見出し画像

HSPだという主張は......(まとめに追記

てぇした意味ねぇんだけどなぁ byコアラ

そんな感じの画像を選んでみました。フリー素材を紹介してるサイトで入手した物ですけどね。

何言ってんだとか、何でそんな事を言う?って感じかもしれませんが、そこをかみ砕いて書いてみようかと思います。

いつもの、重箱の隅を何とやらという感じで。

まぁ、何かとこう記事書いてますが、別に何が正しいとか誤りという話でもなく、個人的に感じてる事を書いてるだけ。言わなくても分かるとは思いますけど。

ということで、本題行きましょうかね。


そもそもの話として

自分がHSPだと主張したところで、意に介さない人は介しません

まずはこれ。

繊細さんとか、敏感とか言ったところで、だから何?って人の方が圧倒的に多いのが現実だと思います。

そういう人とは関わらない、付き合わない方が良いとか言っちゃってる人も居ますが、そもそも少数派というかHSPって感覚処理感受性、要は感じ取る部分が普通より抜きんでてるというタイプですし、否応なしにそうじゃない人の方が多いという環境で過ごす事になります。

この辺、散々言ってた5人に1人とかはどこ行ったのさ?ってくらいにね。目にしなくなってて、あるあるブームの初期ではなぜ目にしてたのか?って疑問に思うくらいです。

痛い所を突くのであれば、少数であることで特別性を確保して優越感に浸りたい、みたいなのがあったんじゃないの?って突きたくなるくらい。

ただ、この辺は何がどうあれ個人としての経験で、幼少期から兎に角少数派どころか、お前くらいなもんって言われて周囲から突かれたり、からかわれたり、最悪イジメに発展したりしてました。

別な方面からみれば、図工や美術という授業の中では評価されて、作品を外部のコンクールに出展されたりとかも。

あとは、クラスや学年、地域なんかでの面倒事の押し付け役、スケープゴートみたいな。学級委員だ、地区の子供会の長だ、リーダーシップ何て向かないんです。色々感じすぎるし、その場しのぎで協力という文字は辞書にない、そんな感じですからね、周囲は。

社会人になってからも変わらずで、誰かの楽の為に面倒をおっかぶせられるんですよ。困った時の神頼みじゃなくて、生物(ハンドルネームで失礼します)頼みなんてね、とか平気で言われてましたから(´・ω・`)

そんな感じで、主張どころか言葉が無い頃から、否応なしに周囲が上げたり、下げたりしてくるのが世の中なんてのは痛い程身に染みてます。

そんな身からすると、主張してどうなるっていうのさ、という話にしかならないんですよ。

厳しく言わせてもらえば。

繊細さんだ、生きづらいだと紐づけて、配慮させたいとかそういう事では無くて?LGBTとかみたいに、権利の象徴として担ぐだけ担いで、使えなくなったら知らんぷりみたいなね

LGBTの中でもT、トランスジェンダー。その中でもMtFという体が男性だけど...という人の話ばかりがニュースにもなりましたし。トイレだ更衣室だで権利がどうこう言われてましたけど、

そんなのもう、性別移行手術受ければ戸籍変更出来るんだし、やることやってからの話でしょ(笑)

自分はやることやらないで、権利主張しても意味ないんですよ。

と、性別の話の方にそれてしまいましたが、こういう部分って共通すると思います。

敏感だ、繊細さんだ言ったところで、権利を勝ち取るには等価交換ですよ?

という事で次行ってみましょう。


主張しただけでは...

自身がHSPだという事にはなりません。なるのは自分の中だけ、自分と理解してくれる相手にしか通用しない話です。

また、この理解するというのも少し厄介で、すり寄る形で利用しに来る、そういう人も居ます。そのくらい世の中厳しい物で。

まぁ、言われなくてもHSPだっていうなら、気づくレベルだと思いますよ?

この辺、同じ人に知ってもらう為に情報提供とかも似たような物で。

その情報ってどれだけ下調べしての情報ですか?

正直、迂闊なんですよ。HSPだ、感受性が高いだ関係なく、それなりに見る目がある人なら、言葉に乗っかってるだけなんて気づくのも世の中です。

また、都合が悪くなると「証拠を出せという」言葉で自分を納得させろと要求してくる人が居るんです。

それに、情報って伝えようとしてる事が伝わらなければ無意味なんですよ。そうあらなければ情報にならず、下調べが足りなければ、ただの自己主張です。情報にならないっていう事になってしまうんですね。

そういう難しさがある、だからこそ「仕事」として成立するという物です。手間も時間もかかるから、下調べする事が仕事になり、それを発信する事も仕事になる。

ネットが普及して、一般人でもしやすくなった。

かもしれなけど、かといって仕事して成立するよなレベルの事をやるのって結構しんどいもので、そのしんどさを捨て置いて、私が情報提供しますとかね?

