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日向坂46・金村美玖さんのメモから考える、才能を成功につなげる社会性 〜富田鈴花さんの躍進を参考に〜

以前の「余計な事まで」の放送で、金村美玖さんがノートに書き留めた以下の言葉が紹介されていました。

「無意味な情熱は、それが無意味ということに価値があるのではないか?」

余計な事までやりましょう #172」より

これはおそらく、藤井青銅さんの著書「一芸を究めない」の第一章第三節、「無意味な情熱の価値」の終盤に述べられていた言葉をメモしたものだと思います(一言一句同じなので)。

この言葉を聞いて自分は、伊集院光さんが師匠の六代目三遊亭円楽さんから言われた言葉を思い出しました。それをきっかけに、

「無意味な情熱とはなんなのか?」
「それを仕事の成功につなげることはできるのか?」
「そのために必要なことは何か?」

について考えたことをまとめているのがこの記事です。


「無意味な情熱」とは「業(ごう)」である

青銅さんの言う「無意味な情熱」は著書の中で、「誰に命じられたわけでもない自分を突き動かすナニカ」、というニュアンスで表現されています。別にお金を稼げるわけでも、誰に見せるわけでもないのに、ラジオのトークを書き起こしたり、イラストやマンガを描いたりするなどといった行動を起こすナニカです。

この「無意味な情熱」と同じことを「業(ごう)」の概念で捉え、「ついやってしまうこと」と表現している人もいます。

このサイトから「業(ごう)」について引用すると、以下の通りです。

「業」とは一般には、「あの人も業が深いよなあ」というように、その人の生い立ちや家庭環境などの来歴、自分ではどうしようもできない因縁やもって生まれた煩悩のことを指します。
(中略)
「業」とは表立ってスペックというには気が引けたり、お金になるわかりやすい価値とは一見程遠い、自分としては過小評価している無駄な情熱。そこまでやれと言われてないのに、誰に頼まれたわけでもないのに「つい」考え過ぎる。「つい」手を動かしてしまう。「つい」やり過ぎてしまうもの

傍から見て「努力の塊」でも、本人は努力しているとは思っていません。他人より長時間取り組むことが苦でないどころか、息をするように無意識にやってしまっているだけなのです。

ついやってしまうことが強みになる!「業」という考え方」より

このように、青銅さんのいう「無意味な情熱」とほぼ同じことを「業(ごう)」という概念で表現しています。なので「無意味な情熱」は「業(ごう)」と言ってもいいんじゃないかなと思います。

社会性が業(ごう)を業(なりわい)にする

そして冒頭で述べた、六代目三遊亭円楽さんが伊集院さんに言った言葉が、

自分が時間を忘れてやってしまうような好きなことに少し社会性を持たせると、この商売は食っていける」

伊集院光 三遊亭円楽さんの金言を明かす「好きなことに少し社会性を持たせると…」より

というものです。「時間を忘れてやってしまうような好きなこと」は、まさしく「無意味な情熱=業(ごう)」と同じですね。その上でさらに「少しの社会性」があれば芸能界で食べていけるとしています。つまり、

業(ごう) + 社会性 = 業(なりわい)

ということになるかと思います。
では、社会性とは一体何か?伊集院さんなりの解釈で、それを以下のように説明しています。

「要は『金が儲かるから、人気が出るから』じゃなくて、本当に理由なく時間を忘れちゃうぐらい好きなことに、ちょっと皆に分かってもらえるような例えができたり説明力が付いたり、一般の人に分かるようなことに寄せれば、それだけで食べていける」

「グループのアイドルとかが自分に色を出したくて本当は好きじゃないんだけど『ここは割と層が薄いから』ってアドバイスを受けて頑張って勉強してモノにしようとする。あれは違うと思う。で、師匠は『特に芸人は違う。あれを追っかけちゃダメ』って。かと言って『分かる人に分かればいいんですよ』って態度は違うから、ちょっと社会性を持たせようよって」

伊集院光 三遊亭円楽さんの金言を明かす「好きなことに少し社会性を持たせると…」より

この説明からはおそらく、業(ごう)の対象となるものを世間一般とつなげるような動きを社会性と言っているように思います。

社会性とはなんだろう?を富田鈴花さんの事例から考える

伊集院さんの言葉だけでもなんとなく分かるような気がしますが、せっかくなので「社会性」について、もう少し噛み砕いてその正体を探りたいと思います。そのために以下の書籍の内容をベースに、昨今の富田鈴花さんの事例を見ていきます。

