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冬コミC101に参加します

表題の通り、年末に開催されるコミックマーケットに参加することになりました。

かねてより、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」(以後、俺ガイル)好きという縁で親しくさせていただいている方々と、俺ガイルに関する同人誌を頒布させていただきます。

日時・場所は、2日目12/31(土)東地区ペ11bとなっております。

今回はこの同人誌および私が寄稿した内容について、少しご紹介をさせていただきます。

同人誌『レプリカ』について

詳しくは、弊団体のアカウントの投稿をご覧頂くのが早いのですが、もともと我々は2020年夏のアニメ「俺ガイル・完」放送の頃、Twitterを通して俺ガイルについて議論をしたり、Prime VideoのWatch Partyでアニメ鑑賞会などを行っていました。

その中で、「俺ガイルは作品の評価に対して、内容に関する研究・分析に乏しい」というメンバーの問題意識から、同人誌という形態をとって俺ガイルの考察に関する発信を行うこととなりました。

とはいいつつも、必ずしもその内容は論考に限らず、二次小説やエッセイなど多岐にわたり、様々な観点から俺ガイルを楽しむことができる内容になっています。

目次

Twitter上で各原稿の冒頭部分が紹介されているので、そちらも御覧いただけると各原稿の雰囲気を感じていただけると思います。

拙稿について

この同人誌の中で私は「英雄比企谷八幡の旅路 ~俺ガイルとヒーローズ・ジャーニー~」と銘打った原稿を寄稿させていただきました。

内容としては、俺ガイルという物語について、神話からハリウッド映画まで古今東西の名作に共通する法則「ヒーローズ・ジャーニー」を当てはめて、その構造について考えていく内容となっています。

以前にひげひろで試みた内容と同等のアプローチを俺ガイルでも行ったということですね。

ただ、「ひげひろ」と「俺ガイル」を比較した際に、物語が長く(「ひげひろ」:5巻、「俺ガイル」:14巻)、かつストーリー展開も複雑であるため、正直当てはまるかどうかはわからない、まぁ当てはまらなかったとしてもそれはそれでいいか、という状態で検討を始めました。
実際のところどうなったか?については読んでみてのお楽しみ、とさせていただければ。

とはいえ、せっかくなので、この場を借りて冒頭部分だけでもご覧いただければと思います。

本文一部公開

英雄比企谷八幡の旅路
~俺ガイルとヒーローズ・ジャーニー~

「妙なもんだね。人間の物語なんてたった二つか三つしかないんだけど、みんなそれをまるでこれまで一度も起きたことがないかのように猛烈に繰り返し続けているんだ。何千年ものあいだ同じ五通りの鳴き方をくりかえしさえずっている、この土地のヒバリみたいにね」

ウィラ・キャザー 『おお開拓者よ!』

 古より語り継がれてきた神話から現代のハリウッド超大作に至るまで、人々の心を動かし、読み継がれてきた名作の多くには、いかに一見全く異なる表情を見せていたとしても、その根底には、人間が普遍的に持つ欲求や恐れを反映した、共通する法則性があるという。

 本誌で扱われている渡航作のライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(以降、『俺ガイル』)は、『 このライトノベルがすごい!』において二〇二二年現在唯一の三連覇での殿堂入りを果たすなど、ライトノベル界において名作の一つに数えられている。名作であるという評価に異論を唱えるものは多くないだろう 。

 『俺ガイル』について語る上でしばしば言及されるのが、ストーリー内に張り巡らされた伏線の数々である。また、「まちがい続けた青春」とアニメ『俺ガイル完』のホームページでも謳われるように、そのストーリーは多くのまちがいとともに綴られる。これら伏線とまちがいと著者のすね毛で構成されるストーリーが『俺ガイル』の魅力であるともいえ、それは物語の王道とは程遠く、共通的な法則に当てはめることは困難なようにも思われる。

