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国の交付金制度の『闇』


私は、前回の記事の中で、寿都町が目指すのは、人々が住みやすいと思える「まちづくり」を将来にわたって実現し続けることであって、処分場を誘致して国から多額の交付金を引き出すことは、目指す姿を実現するための一つの手段に過ぎないという話をしてきた。

ただこうした説明を聞いている中で、
「国から交付金をもらうという手段を活用しようとすることの、いったいどこが悪いと言うの?」
と疑問に思った方も、きっとおられるだろう。

たしかに、地方自治体が国から交付金をもらうこと自体が悪いことかといえば、もちろんそんなことはない。ただ手を出す交付金によっては、地域にさまざまな弊害をもたらし、将来に禍根を残すこともあるのだ。

そこで今回は、そもそも国の交付金にはどのようなものがあって、その使途はどのように決められているのかなどについて、できるだけわかりやすく解説し、交付金制度の『闇』をにわかにあぶり出していきたいと思う。


交付金と補助金の違い


国の交付金とは、端的に言うと、国が定めた目的に応じて、国から地方自治体に支払われるお金のことを指す。よく見かけるのは、地方自治体が策定した実施計画を国が認定し、その計画に基づいて自治体が行う事業に対して国が交付金を支払うというもの。自治体の側からすると、計画策定の手間がかかるというデメリットがある反面、認定された実施計画の目的に資する形で交付金を使用する限りは、比較的自由にお金を使えるという大きなメリットがある。

一方で地方自治体を対象とした国の補助金は、自治体が行う特定の事務や事業に対して支払われるお金であるため、その使い道の自由度は相対的にかなり低い。また、「補助」という名称からもわかるとおり、あくまでも地方自治体が主体的に実施する事務や事業に対し、国が必要な範囲でサポートするという性格を持つため、ほとんどのケースで自治体側に事業費の半分以上の「持ち出し」が発生する形となる。

このような背景もあって、ここ最近は、地方自治体が国の補助金を活用することに慎重になる傾向が強まる一方で、交付金の活用には依然として積極的な姿勢を崩していない印象が強い。実際に地方自治体の職員として事務作業を経験した身からすると、やはり交付金と補助金には大きな違いがあって、自治体側に広い裁量がある交付金の方がより使い勝手がよいことを、私も当時、強く実感していた。


交付金は主に2種類に大別される


今度は、国の交付金について、もう少し掘り下げて考えてみることにしたい。

現実に目を向ければ、多くの場合、国の交付金は極めて健全な形で地方自治体に交付され、地域で有効に活用されている事例も多い。このように国の交付金制度が、概ね有効に機能している実態があることは、一般にはあまりよく知られていないことだろうし、こんなふうに説明されても、一般市民としてすぐに実感が湧かないのはむしろ当然のことだとも言える。

もちろん、自治体が国の交付金を活用するという行為自体が悪いわけでもないし、むしろ交付金を上手に活用した方が、市民にとってメリットが大きいことも確か。つまり、国の交付金制度の多くが、地方都市における地域活性化の一助となっていることだけは確かなのだ。


ただここで気をつけたいのは、国の交付金にはさまざまな性質のものが存在するということ。前項でも触れたとおり、国が定めた目的に応じて、国から地方自治体に支払われるのが『交付金』であるが、「目的の定め方」次第では、事後的にいかようにも拡大解釈できるよう、国があらかじめ制度設計しておくこともできる。ここは、『交付金』というものを正しく理解する上で、ひとつ覚えておきたい重要なポイントであると言っていいのかもしれない。

わかりやすい例で言えば、国が描く理想のまちづくりの姿を具現化するため、電柱の地中化や携帯電話の基地局増設などに市町村が主体的に取り組む場合、国が市町村に交付金を拠出するという事例がかつて存在した。このケースでは、地方自治体が交付金を活用できるケースがかなり具体化されているため、極めて透明性が高い形で国の予算が使われていると見ることもできるだろう。

一方で、「核のゴミ」問題でも焦点となる電源立地地域対策交付金ではどうか。北海道経済産業局のウェブサイトでは、電源立地地域対策交付金について、こんなふうに説明されている。

電源立地地域対策交付金は、発電用施設の設置及び運転の円滑化のために地域住民の理解促進を図ることを目的として、発電用施設立地地域及び周辺地域の医療・介護・子育て支援の充実、教育の向上、地元産品の開発・普及等の事業に対しての交付金です。


これを見る限り「発電用施設の設置及び運転の円滑化のために地域住民の理解促進を図ることを目的として」と書かれていることからして、その目的はひとまず明文化されているとは言えるだろう。また、交付金の使途についても、「発電用施設立地地域及び周辺地域の医療・介護・子育て支援の充実、教育の向上、地元産品の開発・普及等の事業に対して」と書かれているから、何に使ってもいいというわけではなく一応のタガがはめられているように見えなくもない。

ただ、これらの文言を冷静に注視してみると、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」に関することであれば何でもOK。そんなふうに、読み込むこともできるだろう。

少し話は逸れるが、行政の世界では、「等」という言葉を用いて、あえて対象範囲をあいまいにしておくという手法がしばしば用いられる。「等」を入れておくことで、「実はこの内容も『等』に含まれているんですよ」と事後的に説明できるようにしておくのがその目的。いざ議会やメディアから追及を受けた時のために、あらかじめそうやって"逃げ道"をつくっておくのである。

上記の北海道経済産業局ウェブサイトの文言でも、「等」という文言が使われている。何度か文章を読み込んでみても、文法上、「等」がかかっているのが「開発・普及」だけなのか、それとも「地元産品の開発・普及」にかかっているのか、あるいは文章全体にかかっているのかは必ずしも定かではない。これは文章に不備があるのではなく、わざとあいまいにしているということなのだ。行政が日常的にこういった手法を駆使して制度設計しているという事実を、私たち一般市民もしっかりと頭に入れておく必要があるだろう。「核のゴミ」問題のような、かなり神経質なテーマを扱う時は特に、である。

ここまで見てくると、国の交付金には、交付金の使途がかなり具体化されているケースとそうでないケースがあることに気がつく。厳密に言うと、その中間的な性格を有する交付金だって実際に存在するわけだから、交付金を完全に2分割することは正確な理解とは言えない。ただし、一般人にはわかりにくい交付金の概念を少しでも簡略化して説明しようとするならば、『交付金は主に2種類に大別される』と表現した方が一般市民のスムーズな理解を助けるものと私は考えている。


交付金という名の『迷惑料』の問題点


前項で、私は『交付金は主に2種類に大別される』と説明した。このうち交付金の使途が具体化されているケースについて言えば、仮に地方自治体がその交付金を活用して地域で事業を展開したからといって、ただちに次の世代に負の遺産を残すことにはならない。

もちろん、交付金を活用して整備した施設に係るランニングコストを事前にしっかりと計算していなかったなどの特段の事情があれば話は別だが、しっかりとしたビジョンを持って交付金を活用する限りにおいては、自治体にとってメリットこそあれ、デメリットはほとんどないと考えてもいいのだろう。


さて、もう一方の使途が具体化されていない交付金。電源立地地域対策交付金のケースで見てみると、大雑把に言えば、基本は地域住民のためになることであればほとんど使途は限定されていないに等しいと考えることもできる。つまり一見すると、地方自治体にとっては、なんとも使い勝手がよく魅力的なお金に映る。これは財政的に余裕がない自治体であればあるほど、喉から手が出るほど欲しいお金に違いないだろう。

ところが、ここが問題なのである。もし、国の判断として、地方が自由に使えるお金を増やす必要があると考えるなら、国税と地方税の比率を調整するとか、地方交付税を増額するなどの抜本的な対策をとればよい。ところが国は、自らの権限をおいそれと地方に渡すことなど、のっぴきならない事情でもない限り絶対にやらない。それが、"霞が関"というところなのだ。


なんだか、あなたの町は財政難で困っているようですね。
でも、国はタダでは助けてあげませんからね。甘えられちゃ困ります。
ただ、もし原子力関連施設をあなたの町に建ててもいいと言うなら話は別。
その見返りとして、国が『迷惑料』をたくさん支払ってあげますよ。
それから『迷惑料』を受け取るのがあなたの町だけだと、
周辺地域からの強い反発を受けることも予想されますよね。
そうならないように、となり町や都道府県にも国がちゃんと『迷惑料』を支払っておきますから、どうか安心してください。
まあ、もともと『迷惑料』の財源は国民の税金なんですけど、都市部の住民なんて、自分の家の近くに原子力施設ができないんだったら、少しくらい国が『迷惑料』を奮発したって、誰も文句なんて言いませんよ。
まあ、そこはお互いのために、あまり触れない方がいいかもしれませんね。

ものすごく極端に噛み砕いて説明するとすれば、国の心の声はこんなところだろう。これこそがまさに国の本音であり、電源立地地域対策交付金制度の本質なのである。

当然、国が自らこのような説明を国民に対してすることなどあり得ないから、一般市民が交付金制度のダーティーな側面を知る機会は少ないのが実情だ。ただ、こうやって噛み砕いた説明を耳にすれば、国の交付金制度が非常に巧妙に仕組まれていることがわかってくるだろうし、その制度に地方自治体が安易に乗っかることの危うさに気づくこともできるのではないだろうか。


国民にも自治体にも不誠実な国の姿勢


電源立地地域対策交付金に関する北海道経済産業局の発信内容を見てもわかるとおり、一般国民に向けては、「ちゃんと目的を定めて、適正に税金を使っていますよ」という体裁を国は必死に整えている。ところがその一方で、この交付金の活用を模索する地方自治体に対しては、「基本的には何にでも使えますから安心してください」というメッセージを暗に送っているのだ。

どうだろう、"二枚舌"とでも言えばわかりやすいだろうか。税金の使い方としては、ひどく透明性を欠いているようにも見えるこのやり方は、その実情を知れば、多くの人が正しいやり方だとは思わないはずだ。このような国の姿勢は、明らかに国民に対して不誠実。私はそう思うが、皆さんはどのようにお感じになられたであろうか。


他方、こうした国の姿勢は、地方自治体に対しても不誠実であると言える。なぜなら、先述のように、国が財政力の脆弱な地方の自治体の頬を札束で叩いて、原子力関連施設に代表されるようないわゆる「迷惑施設」を受け入れるように仕向けているからだ。北海道の鈴木知事も指摘しているようだが、このやり方には大いに問題があることは論を俟たない。

だって、そうだろう。もし、このやり方を良しとするならば、財政的に余裕がある都市部の自治体が処分場の誘致に手を挙げることなどまずあり得ない。誘致に手を挙げるのは、地域の先行きを案じ、交付金をあてにしてなんとか地域の暮らしを守りたいと考える田舎まちだけ。すなわち弱者を狙い撃ちするような構図が、あらかじめできあがっているというわけだ。

私は過去に経産省の職員から、「国と地方がWIN-WINなんだから、いい話だろう」という趣旨の話を直接聞いたことがあるが、これはもうとんでもない理屈だ。いわば地方の住民の生活を"人質"にとって、解決が難しい国家的課題を地方に押し付ける。国の施策のあり方として、こんなやり方が許されていいはずがないだろう。


ところで、今回の寿都町の件は、片岡町長が自ら「核のゴミ」最終処分施設設置に係る文献調査に手を挙げようとしているだけのことであって、何も国が寿都町を狙い撃ちしたわけではないという意見も当然あるだろう。

確かに一面だけを見れば、そのとおりだ。

だが、その裏には、解決が難しい国家的課題を地方に押し付けるために、国が少しずつ外堀を埋めてきたという事情も隠されている。詳細は本論と離れるので省略するが、国が泥をかぶらなくても済むようにあえて立候補制の制度設計をしておきつつ、一方では、地方が手を挙げやすくなるように国から地方に流れるお金を絞り込んでいく。コトの本質を見誤らないようにするためにも、このような背景があることだけは、私たち一般の国民もしっかりと押さえておきたいところである。

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この先さらに懸念されるのが、国のこうした姑息なやり方の問題とは全く別のところで、地域に深刻な事態を招く恐ろしきシナリオが隠されていることだろう。

次号では、すでに多額の電源立地地域対策交付金を活用したまちづくりを行っている道北の幌延町にスポットを当てて、実質的に『迷惑料』として支払われた交付金が内包する"麻薬的性質"に正面から迫っていきたいと思う。



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