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【GLAY】あれから20年~函館~聖地巡礼2003

先週11/2・3はGLAY HIGHCOMMUNICAIONS TOUR 2023-The Ghost Hunter-の封切り、仙台公演に参加するため当地に行っていた。
前回のホールツアーから引き続き、新曲に加えて”Ghost”の名のもとに、最近あんまりライブでやってない曲で構成されたアリーナーツアーである。
10/25に行われた練習ライブのZepp Diver City公演に参加した人はだいたい似たようなセットリストだったようなのでわかっていたと思うが、それ以外のオーディエンスにとってはまさに超イントロ・ドン♪状態。
あれ、コード進行とか理解している人ならすぐに何の曲かわかるのではないかと思うのだが、どうなのだろう。
私はコードとか楽器のことはさっぱりなのだけれども、たぶん感覚としてそのコードなどと呼ばれるものの音の重なりや雰囲気で何の曲かわかる時があって、フワ~っと音が聞こえてきた段階で「うぉおおおお」っとなる。
会場全体からワァーっと歓声が上がるのは聞き覚えのあるフレーズが鳴り出した瞬間であるから、”なんかまだシーンとしてる時にひとりで興奮してるタイミングのズレたヤバい人”でしかないのだが、共感してくださる方はいるハズ!…と、思いたい。
ともかく、前回のホールツアーにさらに輪をかけたマニアックな選曲になっている。
私にとっては”あの頃のなにか”に突き刺さる曲ばかりで、すごく、ものすごく佳いのだけど…なんかとてもつらかった。

そのツアーが今週末はGLAYの地元・函館公演ということで、すでに当地では地域を挙げて歓迎ムードというニュースが入ってきている。
私はもう今回のツアーは仙台で終了なので盛大にGLAYロスっている最中ではあるのだが、せっかくなのでここでちょうど20年前の2003年にいわゆる「聖地巡礼」を行った際の記録を再掲して、気分だけでも函館に行っておきたいと思う。

当時はもちろんスマホはなく、ネット上の情報も十分なものではなかった。
参考にしたのはJIRO著『キャラメルブックス』(絶版)と、『キャラメルパビリオン』(絶版)e-HAKODATEさんが出版されていた観光ガイドブック、そして紙の地図!
なにぶんひと昔もふた昔も前のことであるので初っ端の交通事情からして今とは違うし、もうなくなってしまった場所の方がもしかしたら多くなっているかもしれない。
だからこれからの聖地巡礼の参考にはならないかもしれないが、ちょっとしたノスタルジーを感じていただければと思う。


2003/9/8(月)

友人Aと私の2人「チームみちのく」は7:59盛岡発・新幹線はやて号にて八戸へ。
乗り換え時間10分しかないのにホームがものすごく遠いので急いで特急白鳥に乗り換え、青函トンネル突入。
GLAYもオフだから里帰りしていないかしらと期待するも、雨が降ってきたところをみると、どうやらTERUさんはいないらしい…。

痛グッズ★お手製の顔ウチワ
悪魔:TERU/HISASHI、天使:TAKURO/JIROで表裏になってる

わりとすぐ着いてしまうので、あまり実感のないまま聖地入り。
修学旅行と思しき小学生の集団に巻き込まれつつスロープを抜けると…Art Style of GLAY電光掲示板発見!!
ここに来て初めて興奮する。

すっかり新しくなってしまった函館駅にて、関東方面から飛行機で来た友人Bと合流。
会うのは1年ぶりかつたった2回目ながら「ふたり、わかりやすすぎるよ!!」との反応。

わかりやすいってよく言われる

雨のため、しおりに書いてある予定を大幅に変更。
荷物をホテルに預け、昼食をとるため市電に乗り末広町の「カリフォルニアベイビー」(通称カリベビ)へ。
迷わず「シスコライス」を頼むも、びっくりなボリューム!!でもおいしいのでなぜか食べきれてしまう。
我慢しきれなかったのか、旅のお供ジロウサギも思わず羽を突っ込む。

いよいよ始まったってかんじ
函館の「1人前」の標準量を我々はまだ知らない

このあたりには聖地が密集していて、すぐ向かいに金森ホール、西波止場、BlueMoon乗り場があるが、ここはいったん見送って、翌日の予定だったArt Style of GLAY(2007年閉館)へ向かうことに。

受付で「GLAYですか?北島三郎ですか?」って訊かれる
ちゃんと歴代グッズとか横尾忠則作品とかあったんだけど

入口のオブジェでも十分遊べたが、中はもっとすごかった!
創作意欲を掻き立てられる。
唯一写真撮影が許された場所は…半場人のメンバーの絵がプリントされた非常ドアの前?!(この後数年で、撮影可能エリアの規制は緩和されていったもよう。)
行く人や時期によっては内容に満足できなかったり、グッズが少なかったりということもあったようだが、少なくともオープン当初は「常設のEXPO館」みたいな感じで非常に充実していた印象を持っている。

スタッフはおそらく(株)Winningの従業員さんだろうと思うが、全員SWATのようなハードスタイルで各所に立って見守られているので緊張感があった…と思いきや、客がいないと作品の横でちょっと遊んでいたりして「危ないっス!!汗」という場面もあった。

サブちゃんグッズとGLAYグッズが隣り合う売り場で、お目当てだったツバキアンナTシャツ等諸々2万円分ほど購入。

ちなみにこの約2年後(株)Winningの入社試験を受けたのだが、メールアドレスからしっかりGLAYファンだとバレてしまい、面接も緊張のあまり何一つまともに受け答えできず、もちろん今後のご活躍をお祈りされるに終わった。
今となっては、ほろ苦くも良い経験としてその後の就職活動の糧となったと思っている。

この後まだ時間があったので、先ほどのカリベビ向かいのエリアへ移動。

やるよね
憧れの場所

「西波止場ショップ2Fテラスにある台」の上でJIROさんと同じポーズ。
その向かいにはあの「金森ホール」があり、感動の連続!

倉庫群にあるビアホールで夕食を…とはいえシスコライスのおかげでまだお腹が膨れており、おつまみ程度にいかめしをひとつ。
ホテルに帰りカツゲンを飲みつつ、翌日の晴れを願っておやすみなさい。


2003/9/9(火)

雨も上がった2日目、GLAY武道館記念日。
ともかく便利で安い市電で移動し、前日訪れた西波止場の裏で、かの有名な「サイン入り屋根付きベンチ」探し。
あまりにも何の変哲もないベンチなので見つけにくくてウロウロしてしまったが、ずっと目の前にあったではないか。
それにしても、ラクガキが酷すぎた…元のサインなど見つけられるわけがない状態。
書いてごめんなさいといったような文言も見受けられ、謝るなら書くな!!とキレてみたものの…まあこの程度は序の口に過ぎないのであった。

一応写真だけは撮っておく

追加でグッズ購入のため、再びArt Style of GLAYへ。
水滴の残るオブジェがまたアート心(?)をくすぐる。

まだ「ぬい旅」文化もない時代の話よ?
あ、当時からそういう扱いだったんですね…

ベイエリアから坂を上れば元町エリア。
「写真歴史館」からお隣の「旧函館区公会堂」へ。
ハイカラな衣装を借りることもできたが、好みのものがないので遠慮した。
「チャーミーグリーンの坂」をはじめ、このエリアはとにかく坂だらけ。
動悸・息切れのため、一気には上り切れないのであった。

昔のカメラとかいっぱいあってかわいかった
歴史的建造物で何をしている
ノーコメント

ひと休みしようと、公会堂の近くにあるTERUさん推薦のソフトクリーム屋さんへ。
TERUさんがTVで紹介したのは斜め向かいにあるお店だが、こちらの「宇須岸(うすけし)の館」さんの方が本当は紹介したかったお店だった…という噂がある。

これがTERUさんのサイン…
ではなく、中にある方がホンモノ!らしい

さらに歩いて「ハリストス正教会(ガンガン寺)」へ行き、GLAYも絡まった柵に自分も絡まってみたり。
坂に次ぐ坂、教会に次ぐ教会で、そういう意味では本当に聖地巡礼である。

だから…
何があった

途中でかわいらしいうさぎさんをモチーフにした工芸品を売っているお店を見つけた。
製作者の方が腱鞘炎で、もう作品をつくることができないのだという。
20年も経った今となってはお店の名前や正確な場所も思い出せず調べる術がないのが悔やまれる。
少し無理してでも、何か作品を購入しておけばよかった…。

再び坂を下り、「ラッキーピエロ ベイエリア本店」(通称ラッピ)へ。
こんなに安くて多くておいしいファストフード店があるなんて、函館の人は本当に幸せだと思う。
店舗によってコンセプトが違っていて内装に凝っているのが良いし、この時代にまだ珍しかった飲食店のオリジナルグッズも売っているのが面白かった。
当時は函館市内に8店舗(うち、大谷高校内に1店舗)あり、JIROさん推薦の春巻きとハンバーガーは全店共通、オムライスは松陰店と美原店のみ提供となっていたが…2023年現在は道南地域17店舗に展開し、オムライスはほとんどの店舗で食べられるようだ。(残念ながら春巻きは公式ホームページのメニュー表には見当たらなかった。)


