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俺の秋(72候/麦秋至)

麦秋、というのはてっきり秋なんだと思っていた。それか、麦が豊作な年の秋、みたいな。イメージ。
ところが麦秋というのは梅雨入り前の初夏(晩春?)のことだというのを知って、どうにも不可解な気持ちになり、取り急ぎ発泡する液体状の麦を摂取して精神の均衡を図ってみたい。

ぷしゅう。
ぷはー。
うま。

何でも、麦は二毛作が可能なんだという。
米と麦とか、大豆と麦とか。年に二回収穫できる。
へえ、なんかお得。
それで、例えば秋に米を収穫した後に麦の種をまいておくと、梅雨入り前の時期に収穫になるんだとか。
それで、麦の秋。
理由は、麦を収穫するから。

それってちょっと、強引なんじゃないの?
いや、君にとって収穫の時期ってことは分かるし、米とは違う時期の収穫になるってことも理解してるよ。
それでも、麦を収穫する時期をわざわざ「秋」って言い切っちゃうセンスっていうか、強引さっていうか、どうなの?って思うわけよ。
君にとっては秋なのかもしれないけどさ、世間一般では春っていうか初夏っていうか、そういう時期なんだよ。ね?
だからさ、自分が収穫されるからって、今の時期を秋っていうことは、ないんじゃないかなー、って。ね?

つらつら呟くのをつまみ代わりに飲んでいたら、350mlのビールはあっというまになくなった。
500mlにしてもよかったな。

飲み終わったビールの缶の中を、そっと覗いてみる。

「だって、麦が収穫されるんだもん。麦には秋なんだもん」
空き缶の中に残る缶ビールの残留思念がそう言うと、
「そうだそうだ」
「なんなら全日本的に今の時期の名称を変えてもいいと思う」
「初夏の名称を秋にする運動に、ご署名おねがいしまーす」
買い置きの食パンたちもやんやと騒ぎ始める。六枚切りは厚みがあるせいか、八枚切りよりも声が大きい。

君たちはいいよなあ、収穫されて、脱穀されて、なんやかんや加工されて、今では立派にビール(アサヒ)と食パン(パスコ)になってる。
ところで、私の秋はいつ来るんでしょうか?

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります