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おっさんずラブリターンズに今思うことは


2024年3月1日。テレビ朝日系列「金曜ナイトドラマ」枠で放送されていた、「おっさんずラブリターンズ」の最終話である第9話が放送され、初回放送日であった1月5日から2か月と1日に及ぶ日々が終わった。

毎週金曜日に固唾を呑んで見守った日々に終わりを告げ、そのまま何事もなく日常に戻っていく筈だった。

しかし、最終話の放送から三週間がたった今も、未だに日常に戻りきることができず、頭の中でずっとこのドラマの事を考えてしまう。
もう少し詳しく言えば、このドラマに対してのみならず、ドラマの放送中や放送後に出会った沢山の意見や感想、批評、記事に対して、自分が抱いた意見や感想、感情を頭の中で消化する事がどうしても出来なかった。

正直、これを書くにも多少の勇気がいって何度も辞めようともしたが、どうしても消化不良を起こしているので自分の為に書き残す事にした。

とても長く肯定的なものばかりではないが、あくまでも一視聴者の、一個人の意見として、読んで頂ければ幸いです。

※筆者は劇場版からこの作品と出会い、単発、S1、劇場版、inthesky、S2と全て視聴済みです。
※一番好きなのはS1と劇場版です。
※俳優さんのことは好きで、とても感謝していますが、特段のファンという訳ではないです。
※私はこのドラマを真顔で楽しんでいる派の人間です。


2023年9月25日に、「おっさんずラブリターンズ」として、2018年に連続ドラマとして放送された、天空不動産編として続編の放送が決定したと発表された。

朝このニュースを見て、心底驚いた。
まさか続編を見れるなんて思っていなかったし、そもそも、もう無理なんだろうと諦めてもいたからだ。
それが、大好きな天空不動産編としてまた彼らに会う事ができる。
とても嬉しかった。

暫くしてキャストの全員続投と追加キャストが発表され、同時に公開された春田のキービジュアルポスターにはこう書かれていた。

神様、〝家族〟になるとはどういうことでしょうか─

これを見て、前回のテーマは恋愛だったのに対し、今回はその先の少し踏み込んだ、家族について描くのだなと理解ができた。

連ドラからは六年、劇場版からは約五年が経ち、世の中や社会情勢も変わっている中で、このテーマを掲げてここに帰って来てくれた事に対して、その覚悟が凄いと思ったし、このテーマをおっさんずラブの世界に落とし込んだ時、どのような世界を魅せてくれるのかをとても楽しみにしていた。

2024年1月5日。
待ちに待った第一話の放送日。
テレビの前で文字通り正座待機し、放送を待った。
そして、変わらない馴染みの曲と共に登場する天空不動産の面々。

あなた達にずっと会いたかった。また会えたね。嬉しいよ。

この気持ちが止まらなかった。

そして、春田のスマホには彼から連絡が来る。急いであの階段へ走って行く春田。
そこで待っているのは、他でもない牧凌太だ。

「牧、おかえり」
「ただいま」

と言葉を交わす二人。
破顔させて笑う牧の顔。パァァと顔を明るくさせ「まぁきぃ!」と牧に抱きつく春田。
私は、春田が牧に「おかえり」を言うこの姿をずっと観たかったんだ。と思わせる程、これまでにあった全てを包み込んでくれるかのような場面だった。

満を持して部長も、今作では家政夫という立場で登場した。
春田との再会に戸惑い、気持ちを抑えようとするも、帰宅途中に颯爽と歩きながら春田の名前が漏れてしまう場面は笑ってしまったし、結局ポリバケツに愛を叫んでしまうシーンはらしさ全開で面白かった。

これを持っておっさんラブの登場人物が全員集合した。と思わせる場面だった。

第一話では春田と牧が家事や仕事の忙しさから衝突するシーンがある。
しかし、春田は牧に電話をかけ、「牧が頑張っていること、世界で一番俺が知っているから」「無理はすんなよ」と声をかける。天気予報で雪が降るのを知ると、牧の為にカイロを持って本社へ走っていく。
「それだけのために?」と言う牧も、春田の為に買っておいたマフラーをプレゼントするのだ。

