狂信女の祭

いつもの緑の本いわく 3/17 が狂信女の祭の日らしいです

狂信女についてのメモ

3月17日:狂信女(マイナス Maenad:ディオニュソスの信奉者たち)の祭
野卑で奔放な振る舞いに及ぶとされ、酒による酩酊が引き起こす狂乱を表す



このマルスの神はローマでとくに軍神としてだけみなされるようになるまでは、じつは春のディオニューソスにほかならなかったし、三月(March)という名まえもそこからでたのであった。

ディオニューソスDionysusやオルペウスに仕えた巫女たち。彼女らの本来の住みかである「マイナロスの聖なる山」にちなんで、マイナデス(マイナスたち)と命名された。パーンもまた、アルカディアの羊飼いの姿になって、マイナロスの山で過ごした。マイナスたちは、酒神の霊にとりつかれると、「熱狂的な女たち」になり、狂宴の際には生贄の男を八つ裂きにしてその肉を貧り食った。その後、文明が開化したギリシア・ローマ時代になると、彼女らは酒宴やカーニパルの行列を行って、自分たちの「救世主」を崇めた。ローマでは、マイナスたちは「バッカスの巫女たち」と呼ばれ、今度はバッカスというローマ名を与えられた彼女らの神に仕えた。

テューイアス(QuiavVpl.QuiavdeV)、バッケー(Bavkchpl.Bavkcai)とも云う。酒神ディオニューソス・バッコスの供の女で、酒神によって忘我の境に入り、狂気に浮かされ、つた(蔦)、かし(樫)、もみ(樅)も葉の頭飾をつけ、身にはひょう(豹)その他の動物の皮をまとい、半裸の姿で山野をさまよい、大木を引き抜き、猛獣を殺し、生肉をくらい、あらゆる物事の判断を忘れて狂いまわった。

バーバラ・ウォーカーは、マイナスという語の起源を、アルカディアのマイナロン山(Maivnalon)に求めているが、本末転倒であろう。この語は、maniva(狂気)、mavntis(預言者)、mh:niV(怒り)などと同根で、憑依情態を表す。

アルカディアサテュロスの王で、角とひづめを持つ典型的な森林地帯の神。パーンはギリシアの最も古い神々の1人であり、ディオニューソス信仰と結びつき、ときにはディオニューソスと同一視された。パーンはディオニューソス教のマイナスたち(熱狂した女信者たち)のすべてと交わりを結んだと言われた。さらに彼は、アテーナー、ペネローペ、セレネー、その他多くの、古代において太女神と言われた女神たちと結婚した。

パーンの祭儀と結びつく語としては、そのほか「はね回る」 caper、「移り気」 caprice、「戯れ」 capriccioがあるが、すべてラテン語のcaper (ヤギ)から派生したものである。パーンの聖なる死と再生のドラマが、最初の「悲劇」 tragedyであり、この語はギリシア語のtragoidos (ヤギの歌)から派生した。「パニック」panicの語は、本来はパーンの恐ろしい叫ぴを意味した。パーンは呪術的なわめき声をあげて敵を追い散らしたが、その声を聞いたものは恐怖に満たされて、すべてのカを失った。

パーンは中世の異教の「角を持つ神」の重要なモデルであり、教会はこの神をサタンと呼んだ。悪魔はつねに、パーンの属性であるヤギのひづめと、角と、旺盛な性欲を持ち、ときには、ヤギの頭、大勢のサテュロス(デーモンたち)を従えていた。しかし19世紀の新ロマン主義は、わずか数世紀前の中世にはパーンに帰せられていたデーモン的性質を取り去って、パーンを、羊飼いやニンフの集う、今は失われたアルカディアの穏やかな像として作り上げた。ロマン派の詩人はパーンを、彼らの原生林の神として受け入れたのである。

トラーキアでは彼は白い雄牛となった。ところがアルカディアで。ヘルメースが彼を雄羊の姿にかえたのは、アルカディア人たちがもともと羊飼いで、彼らの祝う春の祭のころに太陽が白羊宮にはいるからであろう

ディオニューソスは、かつては月の女神セメレー――またの名テュオーネーあるいはコテュットーの配下に属していて、彼女の祭のときには、生贄となる運命にあった。彼がアキッレウスとおなじく、少女として育てられたという話は、クレータ島で、少年が思春期に達するまで「暗がりで」(スコティオイ)、というのは婦人の部屋で養育されたあの慣習のことを思いおこさせる。