いつ見てもかわいい
引くぐらいのGLAY推し
無料じゃなくていいから近所に1軒欲しい

「ハセガワストア」もあったので立ち寄ってみれば、こちらもまたGLAYのオンパレードだった。

やきとり弁当の肉は豚肉(常識)
今でこそどこでも買えるけど

友人Bの親戚宅へご挨拶に伺い、車に乗せていただいて函館山へ向かう。
レンガを敷いた坂道…というか、山の中腹と言った方が適切であろう場所に「FMいるか」「カフェぺルラ」がある。
TAKUROさんが座っていたかもしれない席を眺めつつ、バナナジュースを堪能した。

運がいいと津軽海峡でもイルカに会えるよ
ピアノはお休み中
衝撃の美味さ

人混みに呑まれながらめでたく夜景を拝んだ。
ご存じのとおり函館は曇りの日が多く、山は霧がかかりやすいため、綺麗な夜景が見られるのはそこそこラッキーなことである。
そして空腹感をおぼえた我々は、かの有名な「五島軒」に滑り込みセーフで入店、美味しいカレーに舌鼓を打った。

そろそろウザくなってきません?

そこから急いでタクシーに乗り、念願の「スナック ペア」へ。
TERUさんのおば様であるひとみママからは、あれこれとコアなお話も?
TERUさんのおばあ様も、亜美ちゃんのお母様も、秋田出身なのだそうで(私のように当てはまらない者もいるが)みんな秋田美人だったのか…と納得。
TERUさんがちょっとなまはげに造詣が似ていると密かに思っている私の感覚もあながち間違いではないのかも(たぶん違う)など。
しまいには「ネグラ」(根暗)というあだ名を付けられ、ホテルまで送っていただいたうえ、後日またお電話をいただき、感謝感謝なのであった。

ホントは小娘が入っていい店じゃないと思う
ちゃんとまた行った

2003/9/10(水)

3日目はまたあいにくの空模様で、微妙に降ったりやんだりが続く。

五稜郭タワーから見える建設中の大きなマンションが「ジャンプスポーツセンター」の跡地である。
JIROさんが雪の日に転げ落ちた階段があるというので楽しみにしていたのだが、時の流れというのは無常で無情なものだ。

一歩遅かった

もちろんタワーの展望室では「搭乗記念コイン」を作成。
ちなみにこの”GLAY TOWN”というのは、インターネット老人会会員の私がかつて運営していたファンサイトの名前である。

過去の恥も晒してゆくタイプ

五稜郭公園内はぬかるんで靴がぐっちょぐちょ。
「昔からたくさんいる」なんて言われていた「人面魚」には会うこと叶わなかった。

JIRO階段
JIROベンチ

友人Bとはここで惜別。
残った「チームみちのく」は例の「大砲」を見つけてひとしきり戯れ、五稜郭を後にした。

建て替え前の姿
物騒

これだけはどうしても拝みたかった、JIROさんGLAY加入エピソードに登場するあの有名な「美術館前の木」…まだあってよかった。
雨でお尻がぐっちょり濡れたけど、座ってよかった。

叶うことなら、人生の岐路に立つたびにあの場所に行きたい。
そうすれば、そのたびに気持ちを新たに踏み出せそうな気がする、20年後の今日である。

普通に散歩とかオススメ

そこから徒歩で、JIROさんが楽器を持っていない頃から毎週通っていたという「ヤマハミュージック」へ。
中学生の頃よく使っていたというスタジオはこの時すでに存在していなかった。
我々がGLAYファンだということが店員さんにバレると、デビュー当時に書かれたというTERUさんのサインを出してくれた。
楽器以外にも音楽モチーフのかわいい文房具がたくさん売っていて、私はピアノ型のメモ帳と楽器のぷくぷくシールを購入した。

このTシャツ着れてたなんて細かったな

さらに徒歩で「サウンド・パパ」を探す。
大通りから小路へ入ったところにあるためわかりづらくウロウロしていると、親切な方が「何をお探しですか?」と声をかけてくださり無事到着。
店舗入口左側にはデビュー当時のGLAYと、2002年11月の”また来ます GLAY一同”と書かれた写真があった。
ここでも店員さんにGLAYファンだとバレると、サウンド・パパのステッカーをいただいた。
楽器やアンプなどかなり安価で売られていたが、楽器のできない私はサウンド・パパのピックを購入して、店を後にした。

