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ー春のフクシマを訪れてー そこには絶望ばかりでなく 植物の生命力があふれていた

2019年4月25日(木)、私は春を迎えたフクシマを訪れた。この場所へ訪れるのは今回で3度目。初めて単独行動に変え、確認したい各所を転々とめぐり、その中で何か考えや思いに変化は起こるのか。その部分もみてみたいと考えていた。


今回訪れたのは以下の場所である。

● 解体が決まった富岡町夜ノ森駅とその周辺地域
● 春の訪れを感じる飯舘村

● 富岡町夜ノ森駅とその周辺地域
今回この場所を訪れようと思ったのは、駅舎が解体されることを報道から知り、それならば現状を確かめたいと思ったから。

ーー福島民友よりーー
JR常磐線「夜ノ森駅舎」解体に着手
自由通路、待合室整備へ

富岡町とJR東日本は1月21日、東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域となっている同町夜ノ森地区のJR常磐線夜ノ森駅舎の解体に着手した。

原発事故で人の立ち入りが制限されてから8年近くが経過し、駅舎の劣化が進んだ。除染しても屋根や柱などの放射線量が十分に下がらない可能性もあり、町とJR東が解体を決めた。

駅舎の看板や時刻表、ポスターなどは町が2020年度の開所を目指す独自のアーカイブ施設に展示される予定。

ーー福島民友より引用終わりーー


以下は実際に訪れたときの様子。

↓ 2018年5月27日 筆者本人撮影

↓下記2点 2019年4月25日撮影

いざ、現地を訪れるとその場所はすでに夜ノ森駅だと示すものが全て撤去されプラットホームのみが残されていた。そしてその場所は植物や土が剥ぎ取られ、砂利とコンクリートで埋め尽くされていた。それはある意味「きれいになった」と言えるかもしれないが、その場所から生命の息吹を全く感じないため、緑の中に突如として現れたその光景に異様さを感じてしまった。
そしてこの富岡町にはもうひとつ異様な光景が広がっている。

↓ 2019年4月25日 筆者本人撮影 バリケードにより分断された町


それは帰還困難区域とされるこの町の一部がバリケードにより分断されていることだ。こちらは、フリージャーナリストの烏賀陽弘道さんがnoteにてその詳細を伝えているので御紹介します。

2017年10月29日
Hiro Ugaya note
放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低いという滑稽な現実

私はこのnoteを拝見し、一体何のためにこのようなバリケードを設けているのか、訳がわからないと思った。セシウムなどの放射性物質は風の流れによってその空間を移動する。バリケードがあったらそれは人間にとっては障害物になるが放射性物質は空間を自由に往来するため、バリケードで仕切られていない場所のほうが空間線量が高いこともありうるのだ。それならばこのバリケードは一体何のためにあるのだろうか。片側は帰還困難区域に指定され震災から8年経った現在も自宅に戻れないという状況なのにその反対側はバリケードのような仕切りを設けずに自由に出入りが出来るという状況。その現状に思考がついていけず、それでも理解しようと考えながら近隣をめぐっていると突然目の前にぎょっとする光景が現れた。

↓ 2019年4月25日 筆者本人撮影

↓ 敷地内にはフレコンバッグのほかに家財道具が置かれていた

↓ 毎時0.48マイクロシーベルト


次々に建物が解体され更地が増えている中、その一角は突然現れた。それは放射性廃棄物のフレコンバッグが今まさに家全体を飲み込もうとしているような光景だった。日本人の勤勉さを表すようにフレコンバッグが敷地内にきれいに並べられている。しかし、なぜかこの家だけ放射性廃棄物の集中攻撃を受けているかのように見えてしまう。しかもよく見ると、フレコンバッグの中に乗用車が埋もれている。一体これはどういうことなのだろう。目の前に現れた突然の状況に全く理解が出来ず、頭の中が大混乱になってしまった。


その状況を目の前にしてしばらく茫然としていた。すると、これは住宅が解体される直前の光景なのではないかという考えが頭の中をよぎった。解体が決まっている住宅を業者に伝え、次の作業現場を示すためにあえてこのような状況にしているのではないかと考えてしまった。

しかし、目の前にある住宅や車にはここで過ごしていた人の思いがあるはずだ。フレコンバッグに埋もれている車は単なる金属の塊ではない。そこには持ち主の思いがありそれこそ住宅と同じように、その車を運転して、誰と、いつ、どのような場所にでかけたのか。一緒に過ごしていた期間が長ければ長いほど、車に対してまるで相棒のような愛着心が湧くこともある。しかし、それを手放すと決めたこの持ち主は今はどのように過ごしているのだろうか。新たな場所で元気に暮らしているのだろうか。私は考えれば考えるほど胸が締め付けられるような思いを感じてしまう。


そのような感情を抱きながらとぼとぼと、この町を歩いているとキラっと光る生命力を感じた。

この場所は放射線量が高く、人々が生活することは困難とされている状況なのに、ここで生き抜こうと植物が新芽を出していた。しかも放射線物質が降り積もりやすい地面からその植物は芽を出している。

私はそれをじっと見つめていると、人間はなんてちっぽけ存在なんだろうと思ってしまう。季節がめぐり春を迎えたら植物はきれいな花を咲かせる。場所によっては桜や水仙、チューリップなど様々な植物が花を咲かせ、まるで春の訪れをこの地へ伝えているようにさえ感じてしまう。そして植物は放射性物質を善悪で判断しているのではなく、あくまでそこにある現実をただ受け止めているだけなんだと。誰に気付かれるわけでもなく、ただそこで生きているという健気さ、そしてここから空に向かって伸びようとしている光景に私は感動していた。

