【ショートショート】淡色の太陽

もう7日間部屋から出ていないので、太陽の色すら朧気にしか思い出せない。
湿気った脳味噌にはとうに黴が溜まって、思考にこびりつく不快感がどうにも抜けきらない。
開けた冷蔵庫には、半端に残った麺つゆと、とっくに腐ってしまった苺。そして飲みかけのコーラが一つだけ。

付けっぱなしのエアコンからはひっきりなしに音がする。24時間×6日に亘る連続勤務で体調を崩してしまったのだろう。最後のコーラを呷ると、一筋の冷気がスっと喉を潤した。

お金を借りれるところはもうないし、財布には小銭すらほとんど残っていない。残った絵の具も僅か。この絵を描き終えるには、きっと足りないことに今更気付いた。

失敗作なら山ほど床に転がっているけれど、値段がつきそうなものはひとつもない。仮に価値がついたとしても、原価を上回ることはないだろう。
天井を仰ぎ見る気力すら湧かなくて、ただ立ちすくんでいた。独房よりよほど閉塞的な6畳で、いっそ笑えるくらいに絶望的な状況を他人事のように眺めていた。

死ぬしかないと当たり前のように思った。大学を中退して1年で、すでに俺の人生は末期を迎えていたんだ。1秒後に死んでもおかしくない状況でずっと描き続けてきた。

最後にこの作品は完成させたかったけど、それもどうやら不可能らしい。さっきから部屋の輪郭が歪んで、身の置き場が定まらないような不可解な心地がして、側頭部を右手の付け根で叩いているけど、一向に治まらなかった。

平衡感覚を失って体がひっくり返る感覚があった。咄嗟に床についた右手はそこにいた絵の上に乗って、ずろりと滑った。激しく頭を打って、嘔吐感が込み上げた。

引き裂かれた紙切れの上、このまま沈んでいきたい。描いた作品の上で死ぬのは画家にとって名誉な気がした。いや、正しくは画家に憧れて絵を描いたことのある無職であるが、そんなことは瑣末な問題である。思えば俺はいままで、世界を写しとることだけにやっきになっていた。目で見たものを詳細に描けば、写真より解像度を上げて、正確な世界が絵に投影されれば、それで。

時間の流れを想った。過去と未来の存在と不存在を想った。現在が何かを想った。時間が巻き戻らないので、宇宙の始まりを想った。ビッグバンより前、インフレーションのきっかけを想った。太陽系の狭さと天の川銀河の小ささを呪った。虚時間の流れる世界にいれば、過去や未来を呪わなくて済むと知った。星屑である自分はエントロピーに逆らって生き続けていたけれど、それも法則のうちだと判った。

最後に正の方向に流れる時間が14秒ほどほしいと願ったら、身体が動くようになったので、額縁から剥がした絵を破って、床に投げつけた。他の絵もぐじゃぐじゃに破って、血で貼り付けた。ようやく絵ができた。

また淡色の太陽に会えてよかった。

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