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地獄と千の夜

どんな地獄にいようとも、会いたい人がいるということは、一体どれほどの光になり得るだろうか。

心身を壊してから、大好きなAqua TimezやLittle Paradeの曲をほとんど聴かなくなっていた。

情けないような、恥ずかしいような。尊敬しているし、愛するがゆえに合わせる顔がない、みたいな気持ちだった。

それでもファニコン(会員制のファンコミュニティアプリ)はしっかりチェックしていた。ときどき配信をしたり、歌を載せてくれたりする。

去年Little Paradeのツアーに行ったときは「姉ちゃんがこの歌好きだから」とNOKKOの人魚を歌っていていて、どうかカバーアルバムを出してくれはしないだろうかと心の底から思ったものだが、6月29日にファニコンに載せてくれた真夏の果実は凄かった。

繊細なピアノとやわらかなハイトーンボイスがとにかく心を揺らしてくる。サザンオールスターズの原曲がそもそも好きであるのに、大好きな人が大好きな声で歌い上げることでこんなにも聴こえ方が変わってくるとは知らなかった。

公開されてから幾度となく聴いては涙を流し、眠れずに迎えた今、午前6時37分、思い出したようにあの人の真夏の果実を聴いて、やっぱりぽろぽろ泣いている。

何回か聴いてから、思いきってLittle Paradeのlong slow distanceスクールカーストを再生してみた。

もっと愛したかった もっと愛されたかった
そんな風に思わせてくれる相手がいたこと
誰にでもあるはずさ まぶたの裏に
その人との幸せを描いたこと
誰に見せるためでもなく描いたこと
long slow distance/Little Parade


何度も、何度でも、わたしが帰り着くのはここなのだと思った。あの人の音楽に寄り添われて、照らされて生きてきたし、これからもそうだろう。

わたしが絶好調だろうが、絶不調だろうが、音楽は変わらずに存在し続け、この耳に受け入れられるのをただ待っている。

心を擦り切らし、あるいは磨き、懸命に生きているあの人と、そんなあの人に会いたくて泣いているわたしがいるこの世界。


以前、最果タヒさんがこんなことを仰っていた。


チケットは願い。とてもしっくりくる言葉だった。

10月8日、どうしても会いたくて迷いもせず取ったツアーのチケットを、電子なので触れることはできないのだけど、心の中でぎゅうっと抱きしめる。これがわたしをあの人のもとへ運んでくれるのだから。それまで生きようという活力をくれるのだから。「乗り切れない」だなんて言葉は通用しないこの人生を。

君の夜が張り裂けた時にはいつだって
声に出して聞かせてほしいよ
淋しさってきっと 内側で剥がれるものだから
1人で泣いて 明日を引き裂いて
冷たい光を住処にしないで
We must/Aqua Timez


どんな地獄にいようとも、会いたい人がいるということは、間違いなく光になり得るのだ。

会いたいと願えば願うほど、それは愛しているということだから。

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