでの出来が良かったばかりに、その先を求めてしまうのだ。

岡田氏の言う、「展開」があれば、本作の地位はもっと確固たるものとなっていただろう。たらればに過ぎないのだけれど。

閣下(カオス)の思惑に引きずられて創世まで導かれる。
この点で言えば、真3も充分メガテンらしいと言える。

でもファンが期待したのはその先だったのよね。批判は痛いくらいにわかります。

リマスターとして

及第点以下の出来栄え

リマスターとしては、あまり褒められた出来ではない。反省しなさい。

とはいえ、どれだけ処理落ちされても購入は決まっていた。ごろ寝しながらメガテン3ができるなんて。いつでもどこでも、メモリーカードを気にせずにメガテンが遊べるなんて!

Steam版で出てくれたのも非常に嬉しいところ。これでいつでも遊べるぞ。
僕が遊んだのはアプデが入った後だったので、ゲームプレイは全体的に安定していた。

でも、一番ダメなのは悪魔全書。処理落ちしすぎ。これは明らかな最適化不足。ホルスとかアマテラスが目に見えて重い。そんな大変な処理じゃないでしょ、これ。

不便は美学ではない

あとは、原作の雰囲気を多少損ねても良かったから、もう少し遊びやすくして欲しかった。ミニマップの導入とか、なんかもっとあったでしょ。細かいところの調整はもっとできたはず。

レトロゲームは遊んでるほうだけど、不便は美学ではない。
もう一回言うけど、不便は美学ではない。
いつの時代だって、遊びやすいが正義に決まってる。

それでも、ベタ移植だけど、リマスターしてくれたことには本当に感謝しています。とても所有欲が満たされました。ダウンロード版だけどね。
個人的には大満足な買い物です。

総評

「遊んできたんだなぁ」と思った。

たくさんのメガテンを遊んできた。たくさんの作品を遊んできた。
当時、高校生だった僕が社会人になった。ちょっと道中いろいろあったけど。

10年以上ずっとお慕い申し上げておりますわ、閣下。

幾つになってもゲームが好きなことは変わらない。
あれから面白いゲームをたくさん遊んできた。

気持ちが風化していたら、それはとても寂しいことだと思った。
大好きだったものが大好きじゃなくなる。それはとても不安だった。

でも、久しぶりに帰ってきたメガテン3には、やっぱり新しい驚きがあって、僕がかつて愛したそのものだった。

まさかアイアンクロウまで粘るとはね。

そんなゲームに出会えて、僕は本当に幸せだ。
みんな、真3を遊ぼう。閣下に会いに行こう。

引用インタビューはこちらから!

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