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自分を嫌いにならないために人間の断捨離をすることの何がいけないのか?

「人間関係 断捨離」

これでググると、様々な人が人間の断捨離を実行してみて感じたことが検索結果や予測に上がる。

ストレスが減った。後悔している。縁を切られたなど。

こういうサイトでは、自分に不必要な人間との関係をバッサバッサ切っていくことで、自分のための時間を作ろうだとか、大切な人間を見直そうだとか、そういうことが謳われている。

私も連絡を取らない人はすぐに友達削除してLINEをすっきりさせたり、トークを削除したり、Twitterアカウントをミュートにしてタイムラインを見易くするなど、断捨離とまではいかないけれど他人に余計な興味が湧かないように、他人の余計な情報が目に入ってこないように工夫はしている。

ここで断捨離の意味をもう一度ググってみた。

【断:入ってくるいらない物を断つ。 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。 離:物への執着から離れる。】ウィキペディアより引用

【モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。】コトバンクより引用

【執着を捨てることを旨とする片づけ術の標語。断つ、捨てる、離れる。】weblio辞書より引用

おそらく人間関係の断捨離をあまりよく思わない人は、「不要な物」「いらない物」という部分に気を取られ、主旨である「執着を捨てる」という言葉が頭から抜けてしまっているように思う。断捨離を、単なる不要なもの、ゴミ処理と捉えてる人は自分が断捨離されたら自分が不要なものだと認識してしまっているのだ。

ただ、断捨離している側からすると、別に相手が不必要なわけではないのだ。人間の断捨離をする理由は、相手に執着している自分に嫌気が指すからである。他人の存在を気にする前にまず自分のことを気にかけなければいけない(自分に執着しなければいけない)のに、他人の言動が気になって自分をケアすることが疎かになってしまうと、自分は誰のために、何のために生きているのかわからなくなってしまう。まさにアンパンマンのマーチ状態である。自分ではない「相手」に執着していると本来の自分を見失いそうで、その「相手」の存在によって自分を失いそうになっている自分に気付く。自分の知らないところで自分が「相手」に執着していたんだと知り、その「相手」への執着によって自分の感情が不安定になったり、自分のやりたいことが手付かずになったりと、自分の描いていた自分とかけ離れていっていることに気付き、「相手」への執着によって変わってしまった自分への嫌悪感が生まれる。

ここに、自分を嫌いにならないためにも「やらなきゃいけない」人間の断捨離をする理由がある。例え相手に非がなくても、相手には申し訳ないけど、自分を嫌いにならないために必要な人間の断捨離だってあるのだ。

断捨離ができるタイプの人と、できないタイプの人がいる。それは当たり前だ。ただ、「自分はできないタイプ」だと思っていても、他人に執着している自分が嫌だと自ら気づいている人がいるとしたら、断捨離はした方がいい。もし、「自分はできないタイプ」だと思っていて、執着してても別にいい。もしくは自分が他人に執着していることにすら気づいてない。そんな人は断捨離しなくてもいい。しかし、そんな人はまずこのnoteが言っていることがわからないと思うので、最後まで読まないとは思うが。

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