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ジャーナリズム茶話会 報告レポート

2019年8月25日開催 ジャーナリズム茶話会

講師:烏賀陽弘道/主催者:中村哲雄

 東京・新宿にて開催した「ジャーナリズム茶話会」の内容をお伝え致します。このお話会では、キリスト教の歴史やジャーナリズムの由来について烏賀陽弘道さんが講義を行いその後、当日参加者が問題提起を行いました。そしてこの茶話会は6時間に及んだため以下の内容はそのなかで印象に残った部分をまとめたものです。

(上記写真 2019年8月25日筆者本人撮影)


【キリスト教とジャーナリズムについて】

 「英仏独」を中心とした西ヨーロッパから生まれた報道やジャーナリズムは、信仰や宗教のキリスト教から生まれたものではなく、社会文化としてのキリスト教から生まれています。

 そしてジャーナリズムは、英語で「Journalism」と表記しますが、この言葉の「Journal」を日本では無原則に雑誌のタイトルに使うことがあります。

例 朝日ジャーナル・航空ジャーナル など

 しかしこの表現は、本来の意味とは異なり全て間違った使い方です。では、”Journal”にはどのような意味があるのでしょうか。

 ”Journal”はもともとラテン語起源です。そして「こんにちは」を意味するフランス語の「Bonjour」も同じラテン語起源です。この「Bonjour」の言葉の成り立ちをみてみると、"Bon"=Good、"jour"=Day。つまり「Bonjour」は「Have a good day」(よい一日を)と同じ意味があります。この「Bonjour」・「Journal」の言葉に共通している「Jour」には「一日」という意味があります。では「Journal」は何を表しているのでしょうか。

 ヨーロッパの町や村には必ず教会があり、その場所には聖書とともに置いてある本があります。それがまさに「Journal」です。その本には日々のお祈りの時間とお祈りの内容が指定してあります。当時はヨハネス・グーテンベルクの活版印刷技術発明前だったため紙の印刷物がなく本は教会にのみ置いてありました。

【キリスト教の神は人間をどのように見ているのか】

 神様には一神教、多神教、八百万神などがありますが、キリスト教の神「The God」はまさに監視カメラです。ひとりひとりの人間を24時間、365日、生まれた瞬間から死ぬまでずっと見ており、その行動の善悪すべてをビデオテープに記録しています。その後人間が一生を終えて神の前に歩み出たときにその記録が天国・地獄のどちらに行くのか判定する判断材料になります。その判定を下すキリスト教の神は、知らないこと・出来ないことは何もない「全知全能」の神とされ、その存在を哲学の世界では”絶対者”といいます。そしてこの思想や「The God」の存在は現世の欧米人の生活や思想に深く突き刺さっています。

【キリスト教にとって人間はどのような存在か】

 人類の祖先であるアダムとイヴは、神が禁じた知恵の実を食べたことから楽園を追放されてしまいます。そして現在は神を裏切ったアダムとイヴの子孫がこの地球上に70億人存在しています。そのためキリスト教の人々にとって人間は全員が罪人であり、必ず間違いを犯すという考えがあります。そのような人間をGodは常に監視しているのです。しかしキリスト教の場合このGodは、人間が自ら罪を認めるとチャンスを与えてくれます。それが教会で行う祈りであり、悔い改めの儀式です。

<悔い改めとは>

悔いる:自分の罪を認める

改める:人生をそこからリセットする

 つまり人間は、犯した罪を認めることによって、そこから罪の穢れがなくなり清らかな存在になるということです。そしてThe Godに向かって報告をするスタイルがジャーナリズムの原理です。

【全知全能の神・The Godに人間は近づくことはできるのか】

↓2019年8月25日 筆者本人撮影

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全知全能の神・The Godが知っている、人類・自然・地球にあるすべての事柄を「The Truth」といいます。これを日本人は仏教用語の「真実」と訳しました。しかし、言葉が違えば由来する社会文化も異なるため「The Truth」と「真実」は同じ意味にならずイコール(=)では結ばれません。

