呼気と吸気のダンス

まるでフィギュアスケートのペアを見ているかのよう
私は観客者として見惚れていた
2人の動きはまさに芸術である


呼吸に意識を向けていた時に感じた事です。最近はヴィッパサナー瞑想にトライしていますが、雑念がわんさか出てくるので呼吸に意識を向ける事にしました。

瞑想で呼吸に意識を向ける事はよく推奨されますが、それは「意識的に息を吸って吐く」という事に意識を向ける訳ではないのだろうと思います。身体が勝手に息を吸って吐くのをただ見つめる事が大切なのではないかと。自分で意識的に息を吸うよりも見守る方が新しい発見があり大変興味深い事が起きます。

試しにただ見守っていると吸う息、吐く息は毎回同じ長さ、同じリズムで動いている訳ではない事に気付きます。吸う息、吐く息自身にまるで意志があるかのように、その都度1番適した呼吸をしています。また、吐く息を見守っていると吐ききった後しばらく停止していることもあるため「窒息しないか??」と心配になりますが、時が来るとキチンと息を吸います。すごいですね、身体は私の意志に頼らずとも適した行動を行なっています。

これを続けて思うのは、
呼吸の動きはあっても私自身は何の変化もない
という事。

観客者として呼吸を見ている訳ですが、呼吸はお互いに会話をしてダンスもしているのに、観客者である私には何も変化はありません。ただ見て楽しんでいるだけです。これが自己同一化しているものから自分を剥がした状態なのかもしれません。少し自己想起が何を表しているのか分かり始めたかもしれません。と言っても序の序の序の口ですが。

恐らくこれが自己想起で、確かに自己想起は単調なものではなく新しい発見に満ち溢れているものなのだな、と思います。単に呼吸を見るだけでも「次は一体どんな風に息を吸うの?」とワクワクします。しかも息を吸う、吐く、の動作は単調ではなくまるでダンスしているかのようです。2人でリズムを刻んでいると思ったら、急に吸気が飛び跳ねたりしますからね。君はそんな遠くに行きたいの?って驚きます(笑)

ヨガにはプラーナヤーマ(呼吸の制御)という言葉があり、"プラーナヤーマの科学"という本ではプラーナヤーマについて下記のように説明されています。

呼吸の制御は、体内の様々な動きや、体中を走っている神経の流れの効率的な管理を可能にする。呼吸もしくはプラーナのコントロールによって、簡単に、しかも時間をかけずに、身体、心、魂の制御と発達が実現する。プラーナヤーマを通して、周囲の状況と自分の人格をコントロールすること、さらには、個人の生命と宇宙の生命を調和させることが可能になる。

プラーナヤーマの科学 スワミ・シバナンダ著
p.27

プラーナヤーマを行う事で、三分節を整える事が出来そうです。恐らく、プラーナをコントロールする事は馬車、馬、御者、主人のうち主人の位置に立つという事なのではないでしょうか。

また、身体の生物学的機能の説明(肺の仕組みとか)の後に、このような記述があります。

このように精巧な構造は、いったい誰の手によって造られたのだろうか。ひとつひとつの臓器の背後に、目に見えない神の御手を感じることはないだろうか。私たちの身体の構造そのものが、神の全知を明白に語る。アンタルヤーミン、もしくはインドウェラーとも呼ばれる我々の心に住んでいらっしゃる方は、ドラシュタ(観察者)として体内工場の働きを見守っている。この方の存在なしには、心臓が動脈に血液を送り込むことも、肺が血液を浄化することもできない。祈り、その方に無言の敬意を払おう。いつでもそのお方のことを忘れないように。体の細胞のひとつひとつに、その存在を感じるように。

プラーナヤーマの科学 スワミ・シバナンダ著
p.35-36

理由は上手く言えないですけど、ここの文章好きなんですよね〜。ここを意識すると身体に自己同一化するのを避けられそうだな、と思ったり。

呼吸を見守るというのは、このドラシュタ(観察者)になっているのか、もしくはドラシュタを見守っているのか...どちらにせよ最終的にはドラシュタも観察対象に入るようになるのが理想なのかな。

ちなみに、こちらの本を訳した友永淳子先生が開いているヨガ教室にオンラインで参加しています。1ヶ月は無料との事だったのでお試しで参加してみましたが、身体が非常に気持ちよく呼吸も整ってきている気がするため、今後も続けていく事にします。

オンラインの1ヶ月無料は3/10(木)までに入会した方が対象だそうです!あれ、もう日にちがないぞ!もし興味がある方がいらっしゃれば是非。呼吸と身体の連携を学べればと思ってお試しで入りましたが、願っていたものを教われそうな予感がしています♪( ´▽`)




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