言霊 〜魂へと届く言葉〜 感動する話・泣ける話

魂へと届く、感動する話、言葉、詩、名言、格言など載せていきます。泣ける話を中心に載せま…

言霊 〜魂へと届く言葉〜 感動する話・泣ける話

魂へと届く、感動する話、言葉、詩、名言、格言など載せていきます。泣ける話を中心に載せます!あなたの心が癒されれば嬉しいです😊

最近の記事

母の愛のこと

もう二十年位前の話です。 私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず 施設に預けられ、育てられました。 そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。 当時の私はその自覚などしておらず、 記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました。 そして、突然の父との別れが訪れました。 脳梗塞で帰らぬ人になりました。 そして、その最悪の時に、 私とその親は家族ではないということを親戚の方から偶然にも知ってしまったの

    • 10円玉

      その子は、生まれながら知恵おくれでした。 幼稚園は、近所の子供たちと一緒に通っていましたが、 小学校に上がると、ちょくちょく学校を休むようになり、 一年生が終わる頃には、全く学校へ行かなくなってしまったそうです。 二年生になっても、三年生になってもその子は、 学校に行こうとはしませんでした。 そして、四年生に上がる頃、父親と、母親が話し合って、 養護学校に預ける事にしました。 養護学校には、寮みたいなものがあって、 勿論、家に帰る事はできませんでした。 四年生で

      • ママと踊ろう

        もう10年も前の話。 妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。 実際私も、妻の面影を追う毎日であった。 寂しさが家中を包み込んでいるようだった。 そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。 出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。 2人を安

        • 一人娘の結婚式

          土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。 当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。 まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。 娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。 子供はあえてつくらなかった。 収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、 子供は娘1人いればいいって事になった。 突然嫁が交通事故で逝った。 娘17の時。 突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。 これからどうしようと思った。 生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出

          父が来なかった授業参観で

          【父が来なかった授業参観】 私の父は、男手一つで私を育ててくれました。 母の居ない私に寂しい思いをさせまいと父は必死だったと思います。 いろいろと体の違いや考え方の違いもありますし、男の父が女の私を1人で育てるのにはかなり苦労したようです。 当時、私の父は貿易会社に勤めており出張を繰り返す日々でした。 その為、家に帰ってくるのはいつも遅く、私が寝てから帰宅というのがほとんどでした。 でも、私の誕生日には、毎年大きなケーキと大きなぬいぐるみを持って早く帰ってきてくれ

          妹がつくったメダル

          父親が借金を残したまま失踪。母兄俺妹の4人で生活してた。 母は夜まで仕事で帰らないし毎日の様に借金取りが来るから3人でいつも押し入れに隠れてたなぁ。 ある日、学校から帰ると入り口に偉そうなオジサン&借金取りが居て、顔を知られてた俺は逃げようとしたけど捕まえられた。 殴られるのかと思ったら、そのオジサンが兄弟はどうした?飯食ってるのか?と 今まで見たこと無い位のハムや野菜とかの食材と何故か子供服をくれた。 夜になって母親が帰ってきた。 何故か手には駄菓子やたく

          『いのちをいただく』西日本新聞社

          牛を殺すとき、牛と目が合う。 そのたびに坂本さんは、 「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。 ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。 「明日の牛か…」と坂本さんは思った。 しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。 不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、 牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。 その声が聞こえてきた。 「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ……」 坂本さんは思った、 (見なきゃよかった)

          『いのちをいただく』西日本新聞社

          ディズニーランドで起きた感動する話『お子様ランチ』

          お子様ランチ 東京ディズニーランドにある若い夫婦が訪れました。 そしてディズニーランド内のレストランで彼らは「お子様ランチ」を注文したのです。 もちろんお子様ランチは9歳以下とメニューにも書いてあります。 子供のいないカップルに対してはマニュアルではお断りする種類のものです。 当然の如く、「恐れ入りますが、このメニューにも書いておりますが、お子様ランチはお子様用ですし、大人には少し物足りないかと思われますので・・・」と言うのがマニュアルです。  

          ディズニーランドで起きた感動する話『お子様ランチ』

          ディズニーランドで起きた感動する話「サイン帳」

          ディズニーランドで起きた感動する話「サイン帳」 「サイン帳の落とし物はないですか…?」 インフォメーションセンターに ひとりのお父さんが元気なく入ってきました。 落としたサイン帳の中身を聴くと、 息子さんがミッキーやミニーに一生懸命に集めた サインがあともう少しでサイン帳一杯になるところだったそうです。 でも、残念ながらインフォメーションセンターには、 サイン帳は届けられていませんでした。・・・・・ キャストはサイン帳の特徴を詳しく聴いて、 あちこちのキャ

          ディズニーランドで起きた感動する話「サイン帳」

          はじめて泣いた母

          うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏だった。 母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。 ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・ 俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。 夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。 んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。 そこでやっちゃった。盗み。 詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。 ただ

          弟と妹のために働きまくった兄

          弟と妹のために働きまくった兄両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。 俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。 両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。 それから一年くらいたって、**久しぶりに兄から電話があった。 ** 「高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないか」と言われた。 俺はびっくりした。 兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。 俺は兄に大学はいいのか

          【キンコン西野 伝説のスピーチ「人生に失敗など存在しない」平成30年度近畿大学卒業式】

          キングコング西野のスピーチが超話題に!キンコン西野さんが、近畿大学卒業式で卒業生に贈ったスピーチが話題になっています。 泣けるし、勇気が貰えるので、ぜひ観てください。 最後の方を文面に↓ 「想像してください。 僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできません。 そうでしょ? 『10年後の未来を、今、この瞬間に変えて』と言われても、ちょっと難しい。 でも、**僕たちは過去を変えることはできる。 ** たとえば、卒業式の登場に失敗した過去だったり、 たとえば、好

          【キンコン西野 伝説のスピーチ「人生に失敗など存在しない」平成30年度近畿大学卒業式】

          通知表

          **「通知表」 ** 私が小学校五年生の担任になったとき、クラスの生徒の中に勉強ができなくて、服装もだらしない不潔な生徒がいたんです。 その生徒の通知表にはいつも悪いことを記入していました。 あるとき、この生徒が一年生だった頃の記録を見る機会があったんです。 そこには 「あかるくて、友達好き、人にも親切。勉強もよくできる」 と書いてありました。 あきらかに間違っていると思った私は、気になって二年生以降の記録も調べてみたんです。 二年生の記録には、 「母親が

          ばあちゃんのすごろく

          「すごろく」 家の事情でばあちゃんに預けられていた。 当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。 いつしか俺はノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。 それをばあちゃんに見せては 「ここでモンスターが出るんだよ」 「ここに止まったら三回休み~」 ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。 それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。 やがて俺にも友達が出き、そんなこともせ

          東日本大震災 忘れられない泣ける話

          自分の命と引き換えに多くの命を救った24歳の女性宮城県北東部の南三陸町で、町役場の危機管理課に所属する遠藤未希さん(当時24)は、海に近い防災対策庁舎に勤務していた。 地震発生後、最大6mの津波警報が発令されると、防災放送を担当する遠藤さんは2階の放送室へ駆け込み、 「津波が予想されますので、ただちに高台へ避難してください」 と防災放送を始めた。  やがて津波が襲来し、庁舎が数メートル浸水した後も、アナウンスが止まることはなかった。 そして最後の4回では、「ただいま、宮

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          娘がお金を貸してと言った理由

          【心が洗われる感動する話】 今日も仕事で疲れきって遅くなって家に帰ってきた。 すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。 彼は驚いて言った。 父「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」 娘「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」 父「なんだ?」 娘「パパは1時間にいくらお金をかせぐの?」 父「お前には関係ないことだ」 父親はイライラして言った。 父「なんだって,そんなこと聞くんだ?」 娘「どうしても知りた