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君たちはどう生きるか

宮崎駿監督作品、山時聡真氏主演の「君たちはどう生きるか」を見てきた。

私が大好きなスタジオジブリ、そして宮崎駿監督の最新作と知って公開を楽しみにしていた今作。

情報解禁がほとんどないままに公開となって、早速見に行ったけれど、一回見ただけじゃよく分からなくて、二回見に行った。

それでもあまりよく分からず、分からないままにこの記事を書き進めている。

ただ一つ言えるのは、宮崎駿はやはり巨匠であるということを、私は再確認させられたということだ。

あらすじ

少年眞人は母を追って、生と死の世界へと向かった──。
そこは、死が終わり、生が始まる場所だった。
眞人を導いたのは、嘘と真を使い分けるサギ男。
少年は友と出会い、母と再会し、創造主・大伯父と向き合う。
あなたがいてくれて、本当に良かった。
宮崎駿が友情をこめて描く、生と死と創造の自伝的ファンタジー。

「君たちはどう生きるか」パンフレットより引用
情報量少なすぎるけど、こうとしか言いようがない


以下ネタバレあり感想


不思議に思ったこと

まず2回物語を見ても、よく分からなかったことを書いていこうと思う。

①若かりし頃のキリコさんは何故あそこにいたのか?
真人が不思議な世界に迷い込み、ペリカンに襲われた際に助けてくれた謎の女性、キリコさん。

気の強く、逞しい彼女は、眞人が引っ越してきた屋敷にいたお婆さんのキリコさんの若かりし頃の姿。
彼女はあそこで漁をしているようだったけど、なぜあの世界にいたのだろうか?
そして、いつ上の世界に上がってきたのだろうか?

②というかそもそもあの世界はなんなのか?
パンフレットには、“死が終わり、生が始まる場所”とあるけど、キリコさんは「この世界には生きてる者の方が少ない」って言ってたから、ほとんどみんな死んでるってことのはず。

だとすれば、何をもって“死が終わってる”のだろう。

人が生まれてくる前の天界のようなところ、といわれるとやっぱりキリコさんの存在が謎になる。

③青鷺は何故あの世界に眞人を導いたのか?
眞人のことを何度もあの世界に導いていた青鷺は、ただ眞人の母の幻想を見せたいがためだけに導いていたのだろうか?
青鷺の目的もよく分からない。謎。
私が気付けてない青鷺の意図が劇中に描かれていたのか。

と、まあ不思議に思うことを挙げればキリがないくらいこの作品は謎の満ちてるし、中々一筋縄にはいかない作品だ。

しかし、分からないことを考えても仕方がないし、分からないことがあるというのは分かっていたし、仮にわかったところで正解はきっとない。

なので、これからは映画全体を通しての感想を書いていこうと思う。

今までのジブリ作品の集結、そして脱却

これは1回目の鑑賞の時から思っていたこと。

「この映画、今までのジブリ作品要素めっちゃ詰め込まれているうううう!!」

冒頭の火事の火の描写からそれは始まっていて、透き通る水の感じから美しい女の人、ほぼデフォルメされたお爺とお婆、大量の生き物、船、よく分からない黒い影の人間、白くて丸い謎の生物、ドロドロなジャム、、、もうありとあらゆるジブリ要素がこれでもかと詰め込まれていた。

もう、ジブリバラエティパックです。と言わんばかり。
まさかここまで監督の癖が前面に出ているとは思ってなかったから、見ていて思わず洗ってしまいそうになり、映画館で必死で耐えたあの記憶が懐かしい。

しかし、だからと言ってこの作品がただ今までの総集編というわけではなく今まで積み上げてきた物を集結させた上で、そこから新しいスタイルへの昇華を試みているような印象も受けた。

物語はそれまでのボーイミーツガール要素とか、淡い恋愛要素とかはなく、親と子供の愛と絆が主軸に置かれている。
宮崎駿監督自身も「自分の母親の幼少期に会ってみたい」と過去に発言していたようだし、今までとは明らかに違った男女の在り方を描いている。

どこかで見たことあるような描写と、人物が今まで見たことない世界を構築しているその感覚はとても新鮮で、スクリーンの向こうにどっしりと構えている監督の目の奥の輝きが伝わってくるようだった。

とにかくやりたい題材を自分のやりたいように散々やった結果、また新たなスタイルが生みだすとは……。
やはり、宮崎駿は天才だ。

見るたびに違う感想を抱く

私はこの映画を2回見たわけだけど、それぞれに見た感想は違っていた。

1回目は、眞人の親の都合に振り回される不憫さを憂い、2回目は自分は受け入れ難い現実に向き合う覚悟があるだろうかと考えていた。

眞人の実の母、久子は病院の火事で亡くなった。
それから、眞人の父は再婚するわけだけど、その相手があろうことか久子の実の妹である夏子。おまけに、その夏子は既に父親の子を孕っている。
自分はまだ母がいなくなった傷が癒えてないのに、父はもう既に新しい女性、しかもよりによってあの大好きな母親にそっくりの実の妹と結婚、夜になったらイチャイチャし始めてうっかりその場面を見てしまう眞人。

おまけに転校先の学校では都会から来たというだけで難癖付けられて喧嘩になるんだから、不幸は続く。

そりゃ眞人の心はグネグネに捻くれるわけで、自分で自分の頭を殴って部屋に引きこもりたい気持ちは痛いほどわかる。
寧ろ、それでもしばらく家に残っていた眞人は偉い。
私だったらもっと早く家出している。

そんな1回目の感想を抱いた上で2回目の鑑賞をした。
眞人が導かれたあの不思議な世界に、実は後の眞人の母となる久子も過去に迷い込んでいて、彼女はヒミという名前でその世界で生きていた。

眞人は新しい母親の存在を拒否していたけど、最終的にはその母親と家族になることを受け入れた。
久子は、自分が将来火事で命を落とすことが分かった上で、それでもかけがえのない我が子を産めるならとその運命を受け入れて、元の世界に戻った。

私にはこの2人のように、どうも受け入れがい現実が待っていることを知っていながら素直にこれが運命だと受け入れて生きていけるだろうか。

2回目を見終わった時点では、私は運命は分からないから受け入れられる、そう思った。

3回目は、また違った感想を抱くかもしれない。

宮崎駿からのメッセージ

題名の君たちはどう生きるか、これはもちろん原作となった吉野源三郎氏の同名著書から取ったもであると考えられるけど、もう一つ。
宮崎駿監督から鑑賞者へのメッセージでもあると私は思った。

眞人監督の考えや思いを投影したとすれば、自分はこうやって生きてきたというメッセージを私たち鑑賞者に発信した上で“そして、君たちはどう生きるんだい?”と問いかけられているようだった。

さて、私はどう生きるのだろう。

最後に


引退宣言をした大巨匠が戻ってきて、これほどの大作を見せつけられるなんて思ってもみなかった。
監督もまだまだ元気な証拠だ。

驚きもありつつ、その鬼才っぷりに安心し、これからの活躍にワクワクと胸が高鳴る。
スクリーンに監督 宮崎駿の文字をこれからも見ることができるだろうか。
いやきっと見る。
あの方はまだまだやる気なはずだから。

ジブリの世界に導かれたい貴方に、是非。

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