この赤いマフラー、全話のどこかで必ず春田が身につけていて、リターンズで一番のキーアイテムと言っても良いほどの印象を放っていた。
このマフラーを見る度にこの場面を思い出した。
マフラーをかける二人のやりとりも微笑ましく、春田の「あったけー!」と目をキラキラと輝かせている姿は、それだけで幸せと嬉しいが溢れていた。

すれ違っても、劇場版の様にお互いを傷つけ合うだけでは終わらない。相手を想いあっている。
そして、想いあっているだけではなく、二人がそれを行動に表しているのも、とても良いなと思った。

私が二人に会えなかった時間も、二人は関係を築いていたんだ。と思えた場面だった。

そして牧から「初詣行きましょう」と誘い、春田の行きたかった初詣に行き、春田は叫ぶのだ。

「大好きな牧と、幸せな家族になれますようにー!」

それに答えるように牧も叫ぶ。

「俺も一緒だよー!」

大好きな牧と幸せな家族になりたいよね。頑張れ!と心の底からそう思ったし、牧と家族になっていく過程を是非見守らせてね。と、春田に言いたくなる場面だった。

第二話では所謂「姑問題」をテーマに物語が進む。
二人が、春田の母に結婚を告白するシーンはこちらも緊張した。

「孫の顔だって見たいじゃない?」「ずっと創一の友達でいてね」の言葉は、S1で二人が別れる原因の一つになった。
「ATARUくんと、この家に住むことになったから」という言葉は、劇場版で二人が同棲を解消する理由になった。

「結婚したんだ」という春田の告白も受け止め、結婚おめでとう。と二人に言葉を送った春田の母。

ATARUくんからの連絡の描写が多いなとも正直思ったが、春田の母だなと思える場面だ。

そして二話のラスト。

春田は牧の本社での発言を受けて、母には結婚式は今のところしないと伝える。

今の時代、結婚式は必ず挙げるものではない。
しても良いし、しなくても良い。
二人で決めるものだ。

春田は牧の意見を尊重した。牧はその春田の発言を受けて仕事の帰りに考える。

母に伝える春田の顔を見る牧の表情だけで、色んな解釈ができる場面だ。
六話に繋がる「結婚式なんかしたら、もう簡単に戻れなくなりますけど」という意識はこの時からあったのではないかと思う。
それでも、帰国後の春田との生活を思い出し、「したくない」から「してもいいかな」に考えが変わっていく。

この橋で思いにふけるシーンがあるだけで、牧の気持ちの変化を表すには十分だった。

そして、翌朝「やります?」「二人で決めることだから」と牧から春田に話をする。

ここの朝食のやり取り。シナリオブックと比較しても、台詞が絶妙に変わっていて、春田の嬉しいの気持ちが溢れ出てくるのが伝わり、これまでなら気持ちを直接言わなかったであろう牧の変化も感じる大好きな場面だ。

しかし、回を追う事に連れ、少しずつ私の中で何かがズレてくる。

最初の違和感は、やはり第三話の武川さんの「おむつパートナー」発言だったかもしれない。

武川宅で牧に恋人が欲しいのですかと聞かれ、恋人が欲しいというより、この先の将来このままでいいのかという不安がある。と溢した場面がある。

武川「今は一人でも気楽でいいが、年を取ったら俺のおむつを替えてくれるのは誰なんだとか、最期を看取ってくれるのは誰なんだとか」
牧「ああ…」
武川「恋がしたいというより、老後も一緒
に助け合えるような、おむつパートナーがほしいのかもしれない」