 そこで、本稿では『俺ガイル』に対し、古今東西の物語に共通する法則「ヒーローズ・ジャーニー」を適用し、そのストーリーの構造化を試みる。場所や文化、時間の壁を越え物語に共通するという法則が、渡航が生み出したライトノベルの金字塔と出会った時、果たしてどのような結果をもたらすのであろうか。さしもの『俺ガイル』も時代や文化を超えた法則性の前には抗えないのだろうか? あるいは、千早ぶる 神代も聞かず 『俺ガイル』 となるのだろうか? それを検証する旅路を始めよう。

ヒーローズ・ジャーニーとは

まず、「ヒーローズ・ジャーニー」(英雄の旅)とはなんだろうか。

「ヒーローズ・ジャーニー」とは、神話学者のジョーゼフ・キャンベルによって提唱された神話のフレームワークである。キャンベルは、「世界中の神話には、時代や文化的背景を超えて共通する法則性がある」として単一神話論を唱え、十七のステージで「ヒーローズ・ジャーニー」を体系化した。

キャンベルはあくまで「神話」の世界における共通の型として、この「ヒーローズ・ジャーニー」のフレームワークを提唱したが、これは神話学者のみならず多くの作家や脚本家にも影響を与えることになる。

「ヒーローズ・ジャーニー」が現代の様々な創作活動への応用が可能である、ということが明らかになった結果、複数の人間の手によって神話に特化しない内容に再構成されている。中でも有名なものが、ストーリー開発コンサルタントとして、『美女と野獣』『ライオンキング』『アイ・アム・レジェンド』などの作品に携わったクリストファー・ボグラーによるものである。ボグラーはキャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」における十七のステージを十二に再構成し、自らの著書『作家の旅』の中で創作のためのフレームワークとして示した。

彼の作り上げた、現代における「ヒーローズ・ジャーニー」の実践ガイドはハリウッドにおける一種の共通言語として多くの作品に活用されているのである。

(中略)

ステップ1 日常

 青春とは嘘であり、悪である。 

[1巻、一一頁。]

―定義―
 日常世界に住んでいる主人公は、最初は問題への認識が不足しており、もはや効果のない戦略を使ってなんとかやっていこうとしている。

―『俺ガイル』の場合―
 俺ガイルという物語は、奉仕部という空間とその部活を構成する面々との関わりの中で進行する。その空間を非日常と定義するのであれば、日常とは奉仕部に足を踏み入れる前の日々を指すことになる。

 この時点では、まだ具体的なエピソードは明かされていないが、それでも比企谷は冒頭のレポート、「高校生活を振り返って」の中で、自意識過剰であり「ぼっち」である自らを屁理屈で正当化する。そんな比企谷の内面を顕著にそして端的に表現しているのが以下だ。

 とにかく比企谷八幡はくさっている

 [1巻、一二頁。]

ステップ2 冒険への誘い



こういった形で、ヒーローズ・ジャーニーの構造を『俺ガイル』に当てはめた際に、どのあたりでステップが変わり、そこでどういった変化があったと考えられるのか?ということを考察しています。
ここから先は、ぜひ「レプリカ」を手にとってご確認いただければ幸いです。

終わりに

私自身は今回が初めてのコミケとなります。
これまで私にとってコミケというのは、ニュースやSNSのタイムラインで伝え聞くイベントという遠い存在だったのですが、それがまさか出展者側で参加することになろうとは、人生何が起こるかわからないものですね。

あらためて12/31にコミケに参加される方、ご興味があれば是非東地区ペ11bまで足をお運びいただければと思います。
また、当日は参加できないという方も、今後通販での頒布も検討しておりますので、そちらもご利用いただければと思います。

より詳しい情報は俺ガイル研究会の各種アカウントをご参照ください。

Twitterもあります。

同人誌全体で発信しているメッセージは、「これを契機に俺ガイルを再読してみませんか?」です。
既に原作を読破済みの方も、あるいはアニメは見たけど原作は見ていないという方も、この同人誌が再び俺ガイルという作品との接点を持つきっかけになれば幸甚に思います。


最後までご覧いただきありがとうございました。
それでは年末、ビッグサイトでお会いしましょう。

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