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お願い、私を見て 3

今日で最後です。必死に書いていたら3時間経ってしまいました。
お願い、私を見て」「お願い、私を見て2
をお読みいただいた方、本当にありがとうございます。長くなり申し訳ありません。

これは自伝です。毎日屋上から身を乗り出しながら、戦い、破れ、そして尚もがき続ける私が、26歳になるまでの戦いの記録です。

どうか、あなたの貴重なお時間を私にください。本日、完結です。

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高校1年の9月。学校に行かなくなると、両親は私にすがり泣きました。
「お願いだから学校に行ってちょうだい」
「あなたの将来のためなんだから」
「 せっかく良い高校に入れたのに」
「ぷち子ちゃああぁん…」

何を言われても、全く心に響きませんでした。

『この人達に私の姿は見えてないんだな』

私は死に場所を考え始めました。自宅マンションは他の住人に迷惑がかかるし、残された家族も肩身が狭くなってしまう。電車も他人に迷惑だし、手首を切る勇気はない。

『山奥で死のう。』
今思えば山にも持ち主がいて迷惑なのには変わりないのですが、当時の私には名案に思えました。私は両親に嘘をつきました。

『おばあちゃん家に1週間行かせてくれたら、また学校に行くよ』

私は全財産の10万を握りしめながら、何も知らない両親に快く送り出されました。

新幹線に乗って、祖母の家に向かいます。本当は家には行かずそのまま山に直行したかったのですが、祖母はきっと気づいていました。
新幹線の降り口の目の前で待っていたのです。

それから1週間、祖母は片時も私の側から離れませんでした。計画のための道具を買うことすらできず、私は福岡に送り返されました。

迎えに来ていた母が言います。
「よかった、帰ってこないかと思った。」

そうか、帰ってこなければ良かったのか。律儀に戻った自分を、少し後悔しました。

それから毎日、死ぬこともできず生きることもできず、ただただ息だけをしていました。学校にももう二度と行く気はありません。自分以外の人間との接触を、一切しなくなったのです。

そんなある日、突然響くインターホンの音。この家に用事がある人なんて、当時は1人もいませんでした。
『誰だろう?』不審に思って画面を覗くと、1人の女の子が映っていました。

私の大好きな、親友の彼女でした。

高校に行かなくなってから、私は彼女すら避けていました。どうせ死んでいくのだから、誰の記憶からもいなくなりたかったのです。

私は居留守を使いました。悲しそうな彼女の背中が去っていくのを、じっと見つめながら。

秋、冬、春。 桜の季節に皆が心躍らせるころ、私の心は腐り切っていました。

『どうせみんな死ぬんだから、頑張ったって意味ないのに、はは』
毎朝カーテンの隙間から、サラリーマンや学生たちを嘲笑うことが唯一の習慣でした。

ある朝、いつものようにカーテンを指でめくると、元気な声が聞こえてきます。
「ようちえん、はやくいこー!」小さな男の子がお母さんの手を引っ張っている姿に、眠っていた心が動きました。

『あんなに小さな子が頑張ってるのに、私何してるんだろう』

そう思い、半年ぶりに家族と食卓を共にするようになりました。こんな些細な行動が、当時の私には吐き気を催すほどの大変なことだったのです。

ある日、叔父からDVDが送られてきました。
何の気なしに、再生します。ONE PIECEのアニメがそこには映っていました。

ゾロっていう人、かっこいいな。声優という職業を知らなかった私は、エンドロールの「ゾロ 中井和哉」の表記を不思議に思い、調べました。

【中井和哉】27歳で公務員から声優に転職。当時、既に結婚していた。

当時16歳だった私は、勇気付けられました。今思えばおこがましいですが、『27歳で人生の舵を切れた人がいるなら私にもまだ可能性があるかもしれない』と思えたのです。

中井さんが私に希望を与えてくれたように、私も誰かに希望を与えたい。
そう思って演劇の道を志し始めました。

地元の演技学科の短期大学から、東京の演技を学ぶ養成所に進み、拙いながら俳優として、一歩を踏み出し始めました。

『私の演技で、誰かの人生が動いてくれたら』

そう願いながら、奥底の本当の願いはこうでした。
『感動が、両親の心を治してくれますように。』

愛、友情、家族、憎悪と葛藤。様々な台本を演じては、観に来てくれる両親にこのメッセージが届きますようにと祈ってきました。

私の努力と成長に比例して、両親の精神異常はひどくなっていきます。帰省し、母親に開口一番、こういわれました。

「あんた、だれ?」
私を認識できずパニックになる母を見て、こころが絶望に染まっていきます。

『私がどんなに演じたところで、彼らには何も届かないじゃないか』

私の心は、また折れてしまいました。

それからはガールズバーでバイトしながら、ただ1日が過ぎるのを待つだけの日々。東京にいる意味はもうないのに、福岡の実家に二度と戻りたくない一心で、家賃を払い続けました。

そして一年が経った頃、常連のお客さんに言われました。
「君、25でしょ?いつまでこんなことしてんの」

味方だと思っていたお客さんにそんなことを言われ、私は怖くなりました。

私でも受かりそうな求人に飛びつき、3日後には面接。結果は合格。喜びはありませんでしたが、安心はしました。もう2度と、「いい歳なのに何してんの」と言われたくなかったのです。

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私は今26歳。ここで1年働いています。嫌々働いていたのが嘘のように、心を許せる先輩も、私を思って泣いてくれる友達も、味方をしてくれる上司もできました。

来月、私はこの会社を辞めます。福岡の実家に帰るために。私の学生時代の命の拠り所だった、愛犬の最期を見届けるために。

ここには登場しませんでしたが、私には漫画家の弟がいて、今は東京で一緒に暮らしています。彼のため、東京の家賃は払い続けなければなりません。

福岡に戻って愛犬を看取るまで、ライターとして生計を立てます。彼の近くにいたいから。
そして、なんとなくでお金をもらう自分と決別したいから。

愛犬がくれたこの機会を、決して逃しはしません。
両親との過去を捨て、新しく家族になる。
他者にすがることなく、自分で自分の役割を見つけ、進んでいきます。

私は崖っぷち子、26歳。毒親持ち、アダルトチルドレン 。世間体を気する小心者。

私は、私を全力で生きます。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

心よりお礼申し上げます。


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