リターンズ第二話より

彼が一人で暮らしていて、老後に不安を感じるのは分かる。
昨今の社会問題でもある。
だが、そもそも老後の介護が前提で、生涯を添い遂げるパートナーが欲しいって一体どうゆう思考回路?と釈然としなかった。

そもそも彼は、S1ではこう発言していた。

(春田の後輩とその配偶者が、多くの物件を回ったが結局部屋が決まらず、意見が合わなかった件について)

武川「だいたい他人が一緒に暮らすなんて無理があるんだよ」
春田「武川さんは結婚とかって…」
武川「興味ないな。清潔な空間が汚されるのも嫌だし。ていうか本当に愛し合っているならわざわざ形にこだわる必要ないだろ」

S1第二話より

彼は思考や思想が作品ごとで振り切っている所があり、S1と劇場版、リターンズでそれぞれ別人格の別人物だと、考えた方がいいのかと思うまである。

それを考慮しても、他人が一緒に暮らす事に疑問を持ち、清潔な空間を維持したいという考えを持っていた人が、「老後のお互いの介護」を最大の目的として、一緒になったパートナーと、この価値観を塗り替えられるのかと疑問に思った。

武川さんと同じ考えを持つパートナーに出会えれば、この問題は解決するように見える。

そもそも家庭内における介護の問題とは、精神的にも体力的にも大変な介護を、自らの仕事や生活の中で両立するのが大変だけど、愛する家族と共に生きるために頑張る。けど現実は綺麗事の様にいかなくて…。という複雑な問題との認識だった。

なので、介護前提で一緒になったパートナーと、彼がこの問題を突破する道筋が、どうにも見つけられなかった。

それに、紙パンツのCMを国民的アイドルグループ出身の芸能人がする事で、印象を変えていこうという動きもある中で、この造語のセンスになんか冷めたものも感じた。

しかし、これはドラマ「おっさんずラブ」である。
そう、あの笑って泣ける、ラブコメディドラマの「おっさんずラブ」である。
それを分かった上で、私も視聴している。

これぐらいの表現など、このドラマの元々の特性で、笑いながら観るものだということも十分に分かっていた。

また三話では春田と牧が不倫問題に揺れても、それに対してすぐに相手を疑ったり怒ったりせず、冷静に相手の話を聞いて誤解を解いた。
この回からも、二人の揺るぎない関係が分かるのだ。

そして、もやもやのわたあめを溶かす如くの最後のキスシーンも、S1の気持ち先行ぶつかりキスではなく、二人の穏やかな気持ちを表している様に見えた。

なので、このズレもそこまで気にならなかった。

しかし、介護の話はこれで終わらない。
第四話では、春田が牧の父親を巡って介護の問題と向き合うことになるのだ。

そして四話の終わりで春田は、「部長も家族みたいなもの」という結論に辿り着く。

この時に生まれた、この価値観こそが、私にこの記事を書かせるまでのモノになっていくのだった。

第五話の新婚旅行編は、部長からプレゼントされた旅行券が、ファミリーチケットだった為、部長も一緒に行くことになる。

新婚旅行と銘打っているのに、部長も同行する展開は、こうしないと話が始まらないもんね。と自分を納得させた。

第六話の結婚式編は、牧の仕事が忙しく残業ばかりの為、春田は結婚式の打ち合わせに部長と共に行く。

このすれ違い問題も、結婚式は半年前から準備する場合が多いから、そうしたらここまですれ違わず二人で準備できそうなのに。という正論は辞めようと決めた。

今見ているのは、一般ドラマではない。「おっさんずラブ」である。
という意識は常にあるものの、というか、常にこれを思っていないと、平然と見られなくなっていった。

物語の流れ以外の、倫理観というにも程遠い普遍的な所でのノイズが、あまりにも大きくなってきたからだ。

そして、第四話を皮切りに、春田の家族像が物語の展開ごとに形を変えていく。

リターンズが理解に苦しみ混乱した原因は、春田の、一番大切な牧と家族になりたいという思いと、その展開ごとに生まれた家族像(主に部長も家族という考え)を大切にしたいという思いが、ずっと並行して描かれるからだった。

第五話では、牧からの新婚旅行の提案に喜び、陶芸シーンでは牧への愛が溢れて、乱闘シーンでも、春田は牧のことばかり心配している。
布団の上のシーンも、指輪を無くしたことより、牧の事が何万倍も大切なんだよと泣きながら訴える。

こんなにも牧が大切としっかり描かれるのに、「部長が当ててくれた」という理由だけで、新婚旅行に誘うという乖離展開。

第六話の結婚式前夜のやりとりは、リターンズの中でもトップ3に入る名シーンだったと思う。
「これからも、牧と一緒に歩いていきたい」
「俺もです」
そう言って抱き合うシーンは、劇場版のラストを思い出させた。
足が揃って式場に入るシーンは、角度、速度、温度感までピッタリで、そこには春田と牧が存在していたし、二人の結婚式にやっと立ち会えたと思わせてくれた。

その分、その結婚式、二人で準備できる筈なのになと思ってしまう。

第七話のラストでも、子どもが欲しいから別れようと言われないか不安だった牧に対して、「今は牧と二人の生活を大切にしたいなと思っている」「俺は牧と一緒ならこの先、どんな家族になっても楽しいと思ってるから」
とまで言い切る。
(ここ劇場版でも使われたセリフだったので、もっと話を展開して欲しかったなと未だに思ってはいるのだが……。)

第七話では部長が余命一か月と診断される。
第八話では、部長の体調があまり良くないのではという話になり、なら元気なうちに皆んなで会おうと、ホームパーティを開くことを決める。
ここのわんだほうで話し合っている場面で、自宅でのパーティー開催を提案する牧に、春田は「いいの?」と聞き、牧の事を気にかけている描写がちゃんと描かれる。

そしてパーティー終了後、部長からのお別れメッセージを見た春田は部長の元へ走り出す。

ここで飛び出して行くのが春田だと理解でき、S1の7話とリンクしていたのも、2016年版単発がS1とリンクしている場面があるので、受け入れられた。

しかし、この後の春田の台詞だ。

「牧とケンカしたら、誰が止めてくれるんですか。俺が迷ったら、誰が導いてくれるんですか。俺には、俺には部長が必要なんですよ。ずっと一緒にいたいんですよ」

リターンズ第八話より

放送後はもう呆然としていた。

長年かけて牧と一緒にいたいと誓ったすぐ側で、部長に、ずっと一緒にいたいと、言いながらぶつかって行ったからだ。

その人はあなたのことをまだ、恋愛感情で好きだと言っており、しまいにはその人に「はるたんには牧がいるだろ!」とまで言わせてしまっている。

この時点でもう分かっていた。
私がこのドラマが届けたいターゲット層にいないことも。
このドラマが描く「家族」を結局理解できていないことも。

私にこの作品を教えてくれた友人は部長が好きだ。
部長の乙女な所が好きで、面白いから劇場版を一緒に観に行かないかと誘われた。

おっさんずラブってTwitterで話題になってたよね。ぐらいの認識と、部長は春田のことが好きで、でも春田と牧がくっついて…。程度の認識で、私はS1を観ないまま映画を観に行った。 

それが、映画視聴後、春田と牧の揺るぎない関係と、真っ直ぐな愛に衝撃を受け、その後一週間でS1を履修し、その週末にもう一度一人で映画を観に行った。
初見後の、「この二人の関係すごい…」という衝撃は今でも忘れられない。

劇場版にも色んな評価がある。
だが、喧嘩別れした後でも春田が拘束されていると分かれば、春田の元へ必死に走っていく牧の姿は、それだけで、春田をどれだけ大切に思っているかが見て取れた。
春田が炎の中で「俺、本気で牧と家族になりたかったんだよね」「牧とずっと一緒にいたい」と泣きながら牧と抱き合うシーンは、それだけで牧のことが大切で、二人で生きていきたいという春田の気持ちが伝わってきた。