入るのに勇気いるよね

遅めの昼食をとるため「ラッキーピエロ 松陰店」へてくてく向かう。
こちらもまた微妙にわかりづらいところにあって不安になったが、なんとか到着。
コンセプトはジャングル…ピエロが小窓から覗いていたりしてなんかちょっと怖い。
「紀宮様に召し上がって頂きました」「高校生の喫煙は固く禁じます」などの掲示がそこかしこにあってカオスである。
この店舗にはJIROさんオススメのオムライスがあり、プレーンとは言いつつ軽く1.5人前はあってお値段なんと480円!!(当時)
ここに至って、函館は「うまい・安い・多い」なんだということをよくよく理解した。

小動物の胃袋

最寄りの市電駅から松風町までスーッと平行移動できるのが本当に便利でうらやましい。
JIROさんが『キャラメルブックス』で紹介していた「月光仮面&パンダ丸」と、GLAYが野外ライブをしていたステージのある「大門グリーンプラザ(松風町グリーンベルト)」へ。

しかしパンダ丸の姿は噂どおり無くなっており、月光仮面も移動していた。
小さなステージはラクガキで埋め尽くされ、函館にあるものを平気で汚す一部のファン(?)の所業に涙が出そうになった。
管理するところへ「塗装でもして消してください」と連絡しようかとさえ思ったが、どうやらその必要もなさそうだ。
なぜなら、ステージの反対側から徐々に整備工事の手が迫っているから。
次に来た時には、ステージも何もかも無くなっているかもしれない。(現在どうなっているかは未確認)


今見たらこれも物騒だな
もしかして地元でも有名なラクガキスポットなのかな?
ほどよい田舎具合がね

なんの気なしにステージ裏にまわってみると…

TERUさん?!

『HIGHCOMMUNICATIONS』のポーズをキメるTERUさん…の格好をしたバレリーナの像が!
アレのルーツはここにあったのか(たぶん違う)。

アーケードをてくてく歩くと、TERUさんがライブ衣装を調達するために通ったという「メンズウェア・ヤマグチ」(閉店)に到着。
ここにも若い頃の写真とサインがあるという話だったが、見た記憶がない。
いわゆる昔の洋品店だろうからとそこまで期待せず入ったのだが…一点モノや掘り出し物がかなりあって、赤いトゲトゲのブレスレット&昔のヴィジュアル系っぽい服を購入した。
合計しても3,000円くらいだったが、かなりお気に入りで当時ずいぶん着倒していた。

残念ながら2004年の火災による移転後に閉店

続いては駅の目の前にある和光デパート(2013年閉店)へ。
冬の風雪を防ぐためか、入口の扉がとてつもなく重い。
中に入ると、修学旅行生たちがお買い物に勤しんでいる。
目指すは「レインボーホール」!デパート内にあるライブハウスだ。
ちょっと壊れそうなエレベーターに戦々恐々としながら昇ると…着いたところはヲタクの神域「アニメイト」?!
でもこの階にあるハズ…と歩き回ってみると、私などには価値のわからないなんらかのカードが並ぶショーケースの奥に、突如ホールの扉を発見。
屋上のゲームセンターはチェックし忘れてしまったが、現在はビルも取り壊されてしまって跡形もないので、この時行っておけてよかったと思う。

入る勇気はなかった

タクシーの運転手さんたちに「GLAYのアレかい?」と声をかけられつつも(アレとは?)、時間が差し迫っていたので駅裏にある「摩周丸」へと急ぐ。
他のお客さんもおらず貸し切り状態。
ちょうど夕暮れ時で、船上から望むベイエリアから函館山、函館どつくがとても綺麗で。
まさにこんなデートに憧れます、の典型のような眺めに、しばし言葉を失った。

もうやめておけ
なぜ「どっく」じゃなくて「どつく」なのか問題

船内には様々な展示物があり、モールス信号の機械やクイズで遊べるところもある。
常々モールス信号を覚えたいと思っているのだが、まだまだ修行が足りない。

「メール署名の区切り線をモールス信号にしてる」というポストを見て真似しようと思ったがそもそも無職にはビジネスメールを送る機会がなかった
実は父が船乗りだったという生粋の海育ち

摩周丸まで、これから宿泊の世話になる親戚に迎えに来てもらう。
はじめての函館は1994年の夏、奇しくもGLAYがデビューした年だったが、その頃の私はGLAYなど知る由もなかった。
来函が9年ぶりならば、親戚宅に行くのも9年ぶり。
その時一緒に函館に行ったのは大好きだった祖父と、祖父のお姉さん。
2人とも、もうこの世にはいない。
その夜は、どんな高級ホテルよりも超豪華なお手製ディナーをごちそうになった。

