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よるのくまとねやのひま

夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり─俊恵法師

よるにくまがいること、ねやにひまがあること、ごぞんじでしょう。

よるのくまは、電気を消したくらい部屋に出てきます。
なやみ、つらさ、心配、膨満感、ふあん、などを吸い込みます。

明けそうで明けない、ちょっと明けそうな夜。
夜は、暗いままでいてほしい時は勝手に明るくなるし、早く明るくなってほしいときには暗いまま。
カーテンのすき間の向こう側で誰かが意地悪をしているみたいで、思うようにはならないのです。
この、カーテンのすき間の向こう側にいるのが、いわゆるねやのひまというやつです。
 
眠れない夜ほど長いのは当たり前のこと。
眠れない夜はのどが渇く。眠れない夜はお腹が空く。
よるのくまと冷蔵庫を開けてみると、干からびかけたハムが一枚だけ。
ぬるんとマヨネーズを乗せて、少し巻いて食べました。真夜中のマヨネーズは、昼間より味が濃いのです。
おいしさのあまり、指先にマヨネーズをぬるんと乗せて舐めてみて、それでもまだ、お腹がふくれません。
よるのくまは、冷凍庫を開けて氷をばりばり齧っています。
ねやのひまは、カーテンのすき間で黙っています。

真夜中。Twitterでは見知らぬ誰かがおいしそうなものを食べているのに、我が家には氷とマヨネーズしかないなんて。しかも、それがわりとおいしいなんて。
風もないのに背中がそわっとして、今夜はやけに床が冷たいのです。

外に出よう。
夜の町に。

よるのくまといっしょに、夜の町を歩きます。
ひたひた歩くと足音がコンクリートに吸い込まれて、まるで海の中を歩いているみたい。
ほかに誰もいない道を照らしながら、街灯が黙って立ち尽くしています。
街灯も大変なんだろうね。

目的地はないけれど、とりあえず駅へ。
終電が終わった駅では、改札も窓口も閉まっていて、ジュースの自動販売機が明るく光っています。
よるのくまはそっと、改札のなかを覗き込んでいます。
本日の運転は全て終了しました、と、電光掲示板が黙って伝えています。
いつまでが本日で、いつから明日なのかな?

夜でも昼と同じように明るいのはコンビニ。お店に入る時も、昼と同じ明るいチャイムが鳴ります。
おでんと肉まんと唐揚げのにおい。ずらっと並んだアルコール飲料と炭酸飲料。
くまはコーラ、自分はロング缶のビールをレジに持っていきます。
肉まんとピザまんもひとつずつ下さい。

夜の町を歩きながら食べる肉まんはおいしい。
よるのくまが黄色いピザまんを持っているのは、すこしかわいい。
肉まんの下についていた薄紙をポケットに入れて、ビールのプルタブを開けます。
ぷしゅう。
夜の空気に、ビール工場の空気が混ざります。

県道沿いに歩いて、トラックとたまにすれ違うと、ヘッドライトが眩しいのです。
缶ビールは、350だと足りないけど、500だと多いよね。
ペプシとコカコーラは似てる味だけど全然違うよね。
たまに考えるのは、自分が気づかないうちに世界が終わったんじゃないかってこと。
ドラえもんの声が変わった時みたいに。

こんな夜中にいい匂い、と思ったら、ラーメン屋さんでした。
カウンターだけの横に細長い店は意外と繁盛していて、ラーメンをすする中年男性の背中が並んでいます。
きっとおいしいんだろうね。
でも、今日じゃない。
世界は終わってなかったみたいだね。
今日のところはね。

ただいま。
ただいくま。
電気、つけたままだったね。

コップをふたつ出して、帰り道に自動販売機で買ったピーチネクターを注ぎ分けていたら、ねやのひまがカーテンのすき間からそっと出てきていました。
ネクターが欲しいの?
分けてあげるから、そんなにつれなくしないでよ。
意味もなく散歩をするくらい、今夜は長すぎるんだ。

ピーチネクターを啜ったら、ねやのひまはカーテンのすき間の向こう側に帰ってしまいました。
よるのくまは、もう布団にくるまっています。
Twitterに流れてくるのは、焼肉の写真と猫の写真。
カーテンのすき間の向こう側から、またきらきらした朝がやってきますように。
おやすみなさい。

この小説は
百人一首アンソロジー さくやこのはな
の参加作品です。

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります