見出し画像

20,11,18。プロレスから総合格闘技へ②

問題視される試合こそあったものの競技としての格闘技に足を踏み入れた高田でしたが、既に肉体的な全盛期は過ぎており格闘技イベントでメインを張り続ける事は不可能でした。

当時は格闘技イベントとして動員数を維持していくために求心力の有る日本人選手が必須でしたが、まるで格闘技の女神がほほ笑んだかのように桜庭の快進撃が始まります。

桜庭が完全にプライドの看板となるのはPRIDE.8のメインでホイラー・グレイシーを下したあたりからでしょうか。

この試合、本来無い筈だったレフリーストップによる決着だった為グレイシー陣営から猛抗議を受けています。改めて動画で確認するとあの状態から脱出するのはかなり困難とは思いますが、確かにルール上レフリーに試合を止める権利は無い筈ですから、あの場合正しい選択は「セコンドに対しタオル投入を促す」だったと言えるでしょう。

ともあれモニターに映されたホイラーの状態と詰めかけた多くのプロレスファンにとって宿敵であったグレイシーに対する完全勝利感から観客の興奮は収まらず悪く言えば済崩し的に桜庭の勝者としてのイメージは決定付けられる事になりました。

当時自ら「プロレスラー」を名乗ってはいたものの、桜庭のプロレスラーとしての知名度は高くはありませんでした。TVに映るようになった新日本プロレスとの対抗戦では完全に若手の一人としての扱いでしたし、UWFインター末期の田村との第一試合でのほぼ互角とも映る動きなどは一般的にはあまり知られてはいない状態です。

「2000年の桜庭和志」で本人が総合格闘技のリングで戦っていても常に観客の目を意識していたと証言していますが、その事からも桜庭が光を放つ存在たりえたのは格闘技のリングで総合格闘技のスキルを発揮して戦いつつも観客の感情をコントロールせんとする正に「ハイブリッドレスラー」だったからだと言えるでしょう。

桜庭のヒーローとしてのイメージを決定付ける事になったホイラー戦こそ桜庭に利の有る体重差でしたが、彼の輝きは後に不利な体重差での試合を連発させられることにつながります。

総合格闘技のリングとして熟成されつつあったプライドでしたが今になって冷静に見ると現在では考えられない体重差での試合が平然と組まれており、「純粋な競技を提供する場」というよりプロレス興行の様に「観客にカタルシスを提供する場」としての度合いがまだまだ強かったと言えるかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?