泣きながら食べる飯もうまい

ずっと、始めようと思っては思いとどまって、を繰り返してきたnoteを、今日ふと思い立って使ってみることにしました。


今日、映画館で『余命10年』を観てきました。


誰もが泣いてしまうお話だと聞いていたから、そりゃあ私も泣いてしまうのだろうと思って、ハンカチを膝に置いて。

準備は万全だった。

序盤のほうから、誰かの泣く音が聞こえてきて、中盤・後半にもなれば、シアター中が泣いていて、

なぜだか、どちらの目からも一滴の涙さえ落ちてこない私は、みんなと一緒になって涙を流せる場面を必死に探してみた。

結局、最後まで見つけることができず、一人、乾いた目で席を立った。

自分は、なんて冷めた、感受性の乏しい、乾いた人間なのだろうと思った。


一人で暮らす部屋に帰ってきて、色々と考えたり、考えなかったり、時間を過ごしてみて、分かったことがある。

私には、あの一本の映画ごときで流せるほどの涙が残っていなかった。

あの一本の映画のためにまで、涙を流す余裕がなかった。


帰りがけにコンビニで買ってきたSPAMむすび、

ちょっとした思い出も詰まった一品、

少ししょっぱくなったけど、

スパムの旨みとたまごのまろやかさと相まって、おいしい。

泣いて食べる飯はまずいものだと決めきって生きてきたけれど、案外、そうでもないかもしれないと気付いた。

でも、喉につっかえて、なかなか飲み込めない。

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