nakobo

1987年盛岡生まれ。6歳0歳の2男児ママ。管理職、育休中。

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1987年盛岡生まれ。6歳0歳の2男児ママ。管理職、育休中。

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泡のように

暮らし続けるとなると、後悔したり、ノスタルジックになったり、奮起したり、消えたくなったりする繰り返しを許容しなければならない。1年には四季があって、寒くなっては凍えて、温かくなっては上着を脱ぎ、感情まで翻弄されて、心をかき乱される日々に慣れなければならない。そんな他愛もない日々、名前もつかないような日々を、愛しく抱きしめられるときもあれば、何もかも捨てようとぐちゃぐちゃになるときもあり、どちらもまともに取り合わず、それなりに受け流していく必要がある。 新しいことを知るたびに

    • OSを乗り換える

      命を宿して生活するこの時期が、何もかも特別だったことを、思い出しながら噛みしめている。自分とは異なる命が確かに自分の中で生きている。わたしとは別の意思で、何かを考え、動き、今日も生きている。 生命の歴史が自分の中に濁流のように流れ込んでくる。どこかから、さくっとやってきたかのような不思議な存在。実際は長く苦しい鬱蒼とした3年間の先にあったのだけど、それでもとても軽やかに私のところに来たように感じてしまう。いまは、当たり前のように、毎日一緒にいる。その不思議さを感じるたびに、

      • 灰色の街で

        すべて結果論だろう。 悪あがきを続けている。 だからうまくいったこともある もうここまでかな、という気分の今でさえ、 たぶんうまくいくだろうと、無条件に思うから呆れる。 4歳の、10歳の、15歳の、18歳のわたしは、 きょうの日を生きる私が、もしかすると、 全然大人ではないし、そこまで強くもないんじゃないかって 理解していたのかもしれない。 父と母のブレンドで、好奇心のままに生きていけば、 大人の私は、壁にぶつかっていくんだろうって。 子どもの頃も、 小学校も、中学校も

        • 永遠にゾンビ

          徹底的に拒んでしまう。交じりあえないのであれば、誰であろうと深追いはしない。それさえ壊して迎えに来てほしかった子どもの私を、大人になった私がずっと閉じ込めている。理解されたかった。でも理解されたかったことが何だったのかは、もう忘れた。忘れている。ずっとずっとずっと今も、どうしても理解されたいから、それに縛られている、何もかも。だから強く拒否している。9割9分、隠している。ずるをするような人間を断罪しようとしてしまう。勝手にあがりにさせない。あがるなら、他人。どれだけ同士だった

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        泡のように

          システム

          人生は分岐する。これはもう仕方ない。偶然も、必然も関係なく、出会った人やその信条に、大きな影響を受ける。影響をうける側の我々の感受性やキャパシティーも多種多様で、思考と思考が結合し、好き / 嫌いとか、賛同 / 拒絶とか、そういう結果になって結論が決まっていく。 そもそも人との出会い自体が、自分の選択がもたらした結果のひとつで、就職や転職はその典型だろう。自分が心を燃やせる、もしくは燃やさずに安住できる、またはそのいずれでもないその人なりの選択軸で、選んでいる。選んだつもり

          システム

          大丈夫?って聞くチケット

          「大丈夫?」って聞くチケットは、同等の努力で購入できる特権だってわかってる?心配する所作が無条件に許される世界をシャットアウトしている。わたしも、自惚れていたと思うから。 悲しいけど、5%以下だった。だから思いきって捨ててみたら、とてもすっきりした。後悔する隙間がないくらい、満足してしまう。長い人生、道が交わったその一時だけ、心地よく過ごして、お互いに貰うものを貰って、そこから先はまた分岐すればいい。あなたも、あなたも。

          大丈夫?って聞くチケット

          断捨離

          堂々と言えないことなので、どこか後ろめたさがあるけど、あなたがこの先、許されて生きていくことについて、とても不快に思っています。 装ってしまうのは仕方の無いことだし、多くの場合、本人よりも周囲が装わせてしまっていたり、装っていて欲しいと外圧をかけたりするのかもしれない。だけど、もし信念や志を盾に、自分にベットさせようとしたなら、幾重にも重ね着をして、高らかに鳴らして、すましている場合ではない。 これは、覚悟して迫ってみたときにしかわからない。 不条理は、お金を積んでも買え

          詫びしかない

          詫びしかないくらい感謝をしている。優しくしてもらったからとか、居場所をもらったとか、自己肯定感を維持できたとか、そういう単純な話ではない。 ただ一点の迷いも疑いもなくあの姿を目指そうという存在が近くにいることは、誰にでもできる、いつでも堕落できる穏やかな生活にはない自分の生き方があるような気がするし、ゆるめるのも、きつくするのも、どこにも逃げ場がなくて積んだーと思っても、最後の抜け道が見つかるのは、私はやっぱりこういう人間になりたいと思うからで、自分が今もっている筋力だけで