その後、夜の「あうん堂」へ車で送ってもらう。
ここは本当に説明する必要がないほど有名だが、GLAYが高校時代にライブを行っていて、楽屋にスプレーで書かれた「GLAY」の文字がある場所。
”中は撮影禁止で、営業日や時間がイベントによってまちまちなので事前に問い合わせた方が良い”という当時のプチ情報は今も変わらないだろうか。

2階は大画面のTVと楽器が並ぶバーのような雰囲気で、GLAYファンと思しき人の姿もちらほら見られる。
店員さんに楽屋見学を申し出ると、奥のドアから中に入れてもらえた。
ハシゴ状の急な階段を上ると、非常に天井が低く狭苦しい空間に出る。
誰かが頭をぶつけて穴が開いた跡まである。
「この楽屋に男ばっかり…」と想像しながら感慨に浸ると、外部と遮断された静かな空気に包みこまれ、GLAYがいた当時にタイムスリップするような感覚に襲われる。
と、ここで友人A、あの「GLAY」の文字に気づかずスーっと奥の方へ…!
それは無理もないことで、ここも「書かないでください」と貼り紙があるにもかかわらず、特に一部のGLAYファン(?)によるラクガキが酷い。
「GLAY」の文字の上に重ねてミルキーペンでいかにもかわいらしい言葉が並べてあったりする。
この特別な空間を守るためには、荷物の持ち込み制限や店員の立ち合いなどの対策も必要ではないか。本当に悲しい。

(2023年現在、あうん堂に行ってGLAYの文字を見た記憶がズッポリ抜けていることが、もっと悲しい…。)

隣が汪さんラーメンであることに今気づいた

5年間夢見てきたGLAYスポット巡りが叶い、写真でしか見ていなかったモノに触れている感動。
無くなっていってしまうモノの多さ。
世の中には、どうにもならないこともあるのかなあ。

この日、車で再び函館山へ連れて行ってもらった。
ロープウェイが終了した時間の山から見る地上の星は貸し切り!
雲も霞もなく、扇状の光は目が痛いほどだった。

こっちもスキ
綺麗すぎるとただの絵葉書っぽくなる

明日は9.11だな…と思いつつ、晴れを願って就寝。


2003/9/11(木)

日頃の行いか?TERUさんのパワーか?晴れてくれた。
この日はメンバーの母校を巡る函館1週約30kmの旅。
函館にはレンタサイクル店がないとのことで、親戚に自転車を借りた。
車もお金もないけれど、公共交通機関ではまわり切れないような場所ばかりのこの旅には、たとえかなり古いガタガタの自転車でもありがたい。
楽で便利な乗り物に乗ってしまっては感じられない函館の空気も感じたかったし、苦労した方が充実感もあるだろうと思っていた。

それなりに地図が読める私が読めなかったこと…それは、桔梗中学校と陵北高校が遥か地の果てに位置していたため函館市内の地図に載っていなかったことであった。
緊急で親戚に借りた地図を見ながら、それまで書き込んでいた地図の上部に道を書き足した。

函館駅前地区を出発し、まずは近場の「万代埠頭」へ。
メンバーがよく釣りに来ていたという場所だ。
対岸の景色がきれいに見えて、海育ちの私にはただただ懐かしい風景だった。

磯の香

ここからが長距離移動の本番、目指すは「桔梗小学校」
TERUさんが通っていて、TAKUROさんが転校してきた学校である。
国道のゆるい上り坂をひたすらこぎ続け、札幌まで「280km」が「275km」になり、さらにしばらく…ようやっと、大きな道路沿いに発見!!
平日なので授業中だろうか、学校は静かだった。

すでに疲労の色が濃い

途中ハセガワストアに寄り、これからの長旅を考えて栄養ドリンクを補給。
記念に函館新聞を購入し、気合を入れ直して出発。
さらにここからが遠くて遠くて遠すぎて、本当にたどり着くのか不安になるくらいだった。
ほぼ人とすれ違うこともなく「桔梗中学校⇒」の看板を発見して右折。
ここ「桔梗中学校」もTERUさんとTAKUROさんが通った学校である。