全然、感じ取れてないし、それ故に気づけてない、見えてないっていう、自分の主張と逆の事を証明する行動になりかねません。

HSPだって主張してるのに、たかが知れてるって物に成り下がってしまうんですよ。

申し訳ないんだけど。

楽をしたら楽をした分、漏れやボロが出る箇所が即座に露見してしまうんですよ。

こんな事やってたら、生きづらいなんて、自分からそうしてるようなものです。現実から目を背けてはいけません。

と、話したところで、ちょっと視点を変えてみましょうか。


集団化するのは良いけれど

朱に交われば赤くなる、そういう状態だと、これまたHSPと違うという事を自分から証明する事にもなりますよ?

集団に居る事で、人が多いからと安心感を得てませんか?

そんな物はぬるま湯です。厳しい事言ってるとは思いますが。

HSPのコミュニティとかある様ですが、それって大学の研究室みたいに研究をしてるような集団ですか?

論文を読んだり、日々新しい情報を取りに行ったりして、それでいて染まり過ぎずHSPとは何か?を議論し合って、お互いに高めようって動いてます?

そうじゃなくて、似たもの同士で同じ話しかしないようなら、やっぱり安心感求めてるだけじゃない?

一人だとHSPであるって主張するにも不安だから

みたいにね。

まぁ、集団に属するにしても、ちゃんと自分は自分で日々考えたりしてるか?って話でね。

あの人の話は良かったとか、あの人が良い事言ってたとか、だからこそ集団に居て良かったとか、その程度でしかないなら、集団に属する前に自分を確立しておいた方が良いと思いますよ。

何かの拍子に「都合が悪くなると牙をむく」のも集団ですから。

そんなの、義務教育だった頃から普段は褒めたり評価してるのに、都合が悪いから、悪くなったからと、途端に手のひら返して否定したり、怒鳴って抑えつけに来たり、言い分を飲めと迫ってきてましたもの。

同世代で、同じ様に教育とか指導されてる生徒側でもそれは同じで。

お前は悟り過ぎ、お前は変わってる、お前はおかしい。何かの拍子にそうありましたし。普段何も無いように接してても、隠してそう思ってるとか告白させたこともあります。対応でわかるから。

まぁ、個人的にそう言う経験があるからというのもありますが、こう言う経験って後を引きますし、下手するとトラウマになります。

この辺、みんなと同じじゃないといけないみたいな時代に育ったからというのはありますけど、今の世の中みてても大差ないですよ。

多様性という言葉を耳にする様になりましたが、結局はマジョリティとマイノリティみたいに、多くの人がそうあるから、そうあらないのはおかしいってね。

なので、変に集団に属して染まるくらいなら、自分で自分と向き合って立ってた方が良いと思いますよ。山あり谷ありしますけど。

ここから先は、少し自分の話もしましょうかね。


何がどうあれ心理学だから

何をどう言おうが、HSPってまだ心理学上の概念なんですね。

研究もされてる段階=データを取ったり煮詰めたりしている段階。この辺はある程度結果が出てもされ続けるでしょうけどね。

必ずしも嵌りきれない例外が出てきますし、世界中の人、個人個人全員について網羅するなんて、どんだけ手間と苦労がかかるんだい?って話でもありますし。

そもそも、敏感だろうが繊細だろうが、感受性が高いだろうが、人間同士を比較して導き出す物なので、扱うには難しい部分が多々あるものです。

それなのにまぁ、おもちゃのように扱ってるよなぁ。

現状はそんな印象です。

というか、正直な所。

適当に扱うと、ボロでますからね?必ず。

診断基準のある精神疾患でも、病院に行って診察してもらわないと、素人の浅知恵で判断してたら結果が違うじゃん?って事にもなります。

また、検査なりなんなりで結果が出る、それ以外の疾患、疾病でも病院を変えて初めて見つかるっていう事もあります。

良いか悪いか?正しいか誤りか?