業(ごう)とは「才能」である

この本では、「人よりうまくできること」ではなく「ついやってしまうこと」、つまり業(ごう)の概念と同じことを「才能」と呼んでいて、それは動詞で表されるとしています。

そんなこの本の主張はおおよそ以下のとおりです。

  • 人にはそういった「ついやってしまう」才能をいくつか持っている

  • しかし普段から当たり前のようにやっているので、無自覚な事が多い

  • それらを自覚し組み合わせれば、その人自身の「特別な才能」になる

  • 才能は長所・短所の源泉であり、状況や環境次第で長所として表出することもあれば、短所として表出することもある

  • 才能が長所として発揮される環境で、さらにスキルと知識も組み合わされて初めて、その才能が「強み」となる

  • したがって、「人よりうまくできること」を探すのではなく、普段から当たり前に存在する「ついやってしまう」才能を自覚し、それらがより良く発揮される環境作りや、それらをより活かせるスキルや知識習得こそが大事である

富田鈴花さんにおける、才能とスキル・知識の組み合わせ

この主張に沿って、昨今は車・モータースポーツ関連での活躍が目覚ましい富田鈴花さんを分解していくと以下のようになるかと思います。本人ではないので相当に雑な言語化になりますが、こんな感じになりそうです。

  • 才能(当たり前についやっちゃうこと・業)

    • まじめにコツコツ取り組む

    • 高速道路や車を愛する

    • 考えるよりもまず行動する

    • 人と違うことをしたがる

  • スキル

    • アイドル経験で培った人前に出る度胸

    • アイドルとしてのファンへの気持ちの良い振る舞い方

    • バラエティでの振る舞い方

  • 知識

    • 高速道路や車に関する知識

    • 鈴花ノートなどで身につけたレース関連の知識

社会性とは「当たり前」と「有難う」の交換を作ること

そして同著では仕事のことを以下のように定義しています。

仕事とは「当たり前」と「ありがとう(有難う)」の交換

世界一やさしい「才能」の見つけ方」より

たとえば機械が苦手な人は、機械が得意な人にテレビの設置と配線を仕上げてもらうと「ありがたい」ですよね。「有る」のが「難しい」と書いて「有難う(ありがとう)」ですから、その対義語が何かというと、「有る」のが「易しい」こと、つまり「当たり前」になります。機械の例にとどまらず、自分にとっては当たり前のようについやってしまうこと(才能)は、他人からすると「ありがたい」ものになり得ます。この「当たり前」を「ありがとう」に交換してもらうことが仕事だというわけです。実際、機械の配線だったり設置だったりを業者にお願いすることはビジネスになっていますよね。

富田さんでいえば、高速道路や車など好きな事についての知識を身に着けたり体験したりすることはついやってしまう当たり前のことであり、仕事に関してコツコツまじめに鈴花ノートを作成するなどして取り組むこともついやってしまう当たり前のことなんだと思います。しかしそれは富田さんと関わる人にとっては、以下のように「ありがとう」へと変換される行動になっているんだと思います。

  • 富田さん推しのモータースポーツファン:興味を持ってくれてありがとう

  • 富田さん推しのそれ以外のファン:モータースポーツの魅力を教えてくれてありがとう

  • モータースポーツ業界の人:しっかり勉強して広めてくれてありがとう

「ありがとう」に変換される動きになっているからこそ、富田さんのついやってしまう才能が仕事になっているわけですね。つまり円楽さんの言う「社会性」というのは、「当たり前」と「有難う」の交換を生み出すような、人との関わり方全般を指すんだろうなと思います。「『分かる人に分かればいいんですよ』って態度は違う」というのも、それだと「ありがとう」が生まれにくいからだと個人的には解釈しました。

円楽さんの言う「この商売」はきっと芸能界全般かと思いますが、中でも特にアイドルって、この意味での社会性が強いと思うんですよね。いろんな境界を染み出していけますし、ファンのパワーも強いです。アイドルのおいしいところだと思います。