 ではどのような意味があるのかというと、The Godが知っているすべての事柄が「The Truth」です。この中で人間が把握・認識できたものが「Fact」です。日本人はこれを「事実」と訳しましたが「Fact」は常に「The Truth」の断片でしかなく、人間が把握した範囲のものにすぎません。そこで人々はTheGodが知っている"The Truth"に近づこうとします。しかし人間は、全知全能の神が知っている完全な”The Truth”を全て理解することはできません。なぜなら人々が把握できるのは"The Truth "の断片のみだからです。

 しかしこのFactの断片をいくつも集めていくと少しずつThe Truthに近づいていけるのではないか。その考えからまるでジグソーパズルを組み上げるように、1000ピース・2000ピースとあらゆるFactを集めてThe Godが知っているThe Truthに近づこうとします。これがまさにジャーナリストです。

 この考え方は果たして日本のジャーナリストに共有されているのでしょうか。もし「The Truth」がひとつしかないならば、ジャーナリストや報道に携わる人間が嘘やごまかしを重ね、適当なことを伝えたら最後は必ず嘘であることがバレてしまいます。それをアメリカでは小説や映画で表現しており、それらに登場する刑事や新聞記者はThe Truthに近づく人間として描いています。しかし日本で刑事や警察が主人公の場合、悪者として描かれることがしばしばあります。

例.

◆現実に起きた事件をもとに組織的な不祥事に溺れていく警察・刑事を描いた映画

2016年6月公開・東映「日本で一番悪い奴ら」

◆日本的な真実とキリスト教世界における真実・事実の捉え方の違いを鮮明に映像化した作品

黒澤明監督「羅生門」


【日本では神様をどのようにとらえているのか】

 日本の「神様」はもともとオンの「カミ」という表現のみで、神様の「カミ」と権威者の「カミ」を区別せずにどちらも「カミ」と呼んでいました。さらに、日本人は宗教権威のカミと政治権威のカミは同じものとみなし両者をともにまつり(祭・政)と呼んでいます。つまり日本の伝統的社会文化において、政治と宗教はどちらも「まつりごと」だったということです。

 それを示すひとつの歴史として「卑弥呼」があげられます。彼女は今でいう気象庁の役割があり、亀の甲羅を使った亀甲占いを行っていました。これは火で炙った甲羅の割れ方を見て1年の豊作・凶作を占い、農民に対して資源配分や経済政策を決定する権限をもっていました。これは古代の日本において政治と宗教が同じであることを示しています。そして現在それを体現しているのが天皇です。日本のお寺や神社が文化財として存在しているように、天皇は宗教的価値観・世界観を儀式によって維持し続けることで祭事や宗教行事を守り続けているのです。

【烏賀陽弘道さんが考える民主主義とは】

↓ 2019年8月25日 筆者本人撮影

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 民主主義はそもそも自然発生したものではなく人類によって発明されたもの、いわゆる人口のシステムです。では、このシステムはなぜ作られたのかというと、それは王権を制限するためです。例えば、フランス革命が起きるまで民主主義がなかった王朝時代は王様の権力が野放しの状態でした。この権力の暴走を制限するために民主主義のシステムが作られました。

 民主主義という言葉を聞くと、私たちは多数決や議論を思い浮かべるかもしれませんが、民主主義の本来の目的は「野放しの権力を制限する」ことです。

 そして現在、憲法改正について議論が行われていますがこの憲法の本来の役割はたった2つです。

◆憲法の役割

・誰に権力を与えるのか

・権力を制限するシステムをどのように決めるのか

 あらゆる条文が明記されている憲法の本来の役割はこの2つであり、憲法は「権力制限の約束事を書いたもの」です。つまり民主主義と憲法は、王様の権力を制限するために作ったシステムとその約束事・契約書のことです。

 そして権力の制限システムとして「チェック&バランス」があります。これは「相互監視」という意味があり、お互いを見張り合う権力監視のシステムです。しかし今の日本ではこのシステムが機能していないのではないでしょうか。

