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4周目

 今年は辰年で、私は4回目の年女です。そんで今日は誕生日です。
めでたい。もうこれは死ぬまでめでたいって言う。誕生日は歳を取る日ではなく、自分が産まれた記念日だからです。
 今年もTwitterでお誕生日乞食をしています。色々な関係性の人が、おめでとうーって言ってくれます。ありがたい。このようなささやかな好意をたくさん集められるのは、SNSのよいところだなーと思っています。悪意より好意を集めたほうが精神にはよい。

 しかし歳を重ねるごとに、体感の時間の速度がどんどん上がっていってそれはそれで恐怖ですねえ。この感じだと次の年女もすぐに訪れるんじゃないのー?と。次は60歳ですからね。
 実は数年前まで、自分の年齢を気にするってことあまりなかったのですが。身体の老化を実感していくにつれ、今まで他人事だった身体のことを気にせざるを得ない感じになっています。
 同年代が集まると、病気の話で盛り上がっちゃうのはそういう事なんだろうなと。
 あとはまあ、今のこの世の中。ただでさえ不安の多い暮らしをしてきたというのに、ここにきていくつも追い打ち掛けられている気分です。こんな気持の人はきっとたくさんいるんじゃあないでしょうか。思うことはたくさんありますが、なんでしょう、自分に出来ることはしていかないとなと思います。

 私は母親が26歳の時に産まれました。
私は母親が48歳の時に最初の子供を産みました。母は今の私の歳で祖母になったのですよね。私は当時22歳。
私が祖母になる気配は、今のところ微塵もありません。
長男は今年8月で26歳になります。彼の父親が父親になったのは26歳のとき。
次男は1月に24歳になりました。彼も年男です。
末っ子の長女は8月に22歳になります。彼女は私が26歳の時に産まれました。母と私と娘は、26年ずつ歳が離れています。これ、今年気づきました。なんとまあ……。という感じです。

 家や家族というものに関して、未だに問題抱えまくりの我が家ですが、なんか私はそういうふうにうまれついたんだろうなって思っています。
 私が産まれて育った家族と、私が作った家族。どちらもまあ、一筋縄では行きませんねえ。でもこれが産まれてきた課題だとしたら、そんなに簡単に解決なんてしないんだろうと思う。だから仕方ない。

 19歳くらいの頃、大槻ケンヂの「I STAND HERE FOR YOU」というアルバムを買いました。その頃の私は、それまでの人生で経験したことのないどん底にいました。もう毎日毎日ずーっと自分と向き合って、自問自答を繰り返していました。多分あの時にすごいレベルアップしたんだと思うけれど、もうあの経験はしたくないなと思うようなしんどい体験でした。
 その時まで、大槻ケンヂの小説はよく読んでいたけれど、音楽ってそんなに聴いていなかったのですが、このアルバムを聴いてどハマりしたんでした。なんかその時の私の状況と、このアルバムの感じがシンクロしてしまったんですよね。
 このアルバムの中に、青春の蹉跌のテーマ Part3 という曲が収録されていまして。これを聴いた時、自分のことを棚に上げて「この人大丈夫だろうか。死んでしまわないだろうか」って心配になったことを覚えています。
まさに今の自分も同じような状況だったのに(笑)
 で、ここから私は、愛ってなんだろうなーって事を考え続けて生きていくわけなんですが。自分の中では「多分こういうことだろう」という答えは見えているのですけれど、自分なりの愛情を対象に伝えるのって本当に難しいですね。切実に。結局これも死ぬまで考え続けることになる予感がします。

 恋人が私に対して感じていることと、娘が私に対して感じていることは、おそらく同じで、それは私の他人に対する関わり方のスタンスなのだろうなと。そういう人がいま、2人も私の目の前にいるということは、きっとこれは私の課題なのです。

 なんでこんな話をしているんだと自分でも思うのだけれど、19歳の頃から、本当はもっと前から、私は自分の孤独感や寂しさを持て余していて、その正体はなんなんだろうな?とずっと探っていたのです。
 普段はちゃんとしてるのに色恋になると一気にバカになるよねって言われがちだったりしたのも、これが関係している。でも、その中でずーっと「愛ってなに?」って考えていたんですよねえ。
 で、なんだか40歳が見えてくる頃から、この感覚が消えていって、実は原因がよくわからないまま「おとなになったのか……?」とかアホなことを思っていたのだけれど、これは自分が生物学的に子孫を残せなくなってきている事と関係しているんだろうかと、昨日散歩をしながらぼんやり考えていました。本能に弄ばれてたってこと?それも無関係ではなさそうだけれど、絶対にそれだけではないとも思っていて。なんだろう、ここ10年位は精神そこそこ安定していたと思うのだけれど、そういう暮らしの中でも人は成長していくものなんだなあなんて思ったりして。

 そして娘は今21歳で、私がそういうものと必死で戦ってきた年齢なわけです。私はそれを見守る側にいて、おそらく似たような、でも全く違ったものを抱えている娘を見ている。出来ることってすごく少ないんだけれど、私が私の母親に対して感じたがっかり感のようなものを、感じてほしくないなー。これは私の問題。自分の中の彼女への気持ちを伝えるのがとても難しい。
 でもきっと今はそういうステージ。だからいっぱい考えないといけません。

 悩みなんてなくてのんびり暮らすなんてことは、きっと死ぬまでないんでしょう。いつだって何かしらの悩みや困ったことはあって、ずっと向き合っていくんだろうけれども。
 ただ、19歳から20歳くらいまでのあれほどの激しい大手術みたいなのはもうないだろうな。そんな体力ももうないし!年々その悩みの波が穏やかになっていくのは、それだけ自分が歳を取って強くなった、ということでもあり、強くなったということはそれだけ鈍感になったということなのでしょう。
強さは鈍感さっていうことは常々忘れないように、できるだけ自覚して今年も1年生きて行こうと思います。

 最後に、ちょっとぐぐって聴き始めたら止まらなくなっちゃったこれを置いておきます。


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