サウナのシーンは今観ても笑えるし、部長と春田のローマパロも面白くて好き。

でも、それ以上に、帰国後別居状態になっても、夏祭りが別れ話発展しても、絶賛されたS1を観ず、いきなり劇場版を観た人間にでさえ、春田と牧がお互いを心の底から愛し合い、将来を誓った存在。と分からせる説得力をハッキリ持つ程、二人の関係は特別に描かれていた。

たとえ二人のシーンが少なくてもだ。

おっさんずラブ(天空不動産編)は春田と牧がカップリングだが、物語はここを中心には描かれない。
それはあくまでも「おっさんラブ」という作品が、春田と黒澤が固定の登場人物だからだ。
そこに、シリーズ事に色んなライバルが現れて物語が展開していくのが、この「おっさんずラブ」の形である。

それを十分に理解している。

春田と牧を中心に物語は描かれない。
登場人物が並べば、春田、黒澤、牧。の順番なのである。

それが「おっさんずラブ」だから。

それでも、春田と牧が愛し合い、お互いの意思を持って二人で生きていくことを決めたことは、S1、劇場版、リターンズと長い年月をかけて描かれてきたことだった。

それなのにだ。
このシーンで、これまでずっと丁寧に描いてきたこの不可侵領域がまでもがひっくり返されてしまった。

「俺には部長が必要なんですよ。ずっと一緒にいたいんですよ」を理解できる程の説得力のある描写が、果たしてこの八話の間にあっただろうか。

何度でも言うが、春田が牧を大切であるという描写がない訳ではない。

あるのだ。
そこはしっかりと描かれるのだ。
すれ違っても仲直りができ、二人でもう十分生活ができる程の信頼関係がある家族として描かれるのだ。 

部長の余命を聞いて走って行くのは分かる。
一緒に病院に行きましょうと言うのも分かる。
けど、「ずっと一緒にいたい」と泣きながら縋るのだけはどうしても分からなかった。


抜け殻状態の八話終了から、なんとか自分を納得させようと、パーツを拾う為、一話から全部振り返った。

第一話で、春田が、部長と蝶子の新婚生活を問うたシーンがある。

黒澤「違うくていいんです。自分と違うからこそ、広がる世界もありますから」
春田「…あぁ」
黒澤「日々お互いを知り、許し合い、認め合う。そうしてだんだん、家族になっていく。新婚生活というのは、家族になるための入り口なのかもしれません」
春田「家族になるための入り口…」

リターンズ第一話より

これはとても良いシーンだ。家政夫というより、元上司である部長からのアドバイスに見えるからだ。

ただ、このアドバイスが第二話で春田が言う、「迷った時にはビシッと正しい方向を教えてくれる」から部長を父親みたいなものと言い切る理由になるだろうか。

第四話で初めて明言された、春田に父親がいない事実。
それを牧の父に言い、「俺父親がいないので、お義父さんと家族になれるのは嬉しいです」と話すのは分かる。

でもその夜に牧が、部長といつまで喧嘩できるのかを考えたら切なくなった。と話したことが、部長も家族みたいなものと言い切るに匹敵する理由だっただろうか。

第六話でマリッジブルーになり、落ち込んでいた春田に寄り添ったのは鉄平兄だった。
ここも良いシーンで、春田と幼少期から過ごし、側にいた幼馴染の兄として「二人だけの価値観が生まれてくる」という的確なアドバイスをするのだ。

