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20,05,14。家庭用ゲームの思い出⑪

「落ちゲー」と言われるゲームの元祖、ロシア生まれのテトリス。

80年代の末期に登場したテトリスはかつてのインベーダーブームを思わせる勢いでゲームセンターを侵食していきました。

始めた瞬間誰にでもすぐに理解できるルール。単純なゲームであるにもかかわらず、ついついまたやりたくなる不思議な中毒性。当時のソビエト製である事から陰謀好きなファンの間では「人をダメにするために開発されたデジタルドラッグなのでは?」などとまことしやかに囁かれる事もありましたが、要は「単純なルールと加速していくゲームスピード」と言うプレイヤーがつい夢中になってしまう要素を持つエポックメイキングなゲームでした。

アーケード版はセガが発売していましたから当然メガドライブに移植される事が発表されます。当時誰もが認める高スペックでありながらファミコンのような怪物的ヒットタイトルのソフトが無かったメガドライブにとって、テトリスの移植は「これで任天堂、NECとのハード戦争に打ち勝てる」的な天下分け目のタイトルになるはずだったのです。

当時のメガドライブ派ユーザーにとってテトリスの発売は「俺たちのメガドライブが天下を制する日」を告げる福音になる予定でした。

セガは既に初回ロット分を生産し、後は発売日を待つばかりでしたがライバルの任天堂による急転直下ウルトラC的な技でメガドライブ版テトリスは幻のソフトになってしまいます。

任天堂は別に不正な手段を行使した訳ではありません。テトリスの版権を管理していた当時のソビエトの外国貿易協会と正式な「家庭用ゲームの独占販売権」と言うライセンス契約を締結したのです。

しくじり先生でカズレーザー氏も指摘していましたがセガは開発力こそピカイチでしたが他の部分がどうにもアレな感じだったので「アーケードはウチが出してるんだから家庭用も移植できるよね?」的にのんびり考えていたのかもしれません。

「俺たちのメガドライブになんて事を!」メガドライブ派の阿鼻叫喚が響き渡りましたが時すでに遅し。発売予定日を間近に控えたある日、急遽発売中止がリリースされる事に。

当時生産されていたメガドライブ版テトリスの一部は某国のゲーム市場へと流れ、後に秋葉原のゲームショップ等で秘かに販売されたりしました。

その画面とアーケード再現度は某社によって発売されたファミコン版(もちろん未購入です)とは雲泥の差で「これがあの時発売されていたら…」と思わずやるせない笑みがこぼれる出来でした。

思えばこの一件以降メガドライブには「天下を取り損ねたハード」と言う二つ名が付きまとうようになった気がします。とはいえこのテトリスの恨みによって当時少数派だった自分を含めたメガドライブ派の結束力は妙に高まる事となり、以降も決してメガドライブを見切る様な事はありませんでした。

ただし、自分は後に発売されたアタッチメントでメガドライブの未来に絶望し、スーパーファミコンを購入する事になります。

その伝説となる後付けアタッチメントこそ「メガCD」でした。

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