そういう話に留まらず、現実ってそれだけでは言い表せない部分って多々あるんですよね。

そして、心理学上の概念とはいえ、感受性の話なので研究されてるのとは別に、経験として積み重ねてる人も居ると思います。それ以前から、感受性が高いだの、先見の明だの言われるような、人と違う何かを持ってて自然と示してる人って居る物で。

言葉が違うとかは屁理屈であって、HSPだって主張するのは、私はそういう人だって主張してるような物。

ブーメラン刺さる前にやめた方が良いんじゃないでしょうかね。

っていうか、現状でも刺さってる人は相当にいます。当人はそう思わない、認めない、って感じでしょうけどね。


まとめ

研究って難しい物で、新しい結果が得られたからってホイホイと外には出せないし、だからこそ出さないんですよ。

先日も書きましたが、分析だ品質管理だの仕事をしてましたが、そう言うのに関わる研究とか、その辺に一時期従事してたと言う経験もあります。

プッチンプリンみたいん、プッチン→ぽとっと言う様な世界じゃないんですね。

なので、現状目に見えてる物はある程度に詰まって、成果として出せるようになったもの=相応に時間が経過してるものでもあり、基準が出来てないのだからさらに研究は進んでるけど結果や成果が表立って出てないという話でもあると思います。

それに、学会だなんだもありますし、成果や論文が出せたといってもそこも超えなきゃいけないと言うか、そんな感じでね。

結構難しいんですよ。

これ以上は言い過ぎると、陰謀論だなんだとか言われかねないのでお口チャック。ただ、その難しさってどうしようもない難しさという部分はあるんじゃないですかね。

人の世って、一枚岩じゃないですし。

そんな物知ったこっちゃない!今あるものが全て!

それだと流石にカエルになります。呆れカエルっていう。

だって、正誤だ善悪だの二元で語る以前に悪い方に行ってるって話になってしまいますから。

ダーウィンの進化論だって、真偽はおいといても人の進化については、ダーウィン自身は「これが正確で正しいとは言えない」という事を言ってたみたいな話も見聞きするようにもなりました。

惑星についても、2006年辺りまで惑星だった冥王星が準惑星に格下げなんて事にもなりました。

何かしら新しい知見が取れて、そこで整合性についての論議が終われば、それまで常識だった事が覆る、そういう現実を知れる時代でもあります。

そんな時代になったのに、目に映る都合が良い物しか拾わないというのは、ドロ船に自らのって漕ぎ出すような物ではないでしょうかね。

ということで。

相変わらず、梅干し食べてスッパマンな感じで口がすっぱかったのでした。

※ここから追記分

さて、現状での認知で広がるのは構わないと言えば構わないわけですが。

HSPであるという所から、そういうタイプが持つ利点の話。

就活や推薦入試等で面接があった時に、心理学上の概念としての話が広まれば、個人のアピールポイントとして語れなくもないのもHSPならではだと思います。

人となりどうこう以上に周囲との協調を重視しますし、合わない人同士の潤滑剤になったりもできます。そういう面からコミュニケーション能力について言及出来ます。

幼稚園の頃から周囲をよく見て、友達の面倒も見れると言われ続けてましたし、社会人になってからも、実際に犬猿の仲の人の間に立って、橋渡しや潤滑剤みたいにも自然となってました。双方とも、お前が言うのならという感じで話を聞いてくれたりするんですね。不要な個人感情をすっぱり切り捨てて、現実問題のみで言及できますので。

分析屋の仕事をしてた時も頼まなくても先に気付いてデータを取ってくれる、簡単な考察もして報告してくれるし、その考察も依頼した側の意図を汲んでくれている、先んじて問題に気づいたりも出来るという部分で評価は高い方でした。

この辺も、困った時の神ならぬ私みたいな感じだったんですよ。

あくまで個人の経験ではありますが、少なからずそういうタイプでもあると思いますし、正しく知ってもらえばHSPという単語はそう言う素質や可能性を持ってるという示唆も出来る言葉、表現だと思います。

まぁ、私個人はHSPって言わずに感受性が高いとしか、noteでは言ってないですけど。

それなのに、繊細さんとか生きづらいで広まってしまうと......。

あー、こういう人はちょっとね......ってなると思います。

そういう所を考えると、個人の評価を下げる方向に働いて、損になるとも思いますよ。

今や世界で通じなくもない、もったいない、MOTTAINAIになってしまうんですよね。

なので、現状はやはりよろしくないとも思います。個人的にね。

という事で、追記でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?