第七話で吾郎の子守りを必死になって頑張る春田と牧を支える部長の姿は、家政夫としての仕事の延長線上の様に見える。

やっぱり分からないのだ。


しかし公式と解釈違いを起こしている事態には違いなく、この状況にも精神が参っていた。

何かに迷った時はまず本屋に行くので、この状況を解決してくれる様な本がないかと探し回ったが、当たり前だがそんな都合のいい本はなかった。

主役の有無関係なくリターンズ関係の雑誌の記事はできるだけ読んでいたが、求める答えはなかった。

その後は色んな意見を求め、インターネットの海を渡り歩いた。
色んな意見が溢れかえっていた。
自分と意見が違う人のもたくさん読んだ。
確かにS1のラストに背中を押したのも部長だ。けど、それは退職後ずっと連絡を取っていなかった人に、ずっと一緒にいたい。まで言う過程を理解できるものではなかった。

でも春田さんがそう言うなら、その通りだし、結局それを理解できない狭い考えの中にいる私が悪いなぁ。と八話を二回観ながら私は思った。

最終話である第九話は、春田がいつのまにかありとあらゆる皆んなを家族みたいに大切にしたいと考えていた。
そして頑張りすぎているのを心配した牧が、部長にアドバイスを求め、春田の為にできる事を考える。

たどり着いた答えは、春田が大好きなみんなに囲まれて、笑っている時が一番幸せなんだろうと思い、皆んなに集まってもらう事だった。

そして、満開の桜の下で春田は自分の思う幸せな瞬間を発表する。
それは、牧とのこうして空を見上げるような何気ない日常だった。
そう、とっても大きく広がった春田の幸せは、結果、牧の隣に帰ってきたのだ。

最後の、満開の桜の下で二人が名前を呼び合うシーンは、二人がそれ以上の言葉を交わさなくてもそれだけで「愛してるよ」という二人の気持ちが十分に伝わった。

結婚式前夜同様、春田と牧が確かにそこにいると思わせてくれた場面だった。

その後は、「We are family」という文字だけがやけに強調されるも、それぞれがそれぞれの家族をしっかりと築いているだけの、日常の様子が描かれる。

春田と牧が住む隣の家に部長が引っ越してきて、三人の関係はこれからも続くのであろうと思わせて、おっさんずラブリターンズは終わっていった。


そして、触れずにはいられない事もあった。

リターンズは婚姻についてのテーマでもあった為、特に六話放送後には色んな意見が巻き起こった。

私は当事者ではない。そしてこの事について、常に注意深く情勢を追っているわけでも、日々学んでいるわけでもなく勉強不足なので言及することは避けたい。

が、私もこれをきっかけに色んな意見を読み、実際これの法的な問題は何なのか改めて疑問に思い、本を何冊か読んだ。

おっさんずラブは現実から離れた世界観であるし、エンタメにどこまでその正しさや提言性を求めるのかという問題はある。
しかし婚姻とは法に基づく制度であり、それに対する裁判も今行われているなかで、この描き方は現実を追認していると批判されても仕方がないなと正直思った。

そして、それが一般人のみならず、新聞等のメディアにも、批判的な内容で記事になってしまっていた。
全て目を通した。
この作品のことが好きな一視聴者としては、どうしても残念だった。


こうして私を色んな感情にさせたおっさんずラブリターンズは、放送終了後も影響を与え続けた。

友人達はリターンズの放送を楽しんでいて、これがこの作品との正しい距離の取り方と、楽しみ方だなと身近で見ていて感じ、自分は中に入りすぎているなと改めて思った。

そんな中でも、どうしようもならず消化できなかったことを、文字にできて良かったと思う。

この考え方は解釈からの逃げであり、思考停止になるのでなるべくしたくないのだが、結局、制作側が部長を春田と牧の家族にしたくて、春田の思考をそうさせた。と思われても仕方がない描き方だったとも思う。

そして、笑えない倫理観のパロディはこれを気に見直して欲しいと思った。


私は放送前のおっさんずラブ展に行った時、メッセージボードのふせんに「この作品に関わる全ての人に感謝です」と書いた。

その想いは今も変わっていない。

しかし、田中圭さんと林遣都さんへの感謝を改めてここに述べて、この文を締めようと思う。

ありがとうございました。

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