意図してヤンキー座りをしたわけではない、低いだけ。

次は「陵北高校」を目指す。
もはや函館も果ての果て、にんじん畑が広がり、高速道路と思しき高架が横を通る。
押した瞬間に変わる押しボタン信号。
変わろうが変わるまいが止まる車もなく、渡る人は我々のみ。
自分の地元とオーバーラップする。
やがて遠くに校舎らしきものが見え、道なりにぐるりと遠回りして到着。
校舎はピカピカに新しくなっていて、HISASHIさんとTAKUROさんの後輩たちが元気に走り回っていた。

別に何もされてないけど高校生怖い

メリーゴーラウンドの馬が庭に刺さっている家や、牛模様の馬などを目撃しつつ、まだまだ田舎道。
JIROさんが通っていた「赤川中学校」は休み時間か、生徒さんたちが校庭に出て遊んでいる。
制服がかわいくてうらやましい。

生徒さんたちもGLAYファンには慣れっこの様子

危険度と時間の都合で四稜郭や大沼公園はまたの機会にして、JIROさんが小さい頃よく遊んだという「赤川水源地(笹流ダム)」を目指す。
樹木と緑の芝生に覆われ、春は桜、秋は紅葉の名所として知られているそうだ。
函館市内の小中学生にとっては遠足の定番でもあるという。
奥の方まで行くと小さなダムがたくさんあるということだったが、我々は入口付近の川辺でしばし休憩。
山越え谷越え疲労困憊の体に、自然が作り出す心地よいサウンドとマイナスイオンが沁み渡る。
時間を忘れていつまでも佇んでしまいそうになるのをグッとこらえ、立ち上がった。

なんそれ

JIROさんが幼い頃に住んでいた家の近くにある「赤川生協」前を通って、TERUさんのエリアへ抜ける。
このスーパーの屋上、現在は入ることができないが、当時は遊び場として開放されていたとのこと。

普通に地元民御用達のスーパー

TERUさんの母校「函館商業高校」に到着。
すっかり新しく建て替えられているようすで、面影を残すものといえば古い校門の跡くらいである。
スナック・ペアで見せていただいた同窓会誌では、こんなに特定のひとりをピックアップしていいのか?と思うほど、カラー8ページ程を割いてGLAYのことが書かれていた。
函商のサイトでは校歌をはじめ数々の応援歌がMIDIで聴けるようになっており、TERUさんがテルミーで紹介したという『チャイナメ節』も聴けた(当時)。
昭和4年6月に創立40周年記念事業のひとつとして新校歌が誕生、以来、2番5節が10年ごとに書き換えられるユニークな制度があるらしい(真偽不明)。

新しい方の校門
かつての校門

この道をTERUさんも通ったのだろうかなどと考えながら、お好み焼き「大阪屋」(2006年に移転、その後閉店)へ。
店内の壁はここを訪れたGLAYファンの写真で埋め尽くされ、メッセージノートも置いてある。
TERUさんオススメのミックスは、疲れて空腹だったのも手伝って、ものすごくおいしく感じた。
店員さんは大阪気質か函館気質かわからないが少々強い話し方でびっくりしたが、店の前で写真を撮ってくださったり、「自転車で来る人なんていないよ?!」と言いながら心配してくださったり。
時間はもう夕方になりかけていたので、挨拶もそこそこに店を後にした。

ちょっとビビってる

ようやく市街地まで戻り、おやつにはちょうどよいタイミングで長崎屋へ。
JIROさんの紹介では”長崎屋地下”となっているので地下へも行ってみたが、やはり誰かが話していたとおり2階へ移転したらしい「フタバヤ」を無事発見した。(地下にあったのはTERUさんがバイトしていた焼きそば屋さんが入っていたフードコートの話だった説。)
あっさり味のソフトクリーム、私は大好きなゴマを選択。
ベンチで食べていると、隣にいらしたお年を召したご婦人が、私のバッグにぶら下がった「なまはげキティ」「うにキティ」を指して「かわいいねぇ~」とおっしゃる。
地元の方とのささいな交流も、なんだかとても嬉しかった。

メガ・ドン・キホーテにリニューアルした現在もそのまま残っているとのこと

この階にはCDショップも入っていたのでGLAYチェックに入ってみた。
店舗のGLAY度はまあそこそこだが、店員さんのHISASHIっぽさには驚いた。
いやまさか、とは思ったが、あんな髪型はHISASHIファンしかいないだろう…と話しながら店を後にした。

続いてはTAKUROさんとJIROさんの母校「鍛神小学校」へ。
確かに、こんなマチナカからあんな奥地の桔梗小へ転校したのだとしたら、「おお~都会っ子だ!!」と思われたというTAKUROさんのエピソードもうなづける。

