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【GLAY】地固まる2007

高校時代に毎日グロッキーな状態で乗っていたキハ40系車両に揺られて通勤するのもなかなかツラいものがあった。
車通勤禁止であったため、自宅から駅まで自家用車で向かい、地元民が「汽車」と呼ぶディーゼル列車に乗り換える日々。
流通大手とはいえ地元採用の非正規雇用の給与基準はあくまでもその地域の最低賃金で、入社当時は時給630円であった。
致命的に算数のセンスがないのになぜか会計担当で採用された私はすべてがアナログだったその頃の帳簿に書く「0」の数に眩暈がしていたし、毎日触る数千万円の現金と自分の時給の不釣り合いに辟易としていた。
売り場の声出しや客整理の手伝いに借り出された際の適性が認められて、非正規としては異例の営業企画へ転属になるのは入社10ヶ月後のお話。

地元での生活基盤がつくられ、無自覚の積極奇異型アスペルガーおばけだった私の人間関係は急速に広がっていった。
そういえばウサギの墨さんと暮らし始めたのもこの頃、2007年2月のことだった。

幼墨さんかわよ。女の子として販売されていてすっかり信じていたのだが…?
2016年10月16日没。虹の袂で再会できるのを楽しみにしている。

経緯はすっかり記憶から抜け落ちているが、地元のGLAYコピーバンドのメンバーと知り合った。
2007年のGLAYツアーはそのメンバー3名と、メンバーの友人でライブの日に初めて会ったお姉さんと一緒に、宮城県まで珍道中となった。
何故そこに合流することになったのかまったく覚えていないけれども、ありがたいことに今もご縁は続いている。


GLAY ARENA TOUR 2007 “LOVE IS BEAUTIFUL”

2007/2/16 宮城グランディ21 西スタンドIブロック2列*番

トランポの直筆サイン

こんなに道中DVDなんかを観て盛り上がった経験はなかった。
いくつになっても、新しいライブの楽しみ方は見つかるものらしい。感謝。

会場に着いた時間がとてもちょうどよく、グッズも並ばずに売り切れなく買え、久々に会う友人たちともたくさんコミュニケーションできた。
明るいうちにトランポも撮影できた。

念願のズラ~氏もめでたくゲット!

今やGLAYのマスコットとして定着しているズラ~氏の黎明期

あまりにも手のフィット感が良く、ライヴ中ずっと握っていたら腰がものすごくくびれた。ズラ~氏、GLAYダイエット。
明るい所でよく見たら、あり得ないくらい毛玉だらけになっていた。
今日買ったばかりなのに!

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泣かないつもりだった。
本当に楽しくて楽しくて、泣くことなんかないと思っていた。

「ありがとう、東北!!!!!THANK YOU!!!」

スイッチが入った。

ほんとのほんとの最後のファイナル、ステージを降りる挨拶のときだった。
帽子を取り、何度も何度もお辞儀をするHISASHIさん。
いつものように隅っこではなく、真ん中で誇らしげにガッツポーズをするTAKUROさん。

最近の東北公演は、なんだか非常にほのぼのとローカルな空気感がある。
北国だから?
出身地としての北海道は確固としてあるけれど、彼らは実は東北との因縁も非常に強くDNAの中にあって。
なんか、帰ってきた感じがあるのだとしたら嬉しい。

あんなにみんなが幸せそうに笑っている。
TAKUROさんがこんなにずーっと満面の笑みだったライブを私は見たことがない。
幸せそうなメンバーを見られることが、幸せだった。

「TAKURO!!TAKURO!!!TAKURO!!!!!」
感謝の思いから、ステージサイドで声を枯らして叫んでいた。
そんな私の声に気づいてくれたTAKUROさんは、こちらを指さして
にっこり笑った。


2007年は意外にもこの1本しかライブに行っていなかったようで、やっぱりGLAYもいろいろ大変だったということなのかしらん。
ライブができることも、ライブに行けることも、なにもかもが当たり前ではないのだと。
コロナ禍になって初めて気づいたかのような言説は多いけれど、はっきり自覚していなかっただけで、そのことを思う機会は過去に幾度もあったのかもしれない。

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