ギリシアローマ神話によると、ディオニューソスは手足をばらばらに切り裂かれたが、ティーターン神族{へレニック以前の大地の神々)の攻撃をかわすために、素早くそうした動物につぎつぎと変身したのであった。しかし、ティーターン神族は、結局、彼をつかまえて、八つ裂きにし、食べてしまった。ディオニューソスが鏡に映る自分の姿に見惚れている間に、ティーターン神族は彼の霊魂を鏡の中に閉じこめてしまった。ディオニューソスは、この意味で、春の花の神であるナルキッソスと同じである。ディオニューソスはさまざまな人物に変身したというが、ナルキッソスもその1人であった。パウサニアスによれば、ティーターン神族をディオニューソス受難の張本人だとしたのはオノマクリトスであったが、こうした古い仔細についてはオルギア(古代ギリシアの、ディオニューソスなどを崇拝するために行われた秘教的儀式)は無関係であった。おそらく、ディオニューソスの最古の姿の1つはディオニューソス・メランアイギス(黒いヤギ皮のディオニューソス、の意)で、マルシュアスのような贖罪のヤギ-サチュロスであったと思われる。ディオニューソスは、昔から、黒いヤギの皮を着ていたと言われていたが、そのために、中世のキリスト教徒たちは悪魔はいつも黒いヤギの姿をして現れる、と考えた。

ディオニューソスは、他のさまざまな救世主神と同一視されたが、同時にまた、パッカス、ザグレウス、サバジオス、アドーニス、アンテウス、ザルモクシス、ぺンテウス、パーン、リーベル・パテール、「解放者」とも呼ばれた。ディオニューソスのトーテム獣はピューマpanther(牧神パーンの獣Panthereos)であった。また彼のエンプレムはテュルソス、つまり男根の形をした笏杖で、てっぺんに松かさがついたものであった。彼に仕える巫女たちは狂乱のうちに飲み騒ぐ女性たちで、酒に酔い、裸になり、肉を食らい、血を飲んで、ディオニューソスの狂宴を張った。

葡萄の発育とワインと酩酊の神。彼に捧げられたディオニュシア祭の演目だったので関連するアッティカ悲劇が多数発表されたが、その熱狂性から秩序を重んじる体制に睨まれていたせいか(ペロポネソス戦争敗戦間近に発表された)エウリピデスの遺作「バッコスの信女」くらいしか現存しない。

この物語では従兄弟に当たるテーバイ王ペンテウス(Pentheus)から信仰を禁止された上に邪教の教祖として逮捕されそうになったデュオニュソスが報復として市中の女性達を帰依させ狂信女とし、山中に誘き出して逆に母親や叔母に八つ裂きにさせる。明らかに体制側に対する神罰の仄めかしだが、その対象が敵側のテーバイだったので「御目こぼし」されたと推察されている。

アナトリア半島の女神キュベレーから秘技を教わった新来神とされる事が多いが、実際にはミケーネ文明の文書からもゼウスやポセイドーン同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο;二度生まれた者)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。ギリシア人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。女神アフロディテ同様に古代地中海交易網経由でギリシャに伝わった。

古代ギリシャ時代に(アケメネス朝ペルシャの台頭によって次第にアナトリア半島との心理的距離感が開くにつれ大洪水前から存在するギリシャ人の故郷と目される様になっていった)アルカディア地方の牧神パーンと同一視された形跡が見られ、これがイタリア・ルネサンス期のベネツィア絵画や、中世には毛織物の産地として栄えたフランドルにおけるタペストリーの伝統を継承したオランダ絵画を経て絶対王制下フランスにおけるロココ絵画完成につながると同時に、ラミアー同様欧州中世における「深夜森で魔女達が開く黒ミサの主宰神」の原イメージとなった。さらにはオルフェイス教で「八つ裂きにされて一度死に、復活する神」という神格を与えられたせいもあって、オリエント起源の神タンムーズやエジプトの「生贄にされる牛」信仰とまで同一視された形跡が見て取れる。


ディオニュソスの源流がシヴァにあるという説がある


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