読めん
読めんて

ゆるーい、ながーい上り坂を半ばイライラしながら上ってたどり着いたのが、HISASHIさんが嫌々通ったという「北中学校」。ヒサ中。
休み時間?放課後?フリーな時間帯だったようで、教室の窓から身を乗り出す生徒たち。
「誰かいるよ~?あ、写真撮ってるよ!」「あれじゃない?GLAYのやつ!」「あのーッ、うれしいですかぁーッ!?」って、突如こちらに呼びかけてくる。
本当は「嬉しいよー!!」って叫んであげたかったけれど、自重して「そりゃ嬉しいさ…」と小声で呟くに留めた。
帰りの下り坂、シャーっとブレーキを開放していると、妙にニコニコしたくなる心地よい風。
HISASHIさんのあの笑顔はこうして作られたのか…(たぶん違…わないかもしれない)。

立派な大人になってるかな…

よくよく住宅街に入り込み、丘と名の付く高級住宅街っぽさがHISASHIさんらしいといえばらしい。
道がごちゃごちゃしていてアップダウンが激しく、「日吉が丘小学校」に着く頃には夕暮れ、17時半近かったと思う。
いかにも小学校、といった感じのかわいらしい校舎を後にして、日没前には帰ろうと先を急ぐ。

ヒサシが丘ではない

母校巡りも、JIROさんの母校「大谷高校」で仕舞い。
しかしなんだ、このいかにも「私立」っぽい佇まい…こんな繁華街の近所で、女子短大と同じ敷地内…だと…?!
こういう環境だったからこそ、あのオシャレなJIROさんが生まれたんだろうと納得した。

えっ…えっ…ってなった
「周囲からのやさしさには 周囲へのやさしさで」

めでたく母校巡りコンプリートし、夕食は「ハセストのやき弁」
24時間営業の中道店の周りはおいしそうな香りであふれている。
やきとり弁当、GLAYのオススメはタレ。
やきとりとは言っても肉は豚肉で、かくし味に函館ワインが使われている。
大:580円、中:480円、小:380円(当時)だが、ボリューム満点なので小でも十分な量がある。
冷めないうちに五稜郭公園へ持って行き、フタで押さえて串を抜いたら一気に食す。

すっかり日も暮れてしまい、親戚からTEL。
「間もなく帰ります!」と言ったものの、まさかここから迷走が始まるとはこの時は思いもしないのであった。

これも近所に1軒欲しい
いつでもまた食べたくなる味

「ブルームーンに乗りたい!急げば最終便に間に合う!」と友人A。
数十分走ってから、ものすごく重大な異変に気付いた。
「ちょっと待ったストップストップ!!聞け、湯の川温泉って書いてある…!!」
市電沿線を地図も見る余裕なく一目散に走ってきた我々。
どうやら市電の別れ道で、ベイエリアとは逆方向に進んでしまったもよう。
友人Aはイライラマックスで険悪なムード、私は半泣き。
でも待って…?来ようかと思ったけど時間の関係で諦めた「函館市民会館」が目の前にあるよ?!
もしかしたら、神様が私をここへ呼んだのかもしれない…そんなことを思いながら、お互い無言のまま、来た道をひたすら戻る。

泣きながら撮った

私はまだハラハラしていた。
何とか機嫌を直してもらいたくて、帰りがけに「土方歳三の碑」に寄らないかと誘ってみることにした。
地図的には親戚宅の近所だったので、時間的にもまあいいかと思った。
看板の矢印に翻弄され、しばらく辺りをぐるぐる廻り、やっと見つけた土方さんの碑は”小さなほこら”といった感じだった。

公園が隣接していて、いかにも遊んでほしいといった風の遊具たちが待ち構えていた。
真っ暗になった公園で大はしゃぎする、ペアルックの大きな子ども2名。
ものすごいハイテンションですべり台から降りてくる友人Aを動画撮影したりもしたが、後で見返すと大して面白いものでもない。
その時は、何かが我々を躍らせていた。
はしゃぎすぎて友人Aお気に入りのウォレットチェーンが遊具に引っかかり、派手に壊れたこの夜を”チェーンクラッシュナイト”と呼ぶなど。


2003/9/12(金)

あっという間に最終日。
妙に落ち着いた静かな時間の流れと、少しの寂しさ。
帰路につくまでの残り時間を噛み締める。

まずは函館駅から、この旅で初めて路線バスに乗り「啄木小公園」へ。
石川啄木の像や記念碑が、美しい浜辺に並んでいる。
右手には函館山、津軽海峡の向こうには下北半島…つくづく、地元によく似た地形だなあと思う。
隣には土方歳三と石川啄木の合同記念館みたいなモノがあり、スピーカーからはそれに似つかわしくないDA PUMPの曲が大音量で流れている。

