ハイランド_現実の中の幻想_幻想の中の現実

現実の中の幻想、幻想の中の現実

 幻想的なもの、きれいなもの、儚いもの、懐かしいもの。そういうものに、ずっと憧れてきた。神話や伝説、民話や魔法譚。スコットランド・ハイランド地方の風景。夢で見た、どこよりも美しい場所。3歳くらいの時に見たアニメ『ふしぎの海のナディア』。

 そういうものに触れたり、考えたりすると、気持ちがどうしようもなく浮足立つ。

 ぼくの憧れは度を越しているとは思うけれど、それでも、幻想的なものに、リアルじゃないものに憧れる人は、決して少なくないし、それはファンタジーのゲームや漫画の人気からもよくわかる。反面、そういうものを「虚構」として、幻想に憧れることを現実からの逃避、大人になれないことと同一視して批判する人も、いる。

 じゃあ、幻想と現実の関係ってどういうものなのか。そして、ぼくは、どうして幻想に憧れるのか。考えてみた。

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 つい最近引っ越しをして、毎朝、駅までの道の中で水路を渡るようになった。左手に大きな川が流れていて、水路はその川に流れ込んでいる。

 毎朝水路を越えるとき、「越える」ことを意識する。水路。そこにかかる橋。それらは、こちらとあちらの境になっている。この境界には、二つの側面があって。

 一つは、現実的な、物理的な、境界。橋がなければ渡るのが難しくて、そういう意味で、水路はあちら側とこちら側を隔てている。

 もう一つは、世界観的な、境界。あちら側は、こちら側とは「違う場所」として捉えて、水路、川を、言ってみれば世界を隔てる境界として考える。川の向こうは別世界、異界。

 二つ目の考え方、水路や川を、世界を隔てる境界として捉えて、あちら側を異界と考える認識は、「現実的な人」から見ると、浪漫が過ぎる考え方、ということになると思う。そういう人にとってみたら、水路や川は、物理的な境界でしかなくて、あちら側は単に行きづらい場所。それ以上でもそれ以下でもない。あちら側が「異界」だなんて、ちゃんちゃらおかしい、だろう。

 でも、物理的な境界と、世界観的な境界は、密接に絡み合っている。現在の、橋が架かっていて、簡単に行き来できる状態じゃなくて、昔の、橋もなく、本当に行き来が大変だったころのことを考えてみる。あちら側は、行きづらい。あちら側からも、人が来づらい。そうすると、こちら側とあちら側は、別の村になるだろう。違うコミュニティ。そうすると、違う世界観が生まれる。違う考え方の人が住む。そうしたら、あちら側は、立派な異界になる。

 いや、ただの違う村だろう、という人もいると思う。けれど、「世界」という言葉は、「自分たちの住むこの世界」という意味がある。現在の世界認識では、この宇宙を世界と認識しているかもしれないけれど、昔の人にとって世界は宇宙としてイメージできるほど広くなかった。自分の住んでいる場所が、自分の世界のすべてで、行ったことも見たこともない場所は、彼らにとっては、異なる世界だ。

 つまり。川を「世界の境界」として捉えるような認識は、物理的な境界と連動しながら、人の精神によって生み出される認識だ。

 話を「境界」から、「現実」と「幻想」にまで広げてみる。川の話を考えると、幻想は、現実と密接に結びつきながら、人の精神によって捉えられる世界の見え方、とでも言うことができると思う。

 人は、目の前の世界を、そのままの形では捉えない。花を見ても、それは「きれいな花」「あまり好きではない花」「植物興味ない」などなど、人によっていろんな風に捉えられる。人が見ている世界は、現実的な世界の上に、人の認識が、精神が、乗っかったものだ。「もの」の上に、「認識」が乗っかっている。

 言い方を変えると、密接に連動した現実と幻想の区別なんて、曖昧になる。「川のあちら」は、物理的な「あちら」と、異界という世界観的な「あちら」がセットになっている。川、は、現実の中の幻想だ、と言える。

 なら、逆もまた言えるはずで、幻想の中にも、現実がある。幽霊。妖怪。そういうものが、たとえ現実にはいなかったとしても、人は現実の中にそれらを見るし、影響を受ける。現実的に。そういう意味で、その幻想の中に、現実がある。

 繰り返しになるけれど、人は自分の頭の中を通さずに世界を見ることは、できない。人は、現実の上に、認識が乗っかった世界を見ている。なら、幻想を、虚構と切り捨てないで、人にとっての現実と考えてもいいんじゃないか、と思う。

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 だとすると、ぼくが憧れているのは、「もの」としての現実の世界の上に朧気に立ち上がる、人間の世界の見え方、これまでの人々が培ってきた世界観に根差す、幻想的な世界なんだろう。幻想的なもの。きれいなもの。儚いもの。懐かしいもの。神話や伝説、民話や魔法譚は、地層のように積み重なった昔の人の世界認識だし、ぼくがスコットランド・ハイランド地方の風景を美しいと思うのは、荻原規子さん『西の善き魔女』の物語を重ねるからだ。夢で見た、どこよりも美しい場所は、きっとぼくの理想の場所だし、3歳くらいの時に見たアニメ『ふしぎの海のナディア』がどうしようもなく懐かしいのは、この冒険譚がぼくの世界の見方に大きく影響を与えていて、ぼくが行きたい、生きたい世界が、そこに描き出されているからだと思う。(『ナディア』は、もったいなくて、未だに全エピソードを見られていない。)

 現実の中には、幻想がある。幻想の中には、現実がある。

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