どのメンバーにも才能がある

富田さんに限らず、どのメンバーにも日頃から当たり前のようについやってしまうこと、つまり才能が溢れているはずです。ついつい喋り続けてしまうとか、ついつい文章を書いてしまうとか、ついつい分析してしまうとか、ついつい人の気持ちばかりを考えてしまうとか、いろいろあると思います。そういう行動を深掘りしてみると、「喋ることで◯◯するのが好き」とか「文章を書くことで◯◯するのが好き」などのように動詞で表される才能が何かしら出てくるわけです。才能は「ついやってしまうこと」なので、「人よりうまくできること」でなくていいんです。そんな才能と、培ってきたスキルや知識とアイドルとしての社会性を活かすことができれば、仕事として大きな成果が出せるんじゃないかなと思います。

ちょうど2024年01月31日放送の「あちこちオードリー」に日向坂から4名が出演し、「キャラ戦略」の話が出ていました。

これに限らずですが、なぜキャラをどうこうするみたいな話がよく出てくるかというと、「キャラがあれば仕事につながるから」と多くの人が考えているからだと思います。仕事につなげるという視点であれば、ここまでの話を鑑みるとキャラについても同様に、

「当たり前についやってしまう自分の才能を自覚し、スキルと知識を併せて発揮すれば、その当たり前をありがとうに交換できる存在になれる、つまりその当たり前が自分のキャラであると認識され、『仕事として必要とされる存在』になれるはず」

ということになるかと思います。なので結局、「無意味な情熱」とか「業(ごう)」とか「才能」などの言葉で表される、自分にとっては当たり前についやってしまうことが最も大事な根源なのは変わらないと思います。取ってつけたようなものとか、どっかから持ってきたようなものではありません。番組内ではメンバー全員での話し合いの場で金村さんが誰に言われるでもなく自発的に書記をしていたエピソードが出ましたが、それも「ついやってしまう」才能が出ている一つの例ですよね。伊集院さんも「自分に色を出したくて本当は好きじゃないんだけど『ここは割と層が薄いから』ってアドバイスを受けて頑張って勉強してモノにしょうとする。あれは違うと思う。」と言うように、打算的なものではありません。「◯◯キャラが空いてるから自分はそこに!」とかよくありますけど、そういうことではない。青銅さんが「無意味ということに価値がある」と言ってるように、意味がなかろうとついやってしまうことだからこそ価値を生む余地が出てくるわけです。

若林さんが「ネガティブでだいぶ稼いだからなぁ」「ネガティブじゃなきゃいないよな今」と言っていましたが、まさにそういうことだと思います。つい悲観的に考えしまうことは才能の一つであり、分解すれば「先を見越して準備をする」とか「自分が勝てる方法を分析する」などのように表現することができるはずです。そしてそれが長所として出るような工夫をすれば、たとえ世間一般が良くないことだと認識している特徴であっても、若林さんのように仕事につなげることができるんだと思います。というかそもそも、才能は長短両面を持ち合わせているわけなので、絶対的な短所って無いはずなんですよね。

もちろんこれは自己プロデュースを否定するものではありません。何らかのロールを自分で定義してそれに沿って動く才能があるのであれば、むしろ「キャラを作る」ほうがいい可能性も十分あります。大事なのはそれが、自分にとって当たり前についやってしまうことに立脚しているかどうかだと思います。

まとめ

  • 「無意味な情熱」とは、普段から当たり前のようについやってしまう業(ごう)

  • 業(ごう)に社会性をもたせると業(なりわい)となる

  • 社会性とは「当たり前」を「ありがとう」に交換する行い

  • 業(ごう)は才能であり、誰しも何らかの才能を持っている

  • 「人よりうまくできること」を探し求めるのではなく、当たり前についやってしまう「才能」を自覚して活かすことが仕事の成功につながる

というようなことを述べました。

現在、日向坂のメンバーには公に自分をアピールする場としてブログと Instagram(おそらく20歳以上限定)以外に「日向坂ちゃんねる」や「TikTok」があります。これらは松田好花さんがブログに書いていたように、メンバーの自主性があれば一定のチャンスをもらえる余地があるように伺えます。

お正月の様子を全メンバー撮影したのですが、それにプラスして動画を撮りたいメンバーは自由に撮ってきて良いとの事だったので、これはチャンスだ!と思い、松田家で腕をぶん回して撮ってきました!!笑

日本のひなた☀️~宮崎~」より

表現の幅が広がればそれだけチャンスも広がるわけなので、いろんなメンバーがその「ついやってしまう」才能に立脚したチャレンジをいっぱいして、思う存分イキイキしている姿がどんどん見れるようになるといいなぁと個人的には思っています。

ご意見・ご感想などあればお気軽にコメント等までお寄せください!お待ちしています!


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