そのように私は植物から感じて、しばらくその場所で佇んでいると先ほど受けた衝撃が少しずつ和らいでいくようで胸がほっこりと温められていた。その場所でほっと一息ついて次の目的地へ向かった。


● 春を迎えた飯舘村
次に訪れたのは、春を迎えた飯舘村だった。
この村内でまず最初に向かったのは飯樋小学校だった。この場所は幼稚園が併設されており、前回訪れたときはこの場所に重機が入りまさに解体真っ只中だった。その状況を直視していたためどうしてもその後の状況が気になっていた。

放射性物質を浴びた建物は全て撤去される。それでもせめて、この場所で子供たちが遊んでいたという証が何か残っていないだろうか。そのような期待を抱きながら丘を登っていくと、そんな期待はすぐに砕け散ってしまった。

↓ 2019年2月14日 筆者本人撮影 下記2点は幼稚園の学び舎が解体されている様子


↓ 2019年5月25日撮影 学び舎や遊具が全て撤去されてしまった

目の前に現れた光景はきれいすぎるほどに何もなかった。つい先日までそこにあったはずのすべり台やジャングルジム、子供たちの学び舎が全て撤去されていた。建物がなくなったことにより視界が開け、その場所で咲いている桜と遠くに連なる山々の風景はきれい見えるが、何かがおかしい。


言葉としての表現では「きれいになった」と言うのかもしれないが、これが除染終了ということなのか。予想はしていたけれど、私はいざ目の前に現れたその光景に言葉を失い、その状況を直視することがとても辛かった。


このように、私は一日の中で確認したいと思っていた場所があちこちに点在していたため、見られるところはなるべくめぐりたいと考えていた。そんな欲張りな願望を抱きながら現地をめぐっていると、あっという間に時間は過ぎ去り少しずつ日が傾き始めていた。慌てて桜が咲く目的地へ向かおうとしたがその場所へなかなかたどり着けない。自分の見通しの甘さがこんなところで露呈され、いつも勢いで突き進んでしまうことがすっかり裏目に出てしまった。まずいことになった、と焦りながら飯舘村の中を右往左往していると目的地へ辿りついた時にはすっかり日が陰りあたりは夕闇に包まれていた。
 
なってこった…
やってしまった…
自分の思うままに行動したばっかりに目的地だった場所へ訪れるのが遅くなってしまいその様子が写真に収められないなんて。

自分の行動や考えの甘さに後悔や悔しさを感じ、それでも太陽が沈んでしまったからもう撮影は出来ないと諦め、暗闇の中家路に向かうことにした。すると突然ライトアップされた光景が目の前に現れ思わず車を止めてシャッターを切った。

辺りは暗闇に包まれているのに、その場所だけ別世界のように感じてあまりの美しさに、その様子をじっと見つめていた。すると植物が何か語りかけているように思わず感じてしまった。

”今回の訪問で終わりにしないで。
たとえ人々の暮らしが変わっても植物や自然は変わらずにそこにあるから” と。



●独りでフクシマを訪れてあらためて感じたこと
正直、フクシマを訪れることはとても怖いです。それはまるで巨大な怪獣に武器を持たず戦いに挑むようなそんな気分です。


どんな戦略を練ったらいいのか
どんな武器を持ったら太刀打ちできるのか


それらを考えて敵に向かっていくことが本当は大切なことなんだと思います。そのほうが効率的だし自分自身が受けるダメージも少なくて済みます。

でも身を守るために一番良い方法は
このような怪獣に戦いを挑まず、静観していることが一番傷つかなくて済む方法かもしれません。

しかしこの状況は、私たちの世代だけではなくこれからの日本が何十年と抱える問題です。それは子どもや孫の世代、そしてもっともっとずっと先の世代まで受け継がれていくかもしれません。


そうなったときに
自分の故郷が福島ではないから、とか
被災地に知り合いがいないから、などとして
世界的なクライシスに私は何も出来ないと目を反らして見ないようにしてしまうのは何か違うのではないでしょうか。


もちろんこの問題を直視するとうんざりしてしまう現実があまりに多いため、私は見たくない、関わりたくないと目を反らしたくなるときがあります。そして関わったところで何も出来ないと私は今でも思っています。


私は以前こんなことを言われました。
『毎日の仕事で疲れているのにそんなところに目を向ける余裕なんてないよ。マスコミが報道しないことをわざわざ見るより、映画や音楽を見たり聞いたりしているほうがよっぽど息抜きになる。だから自分の生活のために時間は使いたい』と。


もちろん日々の息抜きは大事です。
それがなければ仕事を続けることは難しいし
ましてやこのような問題に目をむけることは困難なのかもしれません。


しかし、1日のうち、1週間のうち、1ヶ月のうち、1年のうち。どこかほんの少しの時間でいいから

今のフクシマってどうなっているのかな
復興ってどのくらい進んでいるのかな
今まで行ったことはないけれど
ちょっとフクシマに行ってみようかな

そのように思う方が現れて、ここで記していることが人々の被災地の現状を知るきっかけになれたらいいと思います。

ー2019年5月19日記ー

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