【チェック&バランスを行う上でジャーナリストが守るべき三原則とは】

↓2019年9月30日 筆者本人撮影

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①ニュートラル

 記者は取材対象者と利害関係を持たず、中立性を保つということです。例えば、記者が駐車許可証を警察から受け取ってしまうとそれは便宜を受け利害を共有したことになるため、警察とのニュートラル・中立性は侵害されてしまいます。

②インディペンデント

 記者がどのような記事を書き、その内容をいつ・どこで・どのようなかたちで公開しようと、それは記者の判断のみによって行われ一切の干渉を許さない、ということです。これは取材相手の同意がないときや、たとえ同意されない内容だとしても、記者が書いたものは公開する権利があるということです。

③フェアネス

 これはいいことも悪いことも平等に扱うということです。裁判所で見かける天秤のマークがその象徴であり、善と悪のバランスが取れた状態を示しています。そしてこれはあなたの行いはすべて見ているという”TheGod”の態度そのものです。

 そしてこれらの三原則は以下の書籍に詳しく記載があります。ぜひこちらもご覧下さい。

◆「フェイクニュースの見分け方」 (新潮新書)

著者:烏賀陽弘道 氏/2017年6月20日発行

◆「報道の脳死」 (新潮新書)

著者:烏賀陽弘道 氏/2012年4月20日発行


【信念や価値観を見つけるには】

 人々が大切にする信念や価値観に値するものは、神の前に歩み出たときに同じことが言えるかどうかです。それは人生の中で「これだけは捨てずにやっていくんだ」というものを見つけるプロセスから始まります。たとえその信念が今すぐに見つからなくても一生をかけて探していけばいいのです。

 そしてこのプロセスは、あらたに経験を積み上げようとするのではなく、自分の内側から感じる違和感によって見つかることがあります。

 例えば、烏賀陽弘道さんが朝日新聞を辞めるとき「辞めたあとはどうするべきかわからないけれど、朝日にいるべきではないという確信があった」とおっしゃていました。このように、ひとりの人間が人生の指針を把握するとき「これを達成したい」という目標から得るのではなく「これはやらない」「これはやるべきではない」という否定から人生は選択できます。ここで大切なことは、意思や考えを外に拡張するのではなく、個人の思いに戻りそこから出発して社会へ進んでいこうとすることが大事です。

 その過程で人間は成長して変化をしていきます。その自然の流れを”変節した”とか”裏切った”などのように考えてはいけません。もし、あなたが今の状況に対して何かが違う…と違和感を感じるならばその状況から抜け出して一気に環境を変えてしまう。そしてその身軽さが思考や言論にも必要です。

【もし100%の自由が与えられたら、あなたは何をやりたいですか】

↓ 2019年9月30日 筆者本人撮影

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 このジャーナリズム茶話会には、22才からご年配の方まで幅広い世代の人が参加をしていました。これは普段接する人と全く違うバックグラウンドをもった方と交流をもつということです。そしてそこで生まれる対話は異論を交わすから面白いのであって同じ意見の持ち主と意見交換をしても全く成長がありません。もちろん異なる意見を交わせば、そこには感情の摩擦が起こり、時には不愉快になるかもしれません。しかしその向こう側にはもう少し高い山へあがる道が続いているはずです。それを通過しないで、同じ意見の人とばかり群れていては人間は成長することができません。

 今の日本社会は不思議なことに、皆が同じでなければならないという同調圧力がたくさんあります。

・女性は結婚して子供を産まないと価値がない

・正規雇用に就かない男性は価値がない

 しかしこのようなことは周囲の人が言っているだけで、本人の人生設計には全く関係がありません。女性が一生独身でいることや、男性がやりたいことを貫くと決めることは立派な選択であり、その価値に何も優劣はありません。そして自分を愛するということは「好きなことをしたい」というその思いに耳を傾けることです。


・好きなことをしたい

・好きなように生きたい

・我慢をするのは嫌だ


 これらの思いが自由の本質であり人生は自由に生きていいということです。たったそれだけのことなのに、この日本社会ではなかなか共有されません。西洋的な民主主義の価値観が日本で共有されないのは社会規範に従わせようとする同調圧力から始まっています。そのような環境から一歩抜け出してあなたがやりたいことを実現することが自由の定義であり、立ちふさがる壁を壊していくことが民主主義です。そしてよりよい民主主義社会は、個人から出発した思考がたくさん集まり積分されて作られていくはずです。

【日本の閉鎖的な情報空間とは】

↓ 2019年9月30日 筆者本人撮影

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 おそらく日本人の99%は英語がわからず、日本語で書かれた日本の記事から情報収集をしているのではないでしょうか。インターネットが発達して「BBC・CNN・WSJ・NYT」は全てインターネットで読むことができます。しかしこれらの記事に目を通す日本人はどれだけいるのでしょう。

 日本人はインターネットのことをグローバルメディアといいます。しかしそれは、英語が読めなければ日本のメディアを便利にしたものすぎず、単なるローカルメディアを日本人は見ているということです。これは日本が極めて閉鎖的な情報空間であることを示しており、日本語しか読めない日本人は新聞やテレビという20世紀のメディアに依存しています。それはとても危険なことで、日本人の情報環境が昭和で止まっている状態です。

 さらに英語がわからないというのは、一生の大半を日本人ばかりと過ごし、同一の文化、同質の集団だけと関わるということです。そのような状況に人々が置かれると流れてくるニュースに対してクロスチェックをする情報が乏しくなります。さらにそこへ偏見やステレオタイプの情報が投げ込まれると一気に火がつき爆発してしまいます。

 その一例が今月号のNumeroTokyo(2019年11月号)に掲載されています。こちらもぜひご覧下さい。

NumeroTokyo NOVEMBER 2019

world watch 259「ネット正義の暴走」

Text : Hiromichi Ugaya 

【日本の学校教育について】

 海外には「アメリカンドリーム」という言葉があります。これは、アフリカやアジアなど貧しい国から来た移民たちがアメリカで一生懸命努力をすると宗教や身分の違いに関係なく、その人の才能と努力によって社会の階段を上っていけるというものです。その言葉と対比するように「ジャパニーズドリーム」と表現できる日本社会の仕組みがあります。それは、良い大学に入り良い企業に入社すると22才から60才まで終身雇用で継続的に働くことができて、年金も厚生年金として受け取れて死ぬまで保証される、というものです。しかしこの社会上昇の仕組みは1990年代にすでに破壊してしまいました。それにも関わらず学校教育には今も残っています。

 なぜなら、官僚組織運営のために学校のカリキュラムが組まれ、さらに周囲の大人が「資本主義の中で勝者になれ」という目的で受験勉強を推し進めようとするからです。そのようなことを言うと教師や保護者は「子供の健やかな発展を願っているんだ」と言うかもしれません。しかし現実には、教師が進路指導で生徒の進学先大学名に喜んでいたり、子供が進学校に通っているかという基準で親同士がグレードを分けようとします。そして日本の学校教育は子供たちのためにあるのではなく、企業従業員を養成するために存在しています。そのような状況を、私たちは当たり前のように受け入れてしまっているのではないでしょうか。しかし海外の教師は全く異なった考えをもっています。

 海外の学校は子供を良き大人にするための場所であって企業従業員を養成するための場所ではありません。さらに先生が、世の中にはたとえ経済的価値を生まなくても大事なものがあるということを学校で教えたいと考えています。そのようなプライドをもって先生が教育現場で子供たちに教えています。そしてそれは世界の学校教育の標準的な考え方です。

 さらに日本人は社会人になったあと、学校で苦手と感じた教科となるべく関わらないように避けていることがあります。しかし学生時代に苦手と感じたその思いは大人になったら忘れてしまえばいいのです。なぜなら、中学・高校で苦手な教科だったとしても、その知的世界があなたに合わないとは言い切れないからです。それは学校が子供たちに残したただの誤解かもしれません。何かを学び知識を得るときに大事なことは、その知識がどのような意味をもつのか考えることです。その思考を得ることができれば知的世界はより大きく広がり、今までとは違う世界が目の前に広がっていくはずです。

ー2019年9月30日 記ー

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