函館-大間間は最短17km

小さな防波堤を越えると、小石がたくさん埋まった地面がある。
JIROさんは湯の川のハセストでやき弁を買ってここで食べ、そして小石にメッセージを書き残した。
例のごとく、ここも一部のGLAYファン(?)のラクガキであふれかえっている。
タクシーの運転手に案内されたであろうファン一行が隣ではしゃいでいる。
それにしても、G-WORKSマークの小石はあったけれど、JIROさんのメッセージが書かれた小石がどうしても見つからない。
そこへ「その石は誰かが持ち去ってしまったらしい」との情報が入る。
まったく、そこまで心無いことをする人がいるなんて…。

たぶんホンモノ
・・・

函館には楽しませてもらい、嬉しいこともたくさん転がっていたけれど、逆に悲しいことや考えさせられることも、もっとたくさんあった気がする。

近くに函タクの事務所があり、元町の中華会館まで乗せていただくことにした。
当時は中華フリークだったので、時間が余ったら行きたいと思っていた。
1910年に上海の技術者を招いて完成した、現在日本に残る唯一の純中国式建造物とあってワクワク。
ちょっと入りにくい雰囲気はあったが、中に入ると丁寧に説明してくださる方がいる。
自分へのお土産に、関帝廟印の湯呑みを購入。

3日目に「縁結び」の看板を見てどうしても行きたくなってしまった、山の中腹にある「函館護国神社」へ向かう。
にしても歩くとかなりの距離があった。
途中で偶然、道産子の曳く幌馬車や、TERUさんが描いて北海道で銅賞をもらったお寺を見る事ができた。

馬好きはいつから?
確証はない

ここも相当の標高があるはずだが、神社はまだまだ上だった。
息を上げ、アキレス腱が切れそうになりながら辿り着いた神社。
なんとかお参りして、絵馬も奉納して、お守りも買った。
いつかこの函館で幸せに暮らせる日を祈って…。(2023年、いまだ叶っていない。)

たしかここでひと休みしようということになり、再びカフェペルラに行ったような気がする(記憶喪失)。
帰りは函館山ロープウエイ山麓駅の所にあるバス停から、レクサ元町という100円観光バスに乗った。
座席はお見合い型だったが、1人分ずつ肘掛けで区切られている。
その理由は…区切りがないと、坂で全員なだれ落ちてしまうからであると実感!実によくできている。
しかしちょっと早くオープンしたからといってバス停の名前が「北島三郎記念館前」だったのが引っかかるGLAYファン。
サブちゃんホントは”函館”出身ではないじゃないか。
まあ、それを言ったらGLAYの誰かさんもだけど…。
今度は必ず乗ると誓ったBLUE MOONを過ぎ、函館駅に到着。

あとはここからハガキを出してお土産を買って…
なんか、カメラ持った人とお姉さんに呼び止められましたが?
「函館ケーブルテレビの者ですけれども、カメラに向かってひと言お願いします!!」
こういうのにまともに取材されるのは初めてだったので緊張してしまい「GLAY大好きです!」「函館また来ます!」「イェーイ!!」しか言えなかった我々。
せっかくだからGLAY顔ウチワくらい出しておけば良かったなあと後悔した。

お土産は超ベタに「白い恋人」と、函館らしい「イカ踊りせんべい」、それからなぜか「馬のマグネット」。
自分が食べる為に買ったのは、知る人ぞ知る、TERUさんオススメ「五勝手屋羊羹」。
16:51発の白鳥に乗り、早速ようかんを取り出す。
押し出して糸で切って食べるという、さっぱり味と共に食べ方まで魅力的な逸品だ。

いつでも食べたい

お腹いっぱい、胸いっぱい。

キャンッ!!!

まさかGLAYファンでもないのにここまで読んでいただけた方などいまいと思うが、前置き含めてここまで1万4千文字に付き合っていただいたあなたには感謝しかない。
北海道新幹線の開通により、盛岡どころか大宮からであっても、函館はずいぶん楽に行ける場所になったことと思う。
ただ、いまだに日本海側からのアクセスは悪く、なまじ距離が近く飛行機では行けないといういささか行きにくい場所であるため、かれこれ9年くらい函館には行けていない。
再開発も進んでいるようで、街の様子もずいぶん変わったことだろうと思う。
来年のGLAYデビュー30周年には、もしかしたら何か大きなイベントがあるかも?しれないので、その際は遊びに行けたらいいなあと思っている。

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