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私にとって手話とはなにか。

私が初めて手話に出会ったのは、小学校低学年だったと記憶している。

初めて見た時の感想は、「手が魔法のように動いていてすごい!」だった。

名前とよろしくお願いしますができるようになったのは、小学4年のとき。

本格的に手話をし始めたのは、小6。
なぜなら、ろう学校に転校したから。

はじめは、指文字すらもできず、友達の言っていることが全く分からなかった。

中学部に上がってから、女子バレー部に入り、夏休みも部活があった。だから、手話を忘れるということはほとんどなかった。

公立高校に進学してから、手話を使う機会が減った。

手話の授業を受けたとき、

日本手話と日本対応手話の表現の違いにカルチャーショックを受けた。

同じ手話なのに、なぜこんなに通じないのかと、どうすればいいのか分からず、頭を抱えることが多かった。

でも、私には手話という言語が大切だということを改めて知る機会にもなった。



中学卒業時の私は、手話をしたくなった。

なぜなら、女子との人間関係は悪く、その子たちと話す機会がほとんどなかった。

そして、進路担当の先生と話をしたくても、話が通じず、手話をすることに苦痛を感じ、プレッシャーだった。

私が卒業したろう学校は、基本的に手話をする方針だった。

口話で話す生徒もいるはずなのに、手話で話そうとする担任が少し苦手だった。

もう、私には、手話は必要ない。

そう感じた。

でも、それは違った。

家で、補聴器を外している時やお風呂に入っている時は、何も聞こえないため、手話やジェスチャーで会話するシーンがあることに私は気がついた。

大きな音や大勢の人がいる中での会話に苦痛に感じるということに気づいた私は、補聴器を外して耳への負担を減らすように工夫することが増えた。

そうすると、口話と読唇術で会話することが難しい。

なので、手話を使って家族と会話するようになった。

手話は、目を見て話す言語である。

このことを改めて、認識するようになった。



私は、対応手話ができる。

でも、日本の聴覚障害者の歴史やろう学校の歴史はほとんど知らない。

手話はできるけど、手話の意味を考えてしたことはほとんどない。

戸惑いもあったけど、手話って奥深いんだなぁと思うことが増えた。

私は、手話が出来ることに誇りを持ちたい。

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