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もっと軽やかに生きるために、気にしいプランの見直しをします

このnoteやXでも度々お話ししているように、1月くらいから個別コーチングの継続セッションを受けている。

▼コーチのまこちゃんのnote

▼私の中で激震が走った前回のセッション振り返りnote

毎回のように気づきや学びがあって、セッションを受けるたびにピーリングしてどんどん自分の深部に近づいているような感じがある。
いや、深部に近づくというよりも、深層心理を引き出しやすくなるというか、自分というものの得体がどんどん知れていくというか。

むずいけど、とにかくめちゃくちゃ生きやすい感じがする。
ちゃんと自分で生きられるような気がしてくるんだよね。

そんなこんなで、今回もセッションを受けまして、もうびっくりするくらいまたもやピッカーンと全身に雷が走ったような衝撃があったので、忘れないうちに(そして興奮が冷めないうちに)ここに書き留めておきたい。

(時差投稿すぎる)

きっかけはふとした日常の違和感

セッションの最初には、アイスブレイク的なチェックインの時間がある。
そこで今感じていること、心の中のものを取り出して、心をリセットさせてからセッションに臨むのだ。

そこで私が話したのは、最近になって気になり始めたちょっとした違和感。
いや最近じゃないな、結構前からそんな自分の側面に気がついていたんだと思う。

2年半前くらいからキャリアスクールに入会して学び直しを始め、ライターになった今もインプットを継続するために所属し続けている。
いわゆる古参メンバーに片足突っ込んでいるような気がしているが、そうしていると次第にオンラインでしか会っていなかった受講生仲間とオフラインで会いましょ!となることも多くなる。

まぁこれは、キャリアスクールのお友達に限ったことではないんだけど。
知り合って間もないお友達と、半日くらい時間をともにし、言葉を交わす。
そうしているとどうなるか。


───無音が怖くて、話したくもないことを口走ってしまうのだ───


ここでは、その内容は伏せるけど。
あえていうなら、自分も相手も心を消耗させるような、そんな内容。
好ましくない、ほんとなら耳に入れたくもないような。
(きっとわかる人にはわかるよね、わかってくれ)

あ〜〜〜自分性格悪いなぁ、なんでこんなにもサラサラと言うまでもないことが湧き出てくるんだろ。
相手と別れた後、毎度と言っていいほど帰り道に心が重たくなるのを感じて。
そんなことが何度か続き、普段はそこまで気にしすぎていないのだけど、コーチングを継続して受けるようになった私は以前よりも自分の心の機微に敏感になっていて、なんとな〜く心に引っかかっていて。

そんな違和感をひっさげたまま迎えたコーチングセッション。
あぁ〜こんなこともあったからちょっとここで吐き出しておこう。
そんな軽い気持ちでまこちゃんに打ち明けたこの話が、この深い夜に向き合う命題になるなんて思ってみなかった。

「パケ放題」と「ライトプラン」

まこちゃんと話しているうちにわかったけれど、私は会話の無音状態にあまり免疫がないようだ。
でもこれは誰に対してそうかというとそうでもなくて、たとえば夫とか、10年20年以上の付き合いになる友人とかに対してはそうはならないことがわかった。

要は、自分がまだ緊張してしまう相手にとっては、「なんとかして喋らないと」「この無音を埋めないと」と焦って思っても見ないことを口走ってしまうと……
(これは仲がいい悪いの話ではなく、もっと仲良くなりたい・なれるはずと自分自身がポテンシャルを感じていることの表れだと、私自身は捉えている)

「なりーちゃんの中にあるそこの意識の違いって、例えるとどんな感じなのかな?」
そう問われてスッと出てきたのは、アラサー世代の香りがする「パケ放題」と「ライトプラン」という言葉。笑
もちろん親しい相手にも基本的な気遣いというのは存在していて、でもそれは自分の中に基本的に備わっている「気遣いのライトプラン」
でも心の距離が比較的遠い相手に対しては、余計な気遣いや配慮、言ってしまえば相手がどう感じるのか不安だからこれもしなきゃあれもしなきゃとなんでもかんでも詰め込んでしまっている状態の「気にしいのパケ放題」
そんな感じで意識に差が生まれていると、セッションで気づくことができた。

(この表現を思いついたとき、あまりにキャッチーすぎてまこちゃんと二人して爆笑してしまった。笑)

余計なオプションを外して、プランの見直しを

パケ放題とライトプラン。
この両者を、相手によって使い分けるのは至極当たり前だと思っていたし、というか無意識下すぎて今までそんなプランの使い分けを自分がしているなんてこと気づいてもこなかった。

でもそこで、まこちゃんが「これは聞き流す程度でいいんだけど」と前置きして、また私に雷を落としてくれたのだ。

「人とつながるのに、自分が話題を提供しなきゃ!って思う必要はないんだよ」

\えええええええええええええええええええ/


衝撃だった。笑

ここ数年くらい、オンラインのイベントを企画したりコミュニティの中心でまとめ役をしたりしていたので、それがより顕著だったのかもしれない。
なんだろう、意識せずに自分が【ホスト側】になっている感覚というか。
とにかく相手を楽しませないとって。

なんの確証もないのに、相手に何かを期待されているような気がしていたのかも。

とはいえ、これはここ数年で始まったことではない。
記憶に残る限り、中学時代くらいからこの気はあったと思う。
思春期の女子の集合体で私もそれなりに洗礼を受けて、授業後に部活に出向いたら露骨に友人たち(あのときは友人とはいえなかったかもだけど)が輪になっていて、その空気に耐えきれずにその場を後にしたあの日の恐怖。
トイレに呼び出された前と後で、天国から地獄に変わった瞬間。
公園のテーブルに乱暴に残された落書き。

「人に嫌われると終わる。」
その体験が長いこと自分を蝕んで、嫌われない技術、相手を飽きさせず期待に応える技術を自分なりに見出そうとした結果なのかもしれない。

↑余談なので消しときます。

今は、プランの見直し時期。
幸いなことに、大人になった今、私のことを無意味に攻撃しようとする人はいないし、必要以上にあの日の恐怖に怯えることはない。

まこちゃんからもらったお守り

話さなくても、人とはつながっていられる。
少しずつその体験を積み重ねて、あの日に過剰装備しすぎた「気にしい」を、少しずつ軽くしていきたいと思う。



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