          詫びしかない

          ぱりん

          人によっては、ポキン。でも私には、パリンだった。 割れたあとは、意外とサラサラしていた。 とある普通の日にそれは割れて、大慌てで修復した。今まで一度たりともこぼしたことはなかった。そこには毎日大量の水が流れ込んで、絶対に溢れさせないように、防波堤のように高く高く、自分で淵を高くしてきた。 割るつもりはなかった。ずっと大切にしてきた。一度壊れてしまったら、直し方を知らない私を知っていたのかもしれない。 いつの間にか私は八方塞がりで、もう上に昇るしかない。だって前も後ろも

          ぱりん

          悪魔みたいなこと

          とりとめもなく毎日のことを書くと、本当にとりとめもなくなってしまうから、文字にすることは気がひける。でも書かないとそれはそれで忘れてしまう。 普段抑え込めている気持ちが、どんどんかたちになっていくことは「良くない」ことだと思っている。でも圧縮した気持ちは結局うまく取り込むことができなくて、とけずにずっと残っていたりもする。 だから少しだけ、残しておこうかな。 最近、息子(はーちゃん)の性格が、すこし変わった。 はーちゃんはいつもにこにこして、すこし引込み思案で、恥ずか

          悪魔みたいなこと

          気付けば1年以上も空いてしまったnoteを

          そうこうしているうちに、noteを更新せず1年以上が過ぎていました。 最後の記事は、祖母との別れについて。祖母の存在は今だに強烈で、街で似たような面影に出会うと涙があふれてくる。今年の7月23日までは塗り続けると決めていた、お葬式の日の赤茶のマニキュアも、追いつかなくなるほど毎日駆け抜けてきた。 何かを言いたくて、何も言えなくて、日々の感情をどこにも記録することなく、毎日が過ぎていく。せめて息子の記憶だけは消えていかないように、慌ててカメラを起動して、息子のか弱いむちむち

          気付けば1年以上も空いてしまったnoteを

          7月23日

          誰に会いたいのかわからない。だけど、どうしようもなく、会いたい。そんな状態がたぶんもう年単位で続いてるんだけど、今夜は余計にそうだ。 なんかわかるよ、それ。と言ってくれる人に、会いたいのかもしれない。数少ないけど、これまでの人生で何度か顔を合わせた、あなたかもしれないし、はっきりとしたことは言えない。 一昨日の朝、祖母が死んだ。老衰で、眠るように。父が駆けつけてお医者さん立会のもと確認した時間が、記録されるこの世を去った時間。正確なところは誰にもわからない。誰の目にも触れ

          7月23日

          ふとしたときに、この子の母であることが実はまるごと嘘だったんじゃないかと思うときがある。夢かな、みたいな。大切すぎるんだなー。そのシーンが仕事の人もいるだろうし。

          ふとしたときに、この子の母であることが実はまるごと嘘だったんじゃないかと思うときがある。夢かな、みたいな。大切すぎるんだなー。そのシーンが仕事の人もいるだろうし。

          こどもの成長に追い付けない

          当事者になるまでは分からないけど、世間一般に言われていることって、形が違うとか色が違うとか多少の差はあれどだいたい経験することになる。そんな風にできてると思う。 1年間の産休・育休を経て、めでたく区立保育園に内定し、大好きな我が子とゆるゆる過ごす平和な日々に別れを告げ、かつて生活の90%を占めていた社会という戦場に戻る。しかも平和ボケした戦闘力ぜろの頭で。そんな当事者が、わたしです。 同級生、同期、ご近所のママたち、既に「育休復帰」を経験した先輩たちがつぶさに教えてくれた

          こどもの成長に追い付けない

          振り返れば7年後には

          社会人生活がスタートした頃、僅か7年にも満たないうちにこんな毎日が待ってることは、想像もしていなかった。 残有給を30日以上使って、約3ヶ月の産休。生活が激変してもっと戸惑うかと思ったけど、今までより30分早く起きて弁当を作り、仕事に送り出して、朝ごはんを済ませ、即座に寝る(笑)そんな生活にもたった3日で順応できた。最初の頃はまだ夏休み的な感覚で、「仕事に行かなくていいってどういうことーーー?」って考えてたけど、毎日途切れることのなかった微弱電流みたいな弱いストレスが、完全

          振り返れば7年後には

          仕事のセンス

          「仕事のセンス」がある人。わたしはそんな人にめちゃくちゃ憧れてた。センスを感じる理由や条件はうまく言葉にできないけど、その人の存在はいつまでも心に残ってる。 それならとことんその人に引っ付いて、盗めるだけ盗めばいい。ところが残念ながら、憧れはコンプレックス化して、それすら出来なかった。自分の弱点が露呈するその場所から、自然と足が遠のいてしまって。そんなところもひっくるめて、わたしはセンスも勇気もないのだけど。 うん、わたしはいつも勇気がたりない。それに気が付いたとき、